1-66 フィクサー達の会合と、知らないうちに危機を回避していた智樹達
レムリアのどこかに存在するその城は内部でいくつもの巨大な歯車が回転し、決して止まることなく世界の時を刻み続けた。
おそらく現代世界でも再現不可能なこの圧倒的な技術力を見てしまえば、いかなる国も戦いを挑もうとは考えないだろう。
絶滅の危機に瀕した人間の子孫が今なお世界の支配者であり続けるのは、ひとえに魔法とも呼べる太古の科学技術を独占していた事が最大の理由だった。
だが何かの間違いで歯車のどれか一つでも動かなくなってしまえば城は機能を停止してしまう。
もしそうなったとしてもこの世界の人間には直す事は出来ず、一見絶大な様に見える彼らの権力は歯車の城の様に極めて危ういものだったのだ。
歯車の歪な音を聞くたび、議長のバオウルはこの錆びついた城は自分たちの残りの時間を告げる時計なのではないかと思うようになった。そしてその時はそう遠くないうちに訪れるのだろう。
「全員揃ったな。では会議を始めよう」
円卓の議場にはバオウルやクライ、そしてアンジョの遺産であるモニターに各地の諸侯が映し出されリモート会議を行っていた。
諸侯の多くはグリードであり、その中にはもちろん魔族を統べる龍帝タイロンも参加している。
『緊急の会議とは穏やかではないな。ここ最近はなかったが。今回はどんな厄介事を持ってきたのだ?』
レムリアのもう一人の支配者である女帝はどこか威圧する様にバオウルに告げた。その言葉には若干の皮肉も交じっており、彼は眉間にしわを寄せてしまう。
「……デルクラウド公爵はまだ目上の相手に対する作法を理解していないようですな」
『失礼、私は代替わりしたばかりでその辺りの事には疎いのです。先帝からは王たるものは国と民を護るため、相手に敬意は払っても媚びてはならないと教えて頂きましたが、まだその勝手を模索している最中なのですよ』
「フン」
おそらく大昔ならばすぐにでも彼女は跪いていたのだろう。だがタイロンは態度を改めず決して謝罪する事は無かった。
かつては考えられなかった事だが、最早この世界のアンジョは危ういバランスで生かされている裸の王様でしかない。
パルミラ女王が傀儡である様に、アンジョという存在もまた支配者たちの傀儡でしかないのだ。
『帰っていいっすかね? 二日酔いで頭痛ぇんすよ』
もう一人無礼な態度をとるのはナーゴの領主エドラドだ。
彼は世界を救った英雄ドーラの子孫とされ、参加者の中でも特に身分が高いが日々遊び惚けておりその悪評は他国にも知れ渡っていた。
「時間は有限です。バオウル様、お気持ちはわかりますがここはレムリアの行く末を決める重要な会議なのです。後ほど我々が注意しておくので今は大目に見てください」
「そうだな、そうしよう」
不良の集会のような状況に頭を抱えるしかなかったが、クライに諫められバオウルは仕方なく会議を進行させた。
この会議も今となっては人間の参加者は数える程しかいない。もしも不満を抱いたグリードが一斉蜂起すればすぐにでも残された人類は絶滅してしまうはずだ。
たとえ無礼な態度を取られたとしても、裸の王様である自分たちには頭を下げて協力を求める事しか出来ないのだから。
「昨日の事だ。アシュラッドで保護をしたマレビトが王都から脱走した。現在行方を追っているが、未だ消息はつかめていない」
『だっそうってどうやって? アシュラッドはでるのもはいるのもすごくむずかしいのに』
王冠を被ったもふもふ族の領主はその説明が不思議でならなかった。
王都であるアシュラッドはあらゆる国の中で最も警備が厳重であり、蟻の子一匹通さないとされる門を突破するなど前代未聞だったからだ。
「隠し通路を使って脱出したそうだ。正確には神代のアンジョのみが使える封印された隠し通路を」
