プロローグ 夢が叶った、とある世界線のバッドエンド
雲一つない澄み渡る蒼穹に、世界の終わりを祝福する鉄と炎の雨が降り注いだ。
戦場のど真ん中にある閉店した葉瀬帆丸屋百貨店の昔懐かし屋上遊園地跡地に陣取った俺っちは、ミサイルと魔法が飛び交う青空の下で一升瓶片手に年老いたクマさんのアニマルライドに腰かけ、義眼の倍率を上げ激戦区となった市街地エリアを眺める。
現代兵器の筆頭である最新鋭の戦闘機は飛竜に噛みつかれ錐揉み回転をしながらゾンビの群れの中に墜落し、異世界軍主力のリザードマンたちは銃弾をものともせず果敢に進撃し大太刀を振り回すも、流石に迫撃砲には耐えきれず肉塊となってしまった。
しかし彼らが囮になっている間にクウガ忍軍は現代軍の拠点に侵入に成功する。連中がその事に気が付いた時には既に火薬庫や大量の戦車が爆破された後であり、武器を失った兵士は為すすべもなく暗器で喉笛を掻き切られ死んでいく。
NAROの機神兵部隊は異形の四本腕の巨人ガブリガルグにブチブチと激しく火花が散らしながら鋼の四肢を引きちぎられ、ハートキャッチよろしくコックピットに手を突っ込まれ中にいたパイロットは引きずり出される。
不運にも握り潰されたパイロットはまだ生きており、手足をばたつかせる虫の様に弱々しくもがいていたがそのまま頭頂部の大きく裂けた口内に放り込まれ、スナック菓子を食べるかの様に美味しく処分された。
きっとそこに存在していた全ての兵士に戦う理由が存在し、護るべき故郷や愛する家族がいたのだろう。しかしそんな事はお構いなしにあらゆる命あるものはあっけなく有象無象のモブとして死んでしまう。
感動的な最期の言葉はもちろんそこに物語的な道理は存在しない。ただの獣の食らいあいである。
人も異世界人もゾンビも、誰も彼もが声とも呼べない声を叫びながら互いの血肉を貪り、そこに最早人間は一人もいなかった。
何故ならこの戦いはフィクションではない本物の戦争だからだ。その理不尽な暴力は死亡フラグも生存フラグも無視して平等に与えられたのだ。
観光で栄えた趣のある葉瀬帆の街は赤黒い死体で埋め尽くされ見るも無残な姿に変わってしまった。この戦争が終われば長崎の人々が願い続けてきた永遠の平和は確かに訪れるものの、まったく皮肉としか言いようがない。
それにしても現代兵器とファンタジーの怪物、そしてゾンビ軍の三勢力が入り乱れて戦う様はなかなかカオスである。見た感じ戦況は拮抗している感じでこちらの事など眼中になさそうだ。
正直誰が誰と戦っているのか俺っちもよくわからない。だがそれはきっと戦っている連中も同じだろう。様々な勢力の思惑が複雑に絡み合った結果こうなってしまったわけなのだし。
ふと見上げた空には割れたガラスの様に大きな亀裂が入っていた。おそらく明日、いや今夜にでもこの世界は崩壊してしまうはずだ。
つまり今日は世界が終わる最期の一日というわけである。そういう時は大体家族と過ごしたり愛する人に想いを告げたりするものだ。もしくは気心の知れた親友と酒を飲んで馬鹿騒ぎするのもいいだろう。地球最後の日に何食べる、という定番の質問でありがちな寿司を食べるというのもいいかもしれない。そんな日に寿司を握ってくれる酔狂な大将がいるかどうかはわからないが。
無論こちらとしては勝手に戦ってくれているほうが都合はいいものの、こいつらは他にする事がないのだろうか。国家も世界も存在しない今最早この戦いには何の意味もないというのに。
なんとも馬鹿馬鹿しい気持ちになりながらも、俺っちは日本酒をラッパ飲みしてアルコールを補給した。
いつの時代も戦争に酒や麻薬は必要不可欠だ。正常な思考を奪い死ぬリスクがあるという多少のデメリットはあるものの、気分を高揚させ絶望を一瞬だけ忘れさせてくれる。
まったくもって哀れだったがその虚しさはただの安酒を美酒に変え、酒はこの耐え難い憂鬱な気分を癒す最良の薬なのだという事をその時改めて実感した。
