2-70 イルマを助けるためにスパイになろう
――だけど、私は諦めたくなかった。意地でも抗いたいと強く願った私は思ってもいない言葉を口にしてしまった。
「イルマを助けよう。私がNAROに潜入してどこにいるのか探ってみるよ」
「「え?」」
おそらくここにいる皆がこう思っただろう。いやその理屈はおかしいと。でも私のポンコツな脳味噌はこれを最適解として導き出したんだ。
「いやいや何でそうなるの。本気でござるか?」
「うん、本気!」
ニアちゃんは勇気を出して馬鹿げた意志を確認し、私は一点の曇りもない眼でそう答え彼女は頭を抱えてしまった。
「え、ええと、ヨンアちゃんはどう思う……?」
デンジャー先輩はおろおろしながらヨンアに助けを求める。きっと口下手な自分の代わりに上手く断って欲しいと、そんな事を期待していたのかもしれない。
「いいんじゃないかな。協力してくれる内通者が欲しかったし。ヒカリなら二重スパイの心配もないし丁度いいね」
「わあ! ヨンアならそう言ってくれると思っていたよ!」
「ええー」
けれどヨンアは思いのほか好感触で私の意見を採用し、最後の砦があっさり陥落してしまったのでデンジャー先輩は物凄くガッカリしていた。
「でも潜入して探すって言ってもどうするのサ。言っちゃあなんだけど普通に探せばいいんじゃないのカ? ヨンアなら普通に調べられそうダケド」
ただゼンは誰でも思いつきそうな事を言って、私もしばらくしてから冷静になってその通りだという事に思い至った。
しかしヨンアはいいや、とすぐに否定する。
「確かにNAROのデータベースにアクセスすれば捕まった人間が今どこに収容されているのかすぐにわかる。ただイルマは特殊指名手配犯だから少し骨が折れるだろうね」
「特殊指名手配犯?」
彼女が言った特殊指名手配犯という単語がいまいちわからなかったので、私は頭の中でその意味を考えてみる。
何となく特殊な指名手配犯だという事はわかるけどそれはどういう意味なのだろう。ひょっとして物凄く悪い人間って事かな。イルマは銀狼会の総統だしその可能性は十分にありうるけど。
「特殊指名手配犯って言うのは扱いが特殊な指名手配犯の事だよ。特殊指名手配犯は逮捕された事も公表されないし罪状も明かされない。戸籍から何から何まで存在していた痕跡ごと消されるの」
「え、なんでそこまでするの? むしろ大物を捕まえたらアピール出来るのに」
「理由はいろいろあるけど、基本的に政府にとって都合の悪い人間が特殊指名手配犯になる。だからある程度の権限がないとどこにいるのか調べられないんだ。生存しているかどうかもね」
「むう、そうなのか」
よくわからないけど特殊指名手配犯はすっごい悪い人って事なのかな。イルマは悪人だと思っていたけど私が思っていた以上に悪い子だったんだ。
「私は一応隊長だから時間はかかるけどもちろん調べられる。ただ上手くやらないと怪しまれて今後の活動に支障が出るかな。困るのが私だけならいいけど、私はいろんな所にあれこれ融通しているから」
「要するに保身のためにやりたくないって事なのかい?」
「そういう言い方はちょっと」
懸念事項を伝えたヨンアに鳳仙は嫌味ったらしく質問する。彼女の言っている事は正しいのに、私はその指摘に腹が立ってしまった。
「どっちみち救出作戦を実行して収容所にカチコミをしたら一発でお尋ね者になるから意味はないけど……ヒカリがこっそりアウトな手段も使いつつデータベースを調べて救出作戦を実行する分には問題ないかな」
「ええと、でもそんな事をしたらヒカリちゃんが」
ヨンアの言いたい事は私が代わりに汚れ仕事をするというもので、デンジャー先輩は不安そうな顔になってしまう。
その方法を取ればヨンアは何も問題ないけど、私が全てのリスクを負う事になる。普通はそんな割に合わないアイデアに賛成する人はいないだろう。
「私はそのつもりだけど。元々脱走兵だから失うものなんてそんなにないし」
ただ私はそこまで気にしてはいなかった。いつの時代もそうだけど、戦時下において兵士の脱走は射殺されても文句は言えない重罪だ。
つまり脱走兵である私は既に非国民にして極悪人であり、指名手配犯になった所で痛くも痒くもなんともないのだ。
「とにかく私がササッとNAROに潜入して、ササッと情報を調べて、ササッとイルマを救出してトンズラすればいいんだね」
「そゆ事。鳳仙のバックアップも必要だけどいいかな」
「僕は構わないよ。潜入に使えそうなものを用意しておこう」
