3-117 名前を呼んではいけない邪神、デミウルゴスの正体
デミウルゴスはデマを戒めるための言い伝えだった――その事に思い至った時、俺は図らずもデミウルゴスの正体に辿り着いた。
「ん? デミウルゴス……?」
俺はいつか聞いたデミウルゴスの神話を思い出す。
そうだ、あの神話は確かこんな内容だったはずだ。
――偽りの神デミウルゴスは混沌とした時代に生まれる。
――デミウルゴスを見てはいけない、言葉に耳を傾けてはいけない、名前を呼んではいけない。
――デミウルゴスは形を持たないが、あらゆる悪鬼悪霊を生み出す。
――デミウルゴスは人の悪意を好む。何よりも憎悪と怒りに支配された正義を好む。
――デミウルゴスは戦争より生まれる。
――デミウルゴスは天災より生まれる。
――デミウルゴスは疫病より生まれる。
――デミウルゴスはオオカミより生まれる。
――デミウルゴスは民を殺す。
――デミウルゴスは王を殺す。
――デミウルゴスは異教徒を殺す。
――デミウルゴスは異国の民を殺す。
――デミウルゴスに抗う事は出来ない。
――真実を見極める曇りなき眼のみがデミウルゴスを消し去る。
「ああ、そういう事だったのか」
そうか、デミウルゴスはデマゴギー、つまりはデマの事だったのか。考えてみれば単純な言葉遊びだった。
だがこちらも公衆衛生にまつわるタイガーウルフの伝承同様、世界の平和を維持するのに必要なのでそれを世に知らしめるつもりはない。
この世界の多くの人々が真実を見極める目を手に入れ、完全にデミウルゴスが消滅するまで何も知らないふりをしたほうがいいだろう。
「ふむ、どうやらお前はデミウルゴスが何であるのかわかったようだな」
「ええ。元ネタのグノーシス主義ではこの世界は偽りの神ヤルダバオトによって支配されていて、牢獄の世界から抜け出そうって感じでしたが、未だに陰謀論者が同じ様な事を考えているってなんか不思議ですよね」
「人間とはそういうものだ。無神論者もまた形が違うだけで神を信じているのだよ」
時代が移り変わり神も妖怪も必要とされなくなったのに、大昔の人と似たような発想をしてしまうだなんて人の本質は変わっていない様だ。
デミウルゴスが出てくるグノーシス主義が生まれた背景には教義と現実が乖離したキリスト教に対する不信感があったけど、現代の陰謀論者もまた多くが権力者に対して不信感を抱いている。
陰謀論者の主張の全てを否定するわけではないし、その中の一部には真実もあるのかもしれない。
けれど科学がどれだけ発展しても結局人間は永遠に変わらず、信じたいものだけを信じ続けるのだろう。
「人の子よ。楽しい時間はここまでだ」
デミウルゴスについて考察をした後、じゅすへるさんが持っていた煙管は闇の中に消えていく。仰々しいエフェクトだけどこれもアイテムボックス機能で説明出来るのだろう。
「この世界には英雄も魔王も存在しない。正義も悪も意味を為さない。戦いの果てに英雄となるか、魔王となるのか……その決断を迫られた時、お前がどのような選択をするのかせいぜい楽しみにさせてもらおう」
「……ええ」
じゅすへるさんは最後に言いようのない不安感を与え、仲良く話していた俺は後ずさり畏怖の感情を抱いてしまう。
俺は足早にボンネットバスから出て行き、高低差のある段差で少しよろめきながら床を踏み、すぐに逃げ出すために立ち去ろうとした。
「じゅすへるとの話は面白かったかい?」
「希典先生」
だがバスから降りて希典先生が目の前に立ちふさがってしまう。
彼は俺とじゅすへるさんがどんなやり取りをしたのか知っていた様だが、もしくはこうなる様に彼が仕向けたのかもしれない。というか多分そうなのだろう。
「希典先生、教えてください。これから何が起ころうとしているんですか」
俺は声を震わせながら彼に問いかける。危険を告げる嗅覚からは良からぬニオイが漂い、近いうちに何か恐ろしい事が起こるのだとわかっていたからだ。
「余計な事を言うつもりはない。ただ俺っちは極力手伝わないからそのつもりでねぇ。ああそうそう、約束はもちろん有効だからねぇ」
「っ」
俺は彼が告げた言葉で何が起こるのかを察してしまった。
約束とは先ほども話した『人を殺せば健康にするという望みを叶える』というものだろう。
そしてこれからその選択を迫られる何かが起ころうとしている。その事態に手出しをしないという事は、彼はそうなる事を望んでいるという事なのだろう。
「ま、お手並み拝見させてもらうよぉ。お前さんが口先だけの甘ちゃんじゃないなら、その覚悟を見せておくりぃ」
その時に浮かべた希典先生の笑顔はいつも通りニマニマとしたものだったが、俺はどうしてそんな顔が出来るのか理解出来なかった。
毒蛇の様に目を光らせて笑う彼は決断を迫っている。理想論だけを語る俺にその選択が出来るのか、出来ないのかという決断を。
道化の様に見えてやはり彼は悪魔なのかもしれない。
希典先生は再び闇の中に消え、最初からそこに存在しなかったかのように去っていった。
気付くとじゅすへるさんの気配も消えていた。おそらく彼女もあるべき世界に戻ったのだろう。
その時が来ればまた現れるのかもしれないけれど、それはきっと俺が人間である事を止めた時なのかもしれない。
何も見えない暗闇の中で、意志を無くした俺はただただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。