もっともその結果、こんな常に酒を飲みアルコール漬けになったTS幼女オジサンが生まれたわけなのだが。
ともあれこの様子だともうしばらくのんびり出来そうだ。俺っちは余裕があるうちにタブレット端末で制作スタジオとビデオ通話をする事にした。
「智樹ちゃーん? そっちの進捗はどうよー」
『あ、希典さん! どうです、戦況は!?』
画面にはいつも以上に不健康そうな智樹の顔が映し出されており、ずっと気が気でなかったのだろう、待ち望んでいた俺っちからの連絡に食い気味にそう尋ねた。
「どうもこうも、皆そっちのけでお祭りの真っ最中だよ。異世界軍もNAROも秘蔵の秘密兵器をバンバン出してるね。そっちは、」
『うう、これ絶対間に合わないよー!』
『ギャー! 腕が、腕がァ!』
『ゴールだよ、もうゴールしてもいいよね……!?』
『パロッてないで手を動かそう! 納期は待ってくれないよ! 作画崩壊なんて認めないからね!』
『はは、いいね! 最高にロックだ! 最高の作品を作ろうじゃねぇかッ! 指が壊れても作り続けるんだッ!』
背景では鬼監督のヒカリ率いるアニメ制作チームが大騒ぎしており、どういう状況なのかは確認出来ないもののデスマーチの真っ最中である事は容易に想像がつく。
『ねえサスケ、どこに行くの?』
『え、いや、オイラも外で防衛に参加しようかなと……その結構ヤバそうなんで! きっとまれっちさんだけじゃ厳しいっす、ええはい!』
『安心しなよ、希典さんはそんなにヤワじゃないから。メカデザインが得意な君の代わりになる人間はいない。僕たちは彼を信じてアニメ制作に集中しよう。というか四の五の言わずに黙って手を動かせ、ナ? 納期は人命より重いんだよ』
『ひーん! アニメーターになんてなるんじゃなかったでヤンスー!』
助監督の鳳仙は逃げようとしたサスケを鎖で縛り上げ連行していくが、それ以前にもちろんこの過酷な仕事に対し給料は払われない。まったくアニメーターはブラックにも程がある仕事だねぇ。
「随分と楽しそうだねぇ」
『ハハ、まあ……はい。っていうかやっぱり酒飲んでるんですか』
「いつもの事じゃないの」
智樹は苦笑するも俺っちは何とも言えない虚しさを感じてしまい、その感情を誤魔化すために再びアルコールを胃に流し込んだ。
彼女たちの作業は確かに大変には違いないものの、全員その目は真夏の太陽の様にギラついている。その光り輝く瞳には確かに夢という概念そのものが宿っていたのだ。
『智樹さん、ここの演出で相談したいんですけど!』
『あ、ここは――』
それは死の淵に立つ智樹も例外ではない。原作者兼脚本担当の彼もまた残り少ない命の灯を夢の結晶を作るために使い尽くそうとしていたのだ。
だが俺っちはどうだろう。
見た目を幼女に変えてもだらしないのは相変わらずで、伸びた前髪を適当にゴムバンドでくくり、ヨレヨレの汚れた白衣という出で立ちは戦場である事を加味しても実にみっともない。世の中には様々なTSモノがあるだろうけれど結局中身がダメ親父だとこんな風になるのだ。
けれど今ここにいるのは死んだ目の酒に溺れたオッサンだった。いつしか自分はなりたくなかった大人になってしまい、かつて夢を抱いて仲間と共に走り続けていた日々を忘れてしまったのだ。
画面の向こう側の景色は別の世界の出来事としか思えずまるでテレビドラマを見ている様だ。俺っちも昔は彼女たちの様に光り輝いていたのだろうか。
「とりあえずこっちは物凄く暇だね。一応いろいろ兵隊は配置してるし俺っちだけでもなんとかなりそうかな」
『よろしくお願いします。すみません、面倒な仕事を押し付けて』
「構わないさ」
俺っちはその想いを悟られない様にいつも通り能天気に振舞い酒を飲んで忘れ去る。こうすれば余計な事を考えずに幸せな気分でいられるからね。
「およ?」
ぐうたら過ごしていると特大のミサイルが異世界軍の拠点に落下、懐刀の半魚人族で構成されたイムシマ水軍の伏兵部隊が何も出来ずに殲滅され、甚大な被害により戦況は一気に現代軍が優勢になってしまった。
