3-116 人の願いより生まれた大妖怪、中天の天使がしらじゅすへるとの対話
かつて潜伏キリシタンから畏怖と敬いを向けられていた災禍をもたらす大天狗は微笑み、矮小な存在である人の子を威圧する。
「私は中天の天使がしらじゅすへる。君に力を貸したものだよ」
この怪物に逆らってはいけない。少しでも機嫌を損ねれば塵一つ残らず俺は消し飛んでしまう。
生き延びるためには血の一滴から髪の毛一本に至るまで、全てを捧げ恭順の態度を取らなければいけない。無力な俺は即座に自分がするべき行動を決めた。
「はあ、ども。カムナと戦った時はお世話になりました。それで力の対価に寿命の半分を貰うとかそういう感じのアレですか? 俺にはスペラ〇カー並みの魂しかないですけど」
「いいや。ただ私の煙管を返してもらおうと思ってな。定期的にあれで一服しないとどうにも落ち着かないんだ」
「そうですか。じゃあ」
しかし俺は意外と平常心を保つ事が出来、難なくメニュー画面を操作してじゅすへるの煙管を渡した。
「ありがとう。早速吸って構わないかい?」
「構いませんよ。今更副流煙なんて気にしませんし」
「そうか、ありがとう」
じゅすへるは律儀に俺に許可を取ってから煙草を一服する。仮にも悪魔なら悪魔らしく振舞ってもいい気もするが、比較的良識のある方だった様だ。
「てっきりもう少し私を怖がると思ったが、そうでもないのだな」
「最初見た時はびっくりしましたけどね。ただすぐに慣れました。今更悪魔に怯える事はありませんよ」
「ふむ、そうか」
彼女は日本屈指の大妖怪の類である自分を前に平然としている俺が気になった様だが、すぐにその興味は失せてしまう。
人間の残酷さは悪魔をも凌駕する。人間は未知の存在に恐怖を抱く生き物だが、俺は既に彼女の正体がわかってしまったので、特に恐怖する様な理由は存在しなかったからだ。
「それでどうしてここに? 流石に用件は煙管だけじゃないでしょう。俺は希典先生を探してここにやって来たんですが、じゅすへるさんも先生に用事があったんですか?」
「まあそう急かすな。久しぶりに現世に顕現したのだ、今はこの煙を堪能させてくれ」
マイペースなじゅすへるさんは紫煙を燻らせ、心地よいひと時に身を委ねる。
俺はあまりタバコのニオイが好きではないが、煙のニオイはアロマキャンドルにも似た甘い香りだった。
「私がここを訪れた理由の半分くらいは観光だ。聖地巡礼と言う奴だな」
「聖地巡礼ってどっちの意味ですか? あなたの場合両方ともあり得ますが」
「その両方だな。だがニュアンスはどちらかと言えば九対一くらいで観光だ」
「自由なお方なんですね」
「悪魔には試験も学校もないからな」
どうやら思わせぶりな態度を取っていたじゅすへるさんは普通に観光目的でユフィンを訪れていた様だ。
「かつてこの地を治めていた大友宗麟を筆頭にキリシタン大名によってキリスト教が広まり、そして禁教令の後口伝によって変化した結果じゅすへるという悪魔が生まれた。いわばこの辺りは故郷の様なものだから羽くらい伸ばしたくなるさ」
「温泉に浸かって?」
「その通りだ。地獄蒸しプリンは食べたか? 美味いぞ」
「食べましたけど。皆勧めるんですね」
俺が知らない間に随分と満喫していた様だが、仮にも悪鬼悪霊の類ならもう少し恐怖と混沌を振りまいて欲しいものである。
「じゅすへるの原型はルシフェルだったはずですけど。故郷って表現は正しいんですかね」
「中天に墜ちた天狗じゅすへると堕天使ルシフェルは似て非なる存在だ。迫害され生きるために信仰を隠していたキリシタンはその行いを罪と考え、神に背くも一度は赦されたじゅすへるという妖怪が作られたのだ」
彼女が教えてくれたじゅすへるが誕生した経緯はなんとなく知っていた。
キリシタンの伝承は日本の民俗学の特徴が全て詰まっていると言っても過言ではないけど、それを直接本人から教えてもらうなんて恐れ多い。
