2-175 想い出の凪の海はいずこへ
我那覇総督の無茶ぶりで急遽釣りを嗜む事になり、私は港で竿を垂らし魚がかかるのを待っていた。
私にとって釣りは娯楽ではなく食糧調達の手段であり楽しむ様なものではない。しかも今は隣にオーラが半端ないガチムチの大物政治家がいるわけで、とても気が休まらなかった。
「そんなに固くならなくていい。何も考えずに竿を垂らすだけでいいんだ」
「は、はい」
その緊張の原因があなたなのですが――とは言えない。でもしばらく穏やかな波音を聞いていると、次第に心は静まっていく。
「最近は釣りが出来なかったからね。昔はこうやって兵主部と何も考えずに竿を垂らしてのんびり釣りをしていたものだ」
「兵主部……スイジンテクノロジーの創業者の方ですか?」
「ああ」
スイジンテクノロジーの創業者にして、インフラ王田中兵主部は日本でも五本の指に入る実業家であり、当然政財界の知り合いも多いはずだ。なので我那覇総督と田中兵主部が知り合いというのはさほど驚く事でもなかった。
「彼は元々アフリカ地域を担当していた石油会社の営業マンだったが、身代金目当てで海賊に誘拐されてしまってね。だが救出作戦を決行した時、海賊と意気投合した彼は仲良く釣りをしていて、仲間と間違えられ攻撃してきた突入部隊を一人で返り討ちにしたそうだ」
「な、なんていうか凄い人だったんですね」
「まったくだ。兵主部は海賊行為を行うのは貧困が原因と考え、彼らのためにインフラ整備の仕事を与え、周辺地域から海賊はいなくなり、兵主部はいつしか海賊王と呼ばれる様になった」
田中兵主部はスイジンテクノロジーの創業者だけど、海賊王兵主部という名前のほうが広く知られているだろう。
利益のために他国の政治にも口を出すスイジンテクノロジーの手法に賛否は別れるかもしれないけど、彼はアフリカに変革をもたらし、誰もが不可能だと諦めていた事を成し遂げた偉人に違いない。
「ただ向こうではアフリカ地域の発展に大きく寄与した神様の様な存在らしいが、私からすればただの釣りバカなジジイだったな」
我那覇総督は兵主部さんとの想い出話を語り過去を懐かしんだ。だけどそんな人だからいろんな人に慕われて世界を変える事が出来たのだろう。
「おそらく転生先の異世界でも彼は好き放題やった挙句、適当な所で引退して釣りをしながら老後をのんびり過ごしているだろう。叶うものならもう一度彼と釣りをしたいものだ」
「……ええ。私も兵主部さんと会ってみたかったです」
その幸せな想い出はきっと沖縄で戦い続ける我那覇総督の支えになっているに違いない。だって彼はこんなにも優しい瞳をしているのだから。
「私も兵主部も沖縄の美しい海を愛していた。何も考えずにこの海を眺めているのが何よりも幸せだった」
(そっか、この海が……)
私は海を眺めて心を無にした。けれどこの美しい海の底には多くの骸が埋まっているのだろう。そう考えるとちょっぴり切なかった。
「沖縄には煌びやかなホテルも有り余る金も必要ない。ただこの無限に水平線が広がる青い海だけがあればよかった。沖縄はすっかり変わってしまったが、この海だけは何も変わっていなかった」
豊かな暮らしを求める事は悪ではない。だけどそれによって心の豊かさを失ってしまった結果戦争が起こったのならば、それには何の意味もないのだろう。
「――だが、私が愛した沖縄はもうどこにもない」
しかし我那覇総督は全てに諦観した目で、吐き捨てる様にそう言い放った。
「沖縄の人間は生きるために護り続けたものを自ら破壊し、得体の知れない連中を受け入れてしまった。いや、世界がこうなる前からもう崩壊は始まっていたのだろう。ならばいっそ滅んでしまえばいいと思うのはただの傲慢なのだろうか」
「……どうなんでしょうね。新希典派は確かにテロリストですけど、その決断をどうこう言う事は私には出来ませんよ」
我那覇総督もきっと葛藤の果てにその決断をしたのだろう。彼が間違っているかなんて、安全な場所で生きてきた私に否定する権利はないはずだ。
「ああそうだ。君達にそんな権利はない。だから私は勝手にやらせてもらう。もうこんな無意味で馬鹿げた戦争はたくさんだ。そんなに戦争が好きならば勝手に戦って勝手に滅べばいい。私はもう疲れた」
「……我那覇さん?」
だけど我那覇総督が静かにそう告げた時、海は凪いで世界から音が消えてしまう。
世界は不気味な程静まり返り、先ほどまで美しかったはずの海は常世の海の様に恐ろしいものに感じられてしまった。
「っ」
私の竿が大きくしなり、戸惑いつつも急いで引き上げる。魚は大物なのかかなりの力で引っ張り、私は海に引きずり込まれそうになってしまった。
ザパァ!
「シャアアア!」
「ひぇ!?」
だけど私が引き上げるよりも先に海の中にいた何かが飛び出してしまう。ノミコちゃんが咄嗟に影の手を伸ばして反撃しなければ、ディーパの鋭いヒレで首を描き切られて死んでいただろう。
「こういう不意打ちは止めて欲しいんだけど」
「こうでもしないと君は私を殺していただろう。私は二人きりで釣りをしたかったというのに」
我那覇総督はノミコちゃんに驚く事は無く、彼女もこうなる事がわかっていたらしい。彼女に気付くなんてこの人は何者なんだ。
私は何が起こったのか理解出来ずにポカンとしてしまったけれど、それを皮切りに世界に耳障りな音が溢れかえる。
「……ッ!」
そして今までの人生で何度も聞き続けた銃声や警報音によって私はようやく我に返り、釣竿を捨てて星桜リュウグウリゾートへと戻っていった。




