2-93 謹慎中の蒲生ゾーイが犯した過ち
仲村渠ヒカリが研修を受けていたその頃、謹慎処分中の蒲生ゾーイはNAROが管轄する病院で治療を受け、首にコルセットを巻き車椅子生活を余儀なくされていた。
病院にはNAROの隊員だけではなく摘発された際に負傷した対象者もいる。彼女はそうした人間と共に実質軟禁状態にされ、ひどく気分を害していた。
おそらく規則に反した自分は何かしらの処分を受けるのだろう。だが自分の正義に従ったので彼女は何一つ後悔していなかった。
「チッ」
自分がこうなったのは何もかもあのフロンティアスピリットウーマンとかいう訳の分からない女のせいだ。
もしも復帰する事が出来たのならば真っ先にあの女を摘発しようと心に決め、暇を潰すために彼女はスマホを操作した。
『フロンティアスピリットウーマンについて』
「ん」
SNSを適当に眺めていた時、蒲生はふと忌々しい単語を見かけてしまう。
どうやらフロンティアスピリットウーマンは既に噂になっているらしく、あちこちで考察がされていた。
これを上手く使えば一矢報いる事が出来るかもしれない。蒲生はニヤリと笑い、規則違反であるとわかっていながら電脳世界の大衆が欲しがりそうなオモチャを与える事にした。
『私はゲイ風俗を摘発中にフロンティアスピリットウーマンに襲われました。あいつは少年を狙うアマゾネスの小児性愛者で、年端も行かない子供の手足を切断し特殊な性癖を持つ人間に売り飛ばしています』
愚かな民衆はテンプレートにも程があるセンセーショナルな話題に早速食いつく。彼らは小児性愛者と言えば反応する習性を持っているが、いくら何でも単純すぎやしないだろうか。
思想を取り締まる彼女はどのような事を言えば反響があるのか熟知していた。折角だ、もう一つ提供してみよう。多少話を盛ろうと何も問題はないはずだ。
『フロンティアスピリットウーマンが海外に拠点を持つ武装勢力でドローン爆撃の混乱に乗じて日本を襲撃しました。いいえ、ドローン爆撃にも関与してその証拠もありますがまだ情報は世に出ていません。政府はそれを揉み消そうとしています』
もちろんこれは今作った嘘であり、信憑性も根拠も一切存在しない。しかし現役のNARO隊員が発言したという事実は信用を与え、SNSは怒りと憎悪でお祭り騒ぎになってしまう。
「蒲生さん、検査の時間です」
「はい」
蒲生はほくそ笑みスマホを棚の上に置いた。さて、一晩経てばどうなるか――蒲生はどのような結末になるのか楽しみで仕方がなかった。
彼女が去った後もSNSの更新は続く。どうやら民衆はフロンティアスピリットウーマンが何なのか、その正体を探ろうとしているらしい。
フロンティアスピリットウーマンは取るに足らない与太話だったが、燃料が投下された事で有象無象の人間たちが群がる。
そしてその中には蒲生が想像していた以上に悪意のある人間も含まれていた。
同時刻、とある一人のやせ細った中年男性は自宅兼ネットカフェで暇を潰していた。
だが直に料金も払えなくなりここで暮らす事も出来なくなるだろう。彼はわずかな小銭しかない財布を眺め虚しい気持ちになってしまう。
『子育てとキャリアの両立を目指して』
『男性の時代は終わりました、これからは女性の時代です』
『もう男は遺伝子レベルで絶滅して欲しい』
『仕事がなければ兵隊になればいいだけ 兵隊にならない男になんで金なんて払ってるの? 子育て支援を充実するほうがずっといい』
「……チッ」
男はネットに踊るフェミニストの言葉に舌打ちをしてしまった。男に危険な肉体労働や戦争を押し付けているのに何がキャリアだ。
自分には何もない。持病を持っている自分には仕事すらないというのに、これ以上あいつらは何を望むというのだ。
『最近噂になってるフロンティアスピリットウーマンってもしかしてこいつじゃないのか』
「?」
男はふとURLと共に投稿されたフロンティアスピリットウーマンという不可思議な文字列を発見する。為にクリックしてみると、一人の女性団体の代表がインタビューに応じている動画が流された。
『ええ、そうですね……言わば私達は未来を切り開くフロンティアスピリットウーマンです』
そう、確かに彼女は決め顔でそう告げた。それは単なる偶然の一致に過ぎなかったが、そんな事に思い至る人間はどこにもいなかった。
それは男もまた同じだった。ましてや彼はこの類の人間を激しく嫌悪しており、反対意見など一切聞く耳を持たず、血眼になって貪るように投稿を閲覧する。
『フロンティアスピリットウーマンって東京婦女子見守り隊の笹北美京だったのかよ』
『こいつのとこの支持母体って確かアフリカでひと悶着あって死人が出てテロ組織に認定されてたはず』
『連中とは付き合いはあったけどそこまで深い関係はなかった』
『やらかして逃げてきた奴を難民として受け入れて滅茶苦茶炎上しただろうがボケカス』
『アフリカとか南米だけじゃなく次は日本を標的にするつもりなのか』
『この前韓国軍が誤爆して連合軍や民間人にかなり死人が出たけど、確実にあれは確信犯』
『いや普通に自作自演だろ 損害を隠すために韓国軍に責任を擦り付けただけで』
『ちなみに全然戦争に協力しない朝鮮半島への支援を打ち切るために連合軍が仲が悪くなりそうな事をでっち上げたって説もある』
『普通に誤爆だろ。無理矢理徴兵して数を揃えただけの銃もまともに撃てない素人に期待するな』
『こいつらが護ってるのは戦争に協力しない非国民だけ』
『日本がこんな事になってるのにもっと金寄越せとかわけのわからない事言ってるし』
『この前のマッチングアプリの冤罪事件でも擁護してた』
『つーか黒人やアジア系ばかりに噛みつくってあからさまだろ』
『そうだっけ? 普通に白人も攻撃してた気がするけど』
『あそこの団体はある意味では平等で人種差別とかしてないよ 男は平等にクズだから』
『アニマ法の改正にも反対してた そりゃそうだ』
『マジか じゃあ保護してた子供も売り飛ばしてるとか シャレにならん ここまでヤバかったのか』
『レイシストの鬼畜の悪魔どもが』
『参考までにリンク張っとく『多発する冤罪事件 ハメられた黒人男性の娘達が被害者団体を結成 私達はレイシストに人生を無茶苦茶にされましたと涙の訴え』』
『別に差別とかそういうつもりはないと思いますが けどここ最近は目に余るので非難されてしかるべきかもしれません』
『今のご時世がわかってない 私の家族がこんな奴らを護るために戦争に行って死んだと思うと虫唾が走る』
『それな。自分のルーツは韓国人だけど、今も知り合いが必死で戦ってるんだよね……怖くてずっと逃げてきたけど自分もそろそろ戦争に行って異世界転生するつもり。この気持ちはこいつらにはわかんないんだろうな』
混沌とした電子の世界には雑多に文字が並べられていたが、男はその中から都合のいいものだけを認識する。
憶測はやがて真実であるかのように語られ、憎悪の炎は静かに燃え盛る。
元々世間から反感を買っていた団体が、民衆の邪悪な敵として認識されるまでさほど時間はかからなかった。
一人の女性の悪意のある嘘に端を発した歪んだ正義が、やがて彼女の意図とは大きくかけ離れた方向へと進み、取り返しのつかない事態を引き起こす事になる事をこの時はまだ誰も知る由もなかった。