「つまり私は罪からの救済を望む願いによって無から生み出された存在なのだ。多くの神仏や妖怪がそうして生まれた様に」
「大体そんなもんだって事は知ってますけど……こんな事を言うべきじゃないかもしれませんが、なんで願いから生み出された存在のじゅすへるさんが目の前にいるんですか?」
だが言い方は悪いがじゅすへるはフィクションの存在だ。
もちろん信心深い人にとってはルシフェルもじゅすへるも確かに存在するのだろうが、ひねくれていた俺はなかなか目の前で起きている現象が理解出来なかった。
「人の子は自分達が理解出来るものしか理解しようとしない。世界はお前が思っているよりも不完全で曖昧なのだ。この世界は所詮認識と観測によって構築されているに過ぎないというのに」
「科学の話ですか?」
「それがお前の認識なら科学となるのだろう。科学も突き詰めれば魔法やオカルトと区別がつかなくなる。全ての存在は定義する事によって存在が認識されるのだ。大衆がそれを科学と定義するか、オカルトと定義するかの違いだけだ」
じゅすへるさんの説明は単純なようでいて難解であり、理解に苦しむものだったが俺はその話が宗教っぽくないな、と感じてしまった。
だけど実際俺は目に見えないニュートリノも量子力学もほとんど理解していないが、それが科学的に存在しているとわかっている。
あるいはオカルトとされた霊魂や妖怪も、科学によってその存在が肯定される日が来るのだろうか。
「とはいえ普通妄想が現実のものになる事はそうそうない。だがもしも願った通りに変化する物質があるとすれば神や妖怪も自由自在に作れるだろう。所詮それらしく見えるだけではあるのだろうが」
「確かにその通りですが、そんな物質存在するんですか」
「人の技術ならばマイクロ流体デバイスやカメレオン粒子、自己修復材料やゲノム編集で似た様な事が出来るだろうな。戦争は科学を発展させるものだ。おそらくそう遠くないうちに実現されるだろう」
「まさか大妖怪のじゅすへるさんからそんなゴリゴリに科学的なワードが飛び出てくるとは思いませんでした」
じゅすへるさんの口から飛び出た単語の意味を俺はほとんど理解する事が出来なかった。希典先生なら全部わかるんだろうけど、最近のオカルト的存在は科学の知識もあるんだなあ。
ただゲノム編集をされたクローン兵士が作られ近々実践投入される、っていう話はチラッと聞いた事がある。
情報がほとんど無いしあくまでも噂ではあるのだけれど、兵士不足を補うためにそうした技術に手を出しても不思議ではないだろう。
もしかしたら遺伝子を操作して戦うために作られた兵士は脆弱な人とは異なり、ファンタジー作品に出てくる様な怪物の姿をしているのかもしれない。最初から好きに作れるのならわざわざ人の肉体にこだわる必要もないからだ。
兵士だけではなく人が足を踏み入れる事も困難な場所で労働力として使う事も可能だし、やがて弱い人間よりもゲノム編集によって生まれた怪物が地球上で多数派になるかもしれない。
「だがその様な科学技術に頼る必要はない。最初からこの世界は不安定だからだ。真の鬼は人の心だ。世が乱れた時人々は鬼を生み出し、曖昧な存在だったはずの悪鬼悪霊は彼らの願いを媒介に受肉するのだ」
「なんとなくわかりましたけど……でも確かにそうですね。社会が不安定になるとデマとかも生まれますし、それを形にする物質があれば大変な事になるでしょうね」
戦争や災害時にはデマがつきものだ。戦時中の俺達の世界は言うまでもなく、こちらの世界でもデマから生まれた疫神タイガーウルフが徐々に形作られようとしている。
デマが生まれそうになった時、民衆はデミウルゴスの言い伝えに恐怖し慌てて口にする事を止めたけど、あの伝承はそうした事に警鐘を鳴らすために生まれたものなのかもしれない。




