2-87 仲村渠ヒカリの仮登録の手続き
エマたちの正体についてネタバラシを終えた後、彼女は眉毛を八の字にして謝罪しながらこう言った。
「ごめんね、もう少しちゃんとした形で合格発表を伝えたかったんだけど。ただ私がここに来たのは合格したって事を教えるだけじゃなくて、諸々の手続きをするためなんだ」
「手続き?」
「ああ、今の検査はそれも兼ねていたんだ」
そう言うとスチームさんはタブレット端末を取り出して説明を始める。はて、実技試験の前にも身体能力テストのついでに健康診断をしたけど、追加で調べる事でもあったのだろうか。
「NAROの隊員として仮登録するにあたって、堂島ジョセフ平八郎さんの情報を登録したいのですが……あなたは戸籍上は男性ですが、遺伝子的には女性ですね」
「え、あ、はい」
スチームさんは誰が見てもわかる当たり前の事実を伝えた。いつかはバレると思ったけどまさかこんな早くにバレてしまうなんて。これはどう切り抜ければいいのだろう。
「そんなに怯えなくていいわよ。NAROの隊長にはトランスジェンダーの人もいるから」
「え? そうだったんですか?」
だけどその不安はすぐに解消される。どうやら今私はそういう訳アリの人と勘違いされているらしい。それはそれでちょっと困った事にはなったけど。
でも隊長にトランスジェンダーの人がいるなんて。やっぱり掘門倶楽部を摘発したあの隊員だけが例外だったのかな。
「基本的に今の方針では身体的特徴で性別を登録する事になっているんだけど、手術する予定はないわよね」
「はい、今のところは特に」
「ごめんね、割とデリケートな事だけど私も関係者として呼ばれてて。最近は訴訟対策でその辺りがややこしくなっててね」
あらぬ誤解はまだ続き彼女は私の意思を確認した。うう、エマの優しい気遣いが辛くて仕方がない。でももしここでフタナリになります、っていったらどうなるんだろう。今は大抵が違法になっている同人誌って奴のネタになるのかな。
「それじゃあ女性で登録するわね。それで名前はどうする? うちは通称の使用も認めているし、それで登録出来るけど」
「通称ですか?」
「ええ。結構いるわよ、トランスジェンダーの人とか変な名前の人とか。一番多いのは結婚して苗字が変わった人だけど」
「あれ、法律が変わって確かそういうのって大丈夫だったはずじゃ」
「そうね。でも割と海外でも夫婦同姓にこだわる人は多いのよ。特に今は戦時中だし。民族的なアイデンティティとか、死んでも名前を残したいとか、家族の連帯感とかでね」
スチームさんは通称にまつわる事情を教えてくれた。名前は重要なアイデンティティではあるけど今は個人識別番号で事足りる。悲しいかな、結局のところ私達を定義付ける情報は今の時代では皆平等に番号だけなんだよね。
「じゃあ……仲村渠ヒカリでお願いします」
「なかなか個性的な通称ね。ええ、わかったわ。じゃあそれで登録しておくわね。ただ正式には堂島ジョセフ平八郎だから、書類とかを書く時はそっちにしてね」
「わかりました」
私は堂島ジョセフ平八郎という名前がしっくりこなかったので本名で登録する事に決めた。もしも名前をきっかけにスパイである事がバレても、その時までに目的を達成すればそれで事足りるだろう。
というか遅かれ早かれバレるだろうし、今こうしている間にもイルマがひどい目に遭っているかもしれない。一刻でも早く助けるためにも思い切って行動したほうがいいだろうな。
ヨンアは……力を借りたいけど巻き込みたくないからあまり頼り過ぎない様にしよう。元々彼女に迷惑をかけないために私が潜入する事になったわけだし。
「うん、登録完了。しばらく休んだら説明会があるから出席しておくんだよ。場所は試験会場と同じだからわかるよね」
「説明会?」
「ポリコレと多様性についての研修だよ。ヒカリはトップの成績だったから質問されると思う。まあ……覚悟してね?」
「あ、はい……どぅえええ!?」
そしてエマはまたしてもさらっと爆弾発言をする。トップの成績、それは脳筋の私にとっては全く馴染みのない単語だった。
いやいや、それよりも質問って。覚悟してねってなんなの。答えられる自信が全くないんですけども!?
……………。
休憩を終えたヒカリがいそいそと医務室から出て行った後、部屋に残ったスチーム・ヤマグチとエマは眉間にしわを寄せて彼女の検査結果を眺めた。
「何度見ても異常な数値ね。どう考えても彼女は普通の人間じゃないわ。本来なら全治二週間程度の怪我だっていうのに」
彼女は試験の際オートバイや街灯を振り回して戦っていた。人間は窮地になると本領を発揮すると言うがそれでも限度はある。
「それの何が問題なのでしょうか。ドーピングで強化され人間の限界を越えた人は割といるはずですよ。近々ゲノム編集したクローン兵士も正式に戦地に投入されるそうですし」
NAROには様々な経歴を持つ人間がおり、脛に傷を持つ人間も珍しくはない。エマはこの後下される命令を予想し憂鬱な気持ちになってしまった。
「そうだけど……エマ、少し彼女を探ってくれないかしら。こういうのはあなたの得意分野でしょう」
「命令ならばもちろん調べますが」
やはりスチームはヒカリを不穏分子の可能性があると認識してしまった様だ。彼女の人となりを知ってしまったエマは乗り気ではなかったが、そういった汚れ仕事をするのも自分の役割だと割り切る事にした。
(ヒカリ。私はあなたを信じたい。だからあなたも私を信じさせてね)
けれど根拠もなく相手を信じる事はただの妄信だ。エマはヒカリという人間を心の底から信じるため、いつもの様に地味なモブキャラとして暗躍するのだった。