『なんですと!?』
『そんな!?』
バオウルが重々しく告げた言葉に諸侯はひどく狼狽える。
またの名を管理者権限とも呼ばれる力は、この世界において決して存在してはならない禁断の力だったからだ。
『皆の者静まれ。それは真か、バオウル議長』
「このような嘘を言うわけがなかろう。我々の権力を脅かす様な意味のない嘘を。我々は今となっては誰一人としてアンジョの力を使えない。何の力も持たないただの無力な生物なのだから」
タイロンもそれがいかなる事態を引き起こすのか理解してしまい険しい表情となってしまう。今までもマレビトや転生者は現れたが、その誰もがただの人間だった。
しかしこの世界において神にも等しい力である管理者権限を使える――それは極めて由々しき事態だったからだ。
『そうか。とうとう本物が来たというわけか』
「この事が明るみになれば我々は全てを失う事になる。あらゆる秩序が崩壊し、その先にあるのは混沌の世界だ」
アンジョがやがてレムリアに戻ってくる――その瞬間を心待ちにしているのは信心深いトール教会の信者だけであり、支配者は誰一人としてそれを望んでいなかった。
その時が訪れてしまえば、彼らは全員レムリアと支配者の座を明け渡さなければならないのだから。
『何を仰います事やら。本物は最初からいたではないですか。あなた方が拒み続けただけで』
「む」
全員が沈痛な面持ちになった後、何も表示されていなかった画面に眼鏡をかけたスーツの女性が映し出される。
しかし彼女は本来呼ばれていないはずの参加者であり、バオウルはわずかに顔をしかめてしまった。
『突然話に割り込んで申し訳ございません。初めての方もいらっしゃいますのでご挨拶を。アンジョの世界の日本という国で治安維持を担う大臣を務めております、荒木美虎と申します』
ミトラと名乗った女性の眼差しは氷の様に冷たく、おおよそ人間のものではなかった。
おそらく民衆が彼女を見た所で、この世界に救済をもたらすアンジョの使いであるとは誰も思わないだろう。
『そのマレビトは聖智樹という人間です。あなた方が望めば我々も喜んで彼の捜索に協力しましょう。管理者権限を持つ人間が脅威である事は我々も同じですから拒む理由はありません』
「……そうですね、貴女様の御協力を心より感謝いたします。どうか世界の安寧のためにお力を貸してください」
バオウルはミトラと会話をする事は初めてではなかったのでその申し出を快く受け入れた。
冷徹なミトラは決して気を許してはならない相手ではあるが一国を背負うに相応しい傑物には違いなく、一定の距離を保てば頼もしいパートナーになる事は嫌という程理解していたからだ。
『我々の世界では異世界の存在は希望であり、死後に転生して救済されると民衆は信じています。ですがそれは所詮我々が作り出した幻想でしかありません。異世界が現実の物となり、現実を知って夢から覚めた時我々にもまた破滅が待ち受けているのです』
ミトラは向こうの世界の事情を語った。聞く所によると彼女たちの世界では英雄として死ぬと異世界に転生し、あらゆる望みが叶うという教えが存在しているらしい。
自分たちがアンジョの神話を権力の維持に利用している様に、彼らもまた異世界を権力の維持に利用しているのだ。
『あなた方の世界も我々の世界も危ういバランスで成り立っています。二つの世界は決して交わってはいけません。もしも二つの世界の境界を破壊してしまえば取り返しのつかない事になるでしょう』
「ええ。戦争が起きないための最善の方法は他国と一切関わらない事ですから。もっともその結果私達は衰退し滅びるのを待つだけになってしまいましたが」
バオウルの頭の中にはこの世界の人間が辿って来た真実の歴史が刻まれていた。
人は過去の歴史から決して学ぶ事無く何度も争いを繰り返し、閉ざされた世界で自ら破滅の道を選んでしまった。
