2-71 NAROへのスパイ作戦の準備
NAROへの潜入作戦を決行するにあたり、まず必要な事は別人に成りすます事だった。禍悪巣亭の裏手にあるガラクタ置き場には仮設の散髪屋が出来、チクタ君はブルーシートを羽織った私の髪をチョキチョキと切っていく。
「こんな感じでいい?」
「むむー。なんかしっくりこないなあ」
理髪師チクタ君の匠の技で、私の髪はボーイッシュな少年っぽい魅力あふれるものになってしまう。チクタ君は手鏡を動かして左右や後ろの方を見せてくれたけど、スース―してなんか落ち着かない。
これはこれで悪くないけど、やはりオシャレとは無縁でずっと髪型を変えてこなかったからどうにも違和感がある。
「やっぱもう少し弄ってもいいかなあ」
「そう? やっぱり丸坊主とかの方が」
「そこまでしなくていいから! うん、これがいいな!」
だけどチクタ君はバリカンを取り出したので私は慌てて終了させる。街で見かける外国の人や同級生の中にはベリーショートの人もいるけど、流石にあそこまで短いのはちょっと勇気がいるし。
「さあ、今から君は脱走兵仲村渠ヒカリではなく、宮城の杜宮市の名士の家に生まれた堂島ジョセフ平八郎だ」
「ふむふむ、私は堂島ジョセフ平八郎か」
なお戸籍は鳳仙が用意してくれたもので、私は鏡に映る高級スーツを着た自分に堂島ジョセフ平八郎だと言い聞かせた。それにしてもいかにも名士って感じの強そうな名前だなあ。
「ああそうそう、彼は五城楼ってところでジャズ喫茶のマスターや商工会の会長をしていたという経歴はあるけど、今はその辺は気にしなくていいよ」
「うん、わかった。でもこの戸籍って元々堂島ジョセフ平八郎さんのものだったんだよね。ジョセフさんは何で戸籍を手放したのかな」
「そういう細かい事を気にしたら六天街じゃやっていけないよ」
「そっか……」
きっとジョセフさんは好きで戸籍を手放したわけじゃなく事情があったのだろう。それはやむにやまれぬのっぴきならない事情のはずだ。でも彼の言うとおり割り切るしかないんだろうな。
六天街から久しぶりに地上に出た私は、新鮮な外の空気を胸いっぱいに吸った。
ああ、綺麗な空気がこんなに美味しかっただなんて。雪が降る灰色の空でも無限に広がる空があるってこんなに素敵だったんだ。
『NAROはある程度の信用スコアがあれば入隊試験を受けられるけど、逆に言えば信用スコアが足りなければ資格すら手にする事が出来ない。だからこの偽造電子マネーで散財しまくるんだ』
「うん、わかってる。でもそんな便利なものがあるのにどうして今まで使わなかったの?」
『今までも使っていたよ。だけど使う前にひと手間必要だから自由に使えるわけじゃないし、こんなものを持っているなんて知られたらあちこちから悪い人が自分にも寄越せって可愛い僕をさらっちゃうだろう? 特に銀狼会あたりにはね』
「あんたなら返り討ちにしてそのままゲイの裏ビデオの業者に売り飛ばしそうだけど」
『とにかく簡単にバレる事は無いし、お金を受け取った側も損をする事は無い。六天街へのお土産も買っておくといいよ』
鳳仙は小型イヤホンから指示を出し、私は富裕層が多く集まる地域へと移動する。この辺りは信用スコアが低い人が住むエリアなので、買い物だけで信用スコアを上げるにはまずハイソなお店で爆買いをしなければならない。
ただ今は大規模なドローン爆撃の後なので交通網は寸断されており移動するだけでも一苦労で、爆撃や老朽化した水道管による陥没のせいで道路は機能していない。
略奪をしていた人も奪う物が無くなり、仮設の闇市では数少ない食糧を高値で取引しながら食いつぶしていた。
一応様子見がてら駅の方に行くと、周辺は県外へ脱出をしようとする人達でごった返している。警察やNAROはどうにか混乱を収めようとしていたけど、人の波は抑えきれず暴動の様になっていた。
「邪魔だ! 押すんじゃねぇ!」
「(何で電車が動いてないのよ!)」
「金は払うから!」
もしも地球が終わるのならばこんな光景があちこちで繰り広げられるのだろう。自分の身が可愛いのは全ての人に共通する。ましてや特に日本に対して愛着がない出稼ぎ労働者や最近来たばかりの移民の人はなおさらだ。
彼らは日本が安全で豊かだったからやって来たのであって、その前提が崩れた以上日本に留まる特段の理由はない。どうせ死ぬのなら縁もゆかりもない異国の地よりも故郷で最期を迎えたいというのもわかる。
外国人が嫌いな人は喜ぶだろうけど、それは一時ですぐに大変な事だって気付くだろうな。復興支援地域に派遣されている人の中には外国人もかなりいるから、兵隊や労働力が減った分を日本人から賄わないといけなくなるだろうし。
経済が悪化すれば必然的に人生の選択肢は狭まれる。自分には関係ないと思っていた人達も、私の様に望まずして半ば強制的に復興支援の名目で戦場に行く事になるのだろう。
「乗せてよ! お客様は神様でしょ!?」
「その値段じゃあ無理だな。こっちも命懸けだし」
「ざけんなッ!」
群衆はせめて割高なタクシーに乗ろうとしたけど、運転手は足元を見て値段を釣り上げた。稼ぎ時だから欲張りたいのはわかるけど、ちょっと人としてどうなのかなあ。
「すみません、タクシーお願いします」
「金は」
「相場の百倍出します。前金で」
「「ッ!?」」
だけど私はタクシーに近付き偽造電子マネーを見せ有無を言わさず入金する。周りの人は馬鹿げたセレブにどよめいていたけど、堂島ジョセフ平八郎になりきった私は涼しい顔で乗車した。
「行き先は? 空港でいいですか?」
「いえ、崎陽市のキンデルデパートでお願いします。ショッピングを楽しみたいので」
「は、はい? わかりました」
運転手さんは当然県外へ脱出しようとしていると思っていたみたいだけどそのトチ狂った答えに驚いてしまった。ただ向こうもプロの運び屋、お金を渡せばすんなりと依頼を引き受けてくれた。