もうちょっと頑張って欲しかったが仕方がない。あいつらはいつの時代もそういう残念系な立ち位置なのだから。
『どうしました? なんかすごい音がしましたけど』
「ちょっと行ってくる。すぐに終わらせてくるよ」
『わかりました。ご褒美の酒を今のうちに用意しておきます』
「うぃー。ほどほどに酔えればなんでもいいからね」
智樹もまたよろしくない状況になった事をすぐに理解し、俺っちがお願いする前にそう提案してくれる。
どうやら彼は俺っちという人間の扱い方を理解している様だ。まったくよく出来た教え子だよ。
アルコールは十分、これだけ脳が酔っていれば余計な事を考えずに思う存分戦える。この場所では感情を殺し機械的に相手を殺す事が求められるのだから。
「ここは俺が食い止める! とか古臭い主人公みたいな年甲斐のない事はしたくないけど、若人の夢を護るためにちょいと行きますかね」
酒を飲みほした俺っちは肉体を黒い泥に変化させ人としての肉体を捨てる。
古今東西の神話で共通して登場する星を、大地を、生命を作り出した万物の根源である原初の泥は周囲のものを取り込み巨大化し、鋼鉄の蛇神アラハバキへとメタモルフォーゼをした。
スクラップとガレキによって構築されたその姿は龍は龍でも屍龍の類であり醜悪で歪だった。いや、ゴミで出来ているので九頭龍ならぬ屑龍だろうか。既に敗北し夢を忘れたというのに未練がましくゾンビの様に生き続ける俺っちには実に相応しい姿ではあろう。
ただこんななりでも一応空を飛ぶ事は出来る。壊れた傘の骨組みみたいな翼でどうやって飛行するのかとかそんなツッコミはナシでね。
「そらそらそらッ!」
メインウェポンとなるのは背中からぶっ放す生体ミサイルだ。威力もさることながらバステの追加攻撃があり、着弾した場所の周囲にいる奴は直撃せずとも数分で死に至る。当然ガッツリBC的な条約には違反しているし、核兵器よりもタチが悪いので普段は非推奨だけれども。
程々に撹乱した所で深緑色の猛毒ブレスを吐きながら移動、気体による攻撃はどんな猛者であろうと回避不可能であり、異世界軍最強クラスの飛竜は殺虫スプレーで死ぬハエの様にボトボトと墜ちていった。
死の息吹は生きとし生けるものを全て腐肉に変え、戦車や機神兵の鋼鉄の機体をも朽ち果てさせる。我ながらチートにも程があるけど少しばかり絵面はよろしくないねぇ。
既に街は壊滅状態で致し方なかった事とはいえ流石に悪い事をしている気分になってしまう。こんな非人道的なチートはまず主人公には採用されないだろうね。実際最初の戦争で一線を越えちゃったから俺っちは闇堕ちしたんだけどさ。
「おっと」
どこからかミサイルが飛びケツのあたりに着弾するも、わずかにバランスを崩した程度でこれといったダメージはない。正確にはあるにはあったものの超速再生持ちですぐに傷が回復するので何も問題ないのだ。
バステの嵐とオート回復という組み合わせのボスキャラはいつの時代もゲーマーに嫌がられる。でもこれが俺っちの戦闘スタイルだから仕方がない。
世の中には様々なチートスキルを用いる主人公がいるものの毒系スキルは不人気だ。そりゃまあこんな正々堂々とはかけ離れた戦い方では大衆が嫌悪し侮蔑するのも仕方がないだろう。きっと機神兵の中にいる連中は生きながら腐り果て、血走った目をひん剥いて激しく痙攣して泡を吹き苦悶の表情で死んでいるに違いない。
ただ残念ながら実際の戦争はこんなものだ。基本的にドラマチックな事は起きず空爆や化学兵器の開幕ブッパで全滅し、いかなる屈強な兵士であろうと為すすべもなく一方的に蹂躙されてゴミの様に死んでいくものである。
重ねて言うがそこにフィクション作品の様な爽快さも痛快さも一切存在しない。ただただ陰惨な光景が広がるだけだ。
「何やってんだろうねぇ」
そしてこの地獄の様な光景を作り出したのは他ならぬ自分だというのに、それに対してこれといった感慨を抱かなかったのが何よりも虚しかった。