とどのつまり必要なのは度胸だけだ。上手くいくかわからないけれど行動しなければ何も変わらない。こういう未来を掴むための粉骨砕身の覚悟なら大歓迎だ。
「無茶するねぇ、ヒカリも」
「誉め言葉として受け取っておくよ。ノミコちゃんも宜しくね」
「はいはい。影ながら応援してるよ」
影の中を自由に出入り出来るノミコちゃんは最大の味方になってくれるはずだ。もしも彼女の様なスパイがいれば、きっとスパイ映画の主人公もびっくりな無双をしてしまうだろう。
「でもどうやってNAROに潜入すればいいの? 私は正攻法で入隊しようかな、って考えてるけど」
「NAROは常に入隊試験をやってるよ。簡単な健康診断と筆記試験と身体能力テストをクリアして、実技試験を突破すれば誰でも入隊出来るかな」
「筆記試験かあ……身体能力とか実技は軍事系だから多分大丈夫だけど不安だなあ」
「基本的に武器の扱いがある程度出来る事が前提で、実技試験でかなりの数がふるい落とされるから合格者はそんなにはいないけど。あ、もちろん信用スコアも必要だけどそっちは気にしないで」
私はヨンアの説明で筆記試験があると知り困ってしまう。元々脳筋の私はバカだったから軍事系の学校に行く事を余儀なくされたわけだし、難易度によっては最初にして最大の障害になってしまうかもしれない。
「筆記試験は実質日本語と思想のテストで、レベルは小学生でも解けるくらい滅茶苦茶簡単だから問題ないよ。日本の首都はどこですか、とかそれくらいのレベルだから」
「そっかあ、なら問題ないね」
ちなみに日本の首都はどこですか、という問題は実際に少し前に某組織の公務員の試験で出た問題だとかなんとか。勇猛果敢馬鹿丸出し、草はつけても公務員とは言うけどそのレベルなら問題ないだろう。
「ちなみに答えはわかる?」
「もう、ノミコちゃん。いくらなんでも馬鹿にし過ぎだよ。埼玉だよね!」
「ノミコ、いざって時はカンニングをお願い」
「うぃ。最初の時みたいに心の中で会話が出来るから本当にヤバくなったら助けるね」
私はドヤ顔で答えを告げると、ヨンアは呆れながらノミコちゃんにスパイとして最初のミッションを伝えた。あれ、何で皆こんな顔をしているんだろう。
「ただ試験は何とかなるだろうけど問題は思想だよね。NAROは最低限の信用スコアさえあれば来るもの拒まずだけど、その辺がかなり厳しいから」
「……思想かあ」
ただ入隊試験において最大の難関は思想のチェックだろう。もちろん思ってもいない事を答えれば簡単に突破出来るけど、嘘だとしても自分という存在の根幹にかかわる事を否定したくなかった。
鳳仙と揉めたあの隊員は問答無用で同性愛者の人を殺そうとしていたけど、やっぱりああいう人がわんさかいるのだろうか。
もしもNAROに入隊すれば、殺すまでの事はしなくても何の罪もない人をポリコレや多様性に反する、反社会的で公序良俗に反すると断じて捕まえなくてはいけない。たとえイルマを助ける為でも私にそんなひどい事が出来るのだろうか。
「何を思っているのか知らないけど、むしろこれはチャンスじゃないかな」
「チャンス?」
けれど悩む私に鳳仙は奇妙な事を言った。彼自身もNAROに殺されかけたというのに、何故そう思ったのだろう。
「もしも君が助けたいと思う人間と遭遇したならばこっそり味方に引き入れればいい。ヨンアが今までそうしてきた様にね」
「え、そうしてきたの?」
「そうしてきたんだ」
「ちなみに私もその口ダヨ!」
その衝撃の事実に私が思わず尋ねるとヨンアは照れくさそうに笑い、彼女に助けられたゼンもにっこりと肯定した。ひょっとして彼女以外にも助けられた人が六天街にいるのかな。
「なぁんだ、そういう事なら」
「そういう事。イルマを助けるついでにアニメ制作の仲間になってくれそうな人を見つけてほしいな。どうせすぐにやめるわけだし徹底的に好き放題するといい」
「ふふ、スパイになればちゃんとその辺のノウハウを教えるよ。頑張ってね!」
「うん、堂々と胸を張って立派なスパイになるよ!」
「いやスパイが堂々とするのは。私もとばっちりを食らうから忍ぶ努力はしてね」
思い付きで口にしたアイデアだったけど皆がバックアップしてくれるなら問題ない。きっと大丈夫、上手くいくはずだ。
私は自分の力で未来を切り開けるんじゃないか、そう思い込む事で不安は得体の知れない高揚感へと変化していく。
それに根拠が一切無くても自分を信じて我武者羅に突き進むしかない。賢くない私はそうやって生き続けてきたのだから。