もし先人たちが道を誤らなければその運命を変えられたのかもしれないが、正しい選択をしたとしても結局は時間稼ぎにしかならなかっただろう。
『そちらの世界に兵隊を差し向けます。なお極力そちらの世界の民衆には危害を加えないようにしますが確約は出来ません。聖智樹の殺害の許可をいただけますか?』
「問題ありません。些細な犠牲ならば受容出来ます。それは世界を護る事よりも重要ではありませんから」
二つの世界の支配者は互いの権力を護るために密約をかわす。あらゆる手段を使ってでも権力を保持しようとするのはどこも同じなのだな、とミトラはどうでもいい事を思っていた。
『では約束していただけたところで……NAROの偵察ドローンが彼らを発見したそうなので早速そちらに映像を送りますね』
「もうなのか。早いな」
協定を結びミトラは既に捕捉していた事を伝え映像を送信する。
それは本来吉報だったはずだが、人海戦術で血眼になって探していたというのにいとも容易く先に見つけられてしまい、バオウルは喜びよりも落胆と恐怖の感情のほうが勝っていた。
『えびばーで!』
『ハァーズンドコズンドコッ!』
『アァァアイアァァムッッ!! パーフェクトパァァァァリィィィィピィィィィポォォォォォオオオオオオッッ!!』
「……………」
『……………』
『……………』
「物凄くはしゃいでますな」
『物凄くはしゃいでますね』
だがそこに映し出されていたのは理性を投げ捨て全力でダンスを踊って人生を謳歌している姿であり、全く予期していない光景に支配者たちはただただ唖然としてしまう。
ブツッ。
『む?』
「映像が。どう致しました?」
『わかりません。いえ、ドローンがハッキングされている様です』
しかしそれも束の間、映像は即座に遮断され呆気に取られていたミトラは青ざめた顔になってしまう。そして彼女はすぐにその意味を理解し、深刻な様子で彼らに告げた。
『なるほど、どうやら向こうは撮影されていた事に気が付いていた様です。彼らは挑発のためにあえてあんな事をしていたようですね。しかしまさか鉄壁のセキュリティを誇るNAROのシステムにハッキングを仕掛けるとは』
「な、なんと恐ろしい……! これが本物のアンジョの力なのか……!」
『これではドローンはもう使えません。きっと通信システムも傍受されているでしょう。どうやら予想以上に恐ろしい相手の様です。早急にプランを練り直さなければいけない様ですね』
実際はマタンゴさんのキノコ胞子の影響で馬鹿騒ぎをしていただけなのだが、バオウル達は勝手にそう結論付け最大の脅威と認識してしまう。
(あらら、まあいっか)
しかしこれはこれでありかも知れない。しばらくは現代の最新兵器も使えず両世界の支配者も過度に警戒し後手に回らざるを得ないだろう。ハッキングを仕掛けた張本人はその滑稽なやり取りをほくそ笑みながらモニター越しに眺めていた。
兵器が使えない人間など恐るに足りない存在だ。その気になれば自分はすぐにでも両勢力を壊滅させる事も出来るが、そんな事をしても何一つとして得はしないのでやめておいた方がいいだろう。
(さてと、今回も暗躍するとしようかねぇ。じゃ、後は適当にヨロー)
少女はチーズを焼きのりで挟んだつまみをくわえながらモニターの電源を切ると、ブラウン管テレビのリモコンを操作してビデオ1に切り替えレトロゲームを再開した。
「出ろ。うげ、紙溶けてる」
しかしマイクに音声で入力した際、どうやら時間が経ち過ぎていたらしく彼女はギミックの解除に失敗してしまう。
やはり正攻法で一時間待つべきか。だがなんだかそれでは負けた気がする。
こんなげーむにまじになっちゃってどうするの、と思いながらも彼女は裏技ルートでリベンジをする事に決めたのだった。