まあいい、帰ったら浴びるように酒を飲もう。俺っちはそう考え不幸にも生き残ってしまった敵を殲滅しに向かった。
さて、んじゃとっとと終わらせるかね。ラストバトルが一方的な虐殺っていうのもなんかアレだけど。
見境なく殺して殺してまた殺して、本当に何やってるんだろうねぇ、俺っちは。
若い頃はこういう極悪非道な事をする奴を打倒するために英雄になったのに、今ではすっかり自分自身が魔王になってしまった。きっとゲームなら俺っちがラスボスになるんだろうねぇ。この世界で起きた良くない出来事は大体俺っちのせいだしさ。
気の済むまで虐殺をした所で制作スタジオに戻るとこちらもまたデスマーチ明けで死屍累々となっていた。しかし誰も作業をしていないという事はもうアニメは完成したのだろう。
だがこちらからは陰惨さは一切感じられない。そこにいた誰もが充足感に満ち溢れ、全てを受け入れ天国に旅立つ老人の様に美しく微笑んでいたのだ。
「てろーん。私頑張ったよねー?」
「よしよし、頑張った頑張った」
ソファーの上では使命を果たしたヒカリが親友のヨンアに膝枕をしてもらい存分に甘えていた。命を使い人生最期の大仕事を無事に成し遂げ、お互い涙目で喜んでいる様だ。
「相変わらず仲の良い百合コンビだねぇ。お疲れ様」
「はい、やりきりました。やりきっちゃいました。ついにやりきっちゃいました……!」
「そっかあ。それは何よりだね」
とりわけ発起人であるヒカリは感極まっており、その言葉を告げた時堰を切った様に涙が溢れてしまった。
こんな素敵な涙を見せられてしまえば自分の手を汚した甲斐もあったものだ。彼女はかつて自分を救ってくれたアニメという文化にとりわけ強い想いを抱いており、俺っちもそんなヒカリの夢をずっと応援し続けていたので嬉しいよ。
「それよりも皆希典さんの帰りを待ってましたよ! 早速試写会を始めましょう! ほら、ヨンアも急ごう!」
「うぃー」
「うん!」
けれど完成系を見るまでがアニメ制作だ。ヒカリは勢いよく身体を持ち起こしそう告げ、俺っちたちは彼女たちが魂を込めて作り上げた人生の集大成となる作品を視聴するため場所を移動する事にした。
これ以上待たせるのもよろしくないので封鎖された市内の映画館へと移動しつつ、俺っちは周囲の状況を目視で確認した。
ほとんどの敵はここに近付く前に俺っちが倒しておいたが、撃ち漏らした敵を仲間が殺してくれた様でちょいちょいその辺に死体が転がっている。
しかしこれといった特筆すべき情報はない。俺っちは何の感情も抱かずただ人が死んでいるという事実だけを認識した。
「敵は全員死んだぞ。まれっちのおかげでな。だからもう好きなだけ酒を飲んでいいぞ」
「うぃ」
念のため観察し続けていると空から翼を羽ばたかせザキラが降りてくる。最先端の偵察ドローンよりも優秀な彼女の鷹の目で確認したのならその言葉に嘘はないのだろう。
「随分と浮かない顔をしているな。お前はアタシたちの夢を護ってくれた最大の功労者だ。もっと誇っていいんだぞ」
「うーん、その辺に死体があってまあまあ血とか煙の臭いがするのに誰も反応してないのがなんかね。特に子供が」
「それがどうしたんだ?」
「そうだね、今更だ。これはいつも通りの光景だね。全員視界に入れてもただその事実だけを認識し何の感情も抱いていない。それは年端もいかない子供も例外じゃない」
俺っちは不思議そうな顔をするザキラにそう告げ、やるせない気持ちではしゃぐ子供たちを眺めた。
子供たちはずっと楽しみにしていたアニメの上映会に胸を躍らせ眩い笑顔で楽し気に駆け出している。死と隣り合わせの世界で生きてきた彼らからすればごくごく自然な日常の風景なのだから当然だろう。その事は嫌という程理解していたもののやはり心苦しいものはある。
「こんな残酷な笑顔を護るために俺っちは戦ったわけじゃないのにさ。戦争っていうのは始まった時点でもうどっちも負けてるんだよね」
「そうだな、アタシたちはとっくに負けていた。だが割り切るしかないんだろうな」
「そうだよねぇ。わかっちゃいるんだけどさ……まあいっか。さっさと映画館に行こうかね。ザキラはどうする?」
「アタシはもう少し偵察を続けておく。まれっちは先に映画館に行っていいぞ」
「うぃ」
これ以上考えればまた不味い酒を飲んでしまいそうなので、俺っちは強引に自分で始めた会話を中断させる。
ザキラは再び空へと戻り、俺っちは映画館目指し無心で歩き続ける。
だがふと道路に視線を向けると、談笑するカップルらしき若者を荷台に乗せた軍用トラックが死体に乗り上げ、揺れで思わず彼女が抱き着き照れくさそうにしている姿を目の当たりにしてしまう。
俺っちは無意識のうちに使い古した金属のボトルを取り出し強めのウィスキーを一気に飲んだ。百薬の長は身体をポカポカと優しく温め、理性を破壊し脳を溶かす程に幸せな気分にしてくれた。
しばらくすればこの酔いもすぐに覚めてしまうだろう。だがその時はまた酒を飲めばいいだけだ。
今更精神や身体が壊れる事は無く急性アルコール中毒で死ぬ事もない。それにもしそうなったらそうなったで願ったり叶ったりである。
イマイチテンションが上がらないまま映画館に移動すると、観客席では薄暗い中アニメの上映を心待ちにしていた人々がいた。
多くは制作に関わった身内ではあるものの客層は肌の色や国籍、現代異世界と様々で随分と国際色豊かだった。アニメに国境はないとはいえグローバルにも程がある。
正直さほど作品自体に興味はないもののこの世界線での最期の戦いは終わった。俺っちはちゃんとエンドロールまで見るタイプなので酒でも飲みながら映画を見るとしよう。それがクリエイターに対する礼儀だからね。
「いよいよだな、トモキ」
「……ああ、しっかりと見届けるか。俺の人生の集大成を」
映画が始める直前、猫耳パーカーを着た自称ナーゴ族の少女リアンと智樹の国際カップルもまた特別な気持ちで銀幕を眺めていた。
リアンは左腕の義手で彼の手を握りしめ、智樹は一瞬繋がれた手に視線を向けるが、それ以降は最期の瞬間を見届けるために片時も目を離す事はなかった。
ただそのやりとりのニュアンスはどちらかというと友情っぽかったので、結局この世界でも恋愛フラグは成立しなかったらしい。
紙カップの酒をチューチューと飲みながら俺っちもぼんやりと眺める事数分、ようやくアニメ映画が上映される。
そのアニメ映画は三十分程度の作品で、いつぞやか智樹が書いた短編小説をベースにした作品だった。
簡単にあらすじを説明すると恋愛関係のもつれから誤って友人と思い人を死に至らしめた少年が、古くから伝わる禁じられた儀式を用いて罪を償うために自らの存在や記憶と引き換えに二人を生き返らせるというちょっぴり切ない物語である。
俺っちは酒を飲みつつ観客の様子をうかがう。いわゆる感動系の作品なので観客の中には静かに涙を流している人もいた。もしかしたらこの戦争で亡くなった彼らの大切な人を思い浮かべているのかもしれない。
この作品は現代と異世界の様々なバックボーンを持つ人間が協力して作り上げ、観客の人々もまた困難を乗り越え互いに手を取り合う事を選択した人々ばかりだ。彼らはアニメを通じて感覚を共有して心を一つにし、その時ほんの一瞬だけこの残酷な世界は優しくも寂しそうな笑みを浮かべてくれたのだ。
感情の詳細な機微を表現する演出や幻想的なBGMも悪くない。少し前までズブの素人集団だった連中が作ったにしてはよく出来ている。俺っちもそれなりにサブカルには造詣が深いけれどなかなかの出来栄えであると言える。
だが、それだけだ。
きっと若い頃は鼻水を流しながらみっともない顔で号泣していたのだろう。けれど歳をとるにつれていつしか心が動かなくなって泣く事を忘れてしまい、どれだけ感動的なアニメやゲーム作品と出会ってもほとんど何も感じなくなってしまったのだ。
それは現実だから、作り物だから感動出来ないという話ではない。この腐敗した魚の様な灰色の眼ではもう何を見ても魂が震える事は無いはずだ。
記憶を消してもう一度見たい作品は何か、という議論があったりするが、叶う事ならば全ての記憶を無くして最初から人生をやり直したいものだ。異世界転生とかそういうのじゃなく全てまっさらな状態で。
ああいうのに憧れる連中は何も知らないのだろう。限りある命がある喜びを。終わる事が出来る幸福を。孤独に生き続け永遠の苦しみを味わい続ければその事を嫌でも理解するというのに。
ただ、智樹やヒカリが号泣しながら自分たちが作り上げたアニメを見ていたのが唯一の救いだった。色々あったけど人生の最期に今までの苦労が報われてよかったねぇ。
いつしか二人も俺っちの様に夢のない大人になってしまうのだろうか。無論もうすぐ世界が終わってしまう以上虚しい妄想でしかないのだけれど。
試写会が終わり市内の敵もあらかたぶっ倒してする事が無くなったので、俺っちは居住スペースである天文台の拠点に移動し、壊れた夜空の星を眺めながら最期の晩酌を楽しんでいた。
やる事が何もないのは他の連中も同じな様で思い思いに過ごしている。大体は家族や友人、恋人と穏やかな時間を過ごしていたが俺っちはもちろん独り酒だ。
今のご時世つまみはロクなものがないものの、今日は最期の一日なのでアイゴの干物というリッチな一品をチョイスした。
毒があり見向きもされない未利用魚でもちゃんと処理をすれば美味しくなる。余韻が残っているうちにカストリ酒を流し込めば口いっぱいに魚の旨味が広がり、ずっとヤケ酒を飲んでいた俺っちはようやく楽しい気分で酒を味わう事が出来たのだ。
「カストリ酒か。最期の日に飲む酒にしては随分とショボいな」
「もっといい酒持ってませんでした? てっきりそっちを飲むのかと」
ただ残念ながらお節介なリアンと智樹は俺っちに話しかけてしまう。今は誰とも言葉を交わさず静かに酒を楽しみたかったが仕方あるまい。
「俺っちは人生が終わる時にはカストリ酒か赤星を飲むって決めてるのさ。秘蔵の酒を飲みたきゃ勝手に飲んでもいいよ。俺っちからのご褒美だ」
「お、マジで!」
「うーん、俺は一応未成年ですし遠慮しておきます」
「いいじゃねーか、こっちの世界じゃ合法だし。ガンガンアウトな事して酒は飲まないとか今更だろ」
「それはそういうものだからとしか言えないからなあ。俺達の世界じゃ殺人や強盗はセーフでも未成年の飲酒や喫煙にはうるさいんだよ。あ、フィクションの中でだぞ。でも希典さんは死ぬ時に慣れ親しんだものを食べるタイプなんですね」
「ああ。俺っちも若い頃はダチと夢を語りながら闇市の飲み屋でカストリ酒を飲んで、時々奮発して赤星の缶ビールを飲んだものさ。大人になって高い酒をいくらでも飲めるようになったけど、やっぱりあの酒が一番旨かったねぇ」
それにしてもいい夜だ。広大な宇宙に広がる優しい闇はあらゆる矛盾を肯定し人の全てを受け入れてくれる。
やはり俺っちは光の当たる世界よりもこうして静かな夜に寂しく飲む方がいい。そうすれば楽しかった昔の事を少しは思い出せるからね。
「んで? 智樹ちゃんは何で俺っちとおしゃべりしてるの? まさかまれっちエンドとかそういう血迷った奴じゃないよね。リアンちゃんもだよ、智樹ちゃんとヤらないの?」
「ちょっ」
「うーん、オレにとってトモキは相棒っていうかそういうのじゃないからなあ」
俺っちはまあまあなセクハラ発言をするもののリアンは軽くいなしてしまう。ウブな智樹はまだしもこの微塵も照れていない様子だと本当に脈はないのだろう。
「それにあなたが私の事を見てくれなくてもいいの! みたいな都合のいい女じゃないからさ、オレは」
「ハハ……ごめん」
そう答えたリアンは頬を膨らませジト目になり、智樹は気まずそうに眼をそらしてしまう。どうやらこの世界ではあのイベントを起こして見事にフラグをへし折った結果友情ルートになったみたいだね。
「まあ恋愛云々は次の世界の楽しみに取っておくよ。でもそこまで嫌ってわけじゃないし……よし、ちょっと今から一緒に多目的トイレに行こうぜ!」
「いやそんな連れションみたいな感覚でするなよ!? せめてムードのある雰囲気の良い場所にしてくれ!」
「ちぇー。でももしこの世界の事を覚えてたら今度は間違えるなよ。オレはなんだかんだでお前の事が好きだったからさ」
「うぐっ、そ、そっか……」
リアンはいつも通り男友達の様にからかった後半分くらいの告白をし、不意を突かれた智樹は顔を紅潮させ照れ笑いを浮かべてしまう。うう、ゲボが出そうなくらい甘ったるいね。
「でもどうすっかなー。世界終わるのかー。まれっちの秘蔵の酒を飲んでもいいけどなんかする事あったっけ? こういう場合何するんだ? サスケは何かしたい事あるか?」
「そうっすね、野球はどうでヤンスか?」
「それもうあるから」
彼女は舎弟のその辺にいたサスケに尋ねるも野球は別の人がやっているので没になってしまう。どうでもいいけど野球とヤンスって語尾のせいで一瞬足が速くてチャンスに弱いあいつが脳裏によぎったけど、特に掘り下げないでおこう。
「それじゃあ黒○げ危機一髪はどうでヤンス?」
「あいつに人生最期の日の大役を任せるのは荷が重いな。よし、モリン。ちょっと踊ってくれ」
「え、私ですポ? は、はい! じゃああれやりますポン!」
「ポン!」
結局満足のいく答えが返ってこなかったので、リアンは続いて家族とのんびり過ごしていたマミル族のモリン一家に絡んだ。タヌキたちは無茶ぶりをされるも一生懸命考え、懸命に短い手足を動かし伝統芸となったダンスを踊った。
左右に移動しながら腕をぐにぐに動かしパンッ、もひとつパンッ、手を広げて溢れんばかりの群馬への愛を表現して。この前衛芸術に何の意味があるのか考えてはいけない、感じるのだ。
「何それ」
「リーボルトに古来より伝わるイモリの舞ですポン。どうですか!」
「時間を返せ」
「ポン~」
「しょんぼり~」
「ま、まあ可愛かったから良かったと思いますよ」
自分が無茶ぶりしたくせにリアンはMPが吸い取られそうなダンスを酷評し、智樹は慌てて落ち込む恩人と子供たちのフォローをした。
「なんか楽しそうな話してるね。鳳仙はやりたい事ないの?」
話を近くで聞いていたヒカリはヒカリ編のメインヒロイン(?)である鳳仙に尋ねる。彼はふむ、と考え武器にも用いる細い鎖を取り出した。
「そうだね、じゃあヒカリを縛って吊るしたいな、逆エビ反りスタイルで。じゃ全裸になってよ」
「嫌だよ!? 本当にブレないね!? なんで世界が終わる瞬間に緊縛プレイをしなくちゃいけないの!? 私そういう性癖ないから!」
「またまたあ、君もこういう答えが返ってくるってわかってたくせに。ほら、年越しにジャンプして空中に浮かぶ人がいるじゃん。ああいう感じでやってみたら楽しいかもよ」
「緊縛プレイって限られた紳士淑女が楽しむものでそういう皆でワイワイ楽しむ娯楽じゃないよね!?」
小悪魔男の娘の鳳仙は相変わらず性癖を押し付けようとするも清純派系おバカなヒカリは全力で拒否した。ただ分岐によってはエロ漫画みたいに堕ちる展開もあったし、物凄く辛抱強く説得すればその願いは叶うだろう。ヒカリもカマトトぶってるけどその素質はあるからねぇ。
「もう、私の可愛いヒカリを汚さないでよ。ヒカリは鳳仙と違ってそこまで緊縛プレイへの愛はないから。バランスボールとかはいいけど脱ぐのは駄目なの」
「むう、仕方ないか」
「おかーさん、このひとたちなにいってるのー?」
「これはアンジョの方々の高尚なやりとりだポン。どれだけ考えても理解出来ないから気にしなくていいポン」
「そっかー」
ただ残念ながら親友のヨンアからグラビアアイドルの様なNGを出され緊縛プレイは拒否されてしまう。しかしどいつもこいつもここに子供がいるという事を忘れてはいないだろうか。
「そうだ、写真でも撮ろうよ!」
「写真かあ。うん、いいね!」
そしてようやくヨンアからまともな答えが出てきた。ヒカリは実に終末っぽい健全で感動的なアイデアにすぐに納得する。
「えー、普通過ぎない?」
「まあいいんじゃない、若者らしくて。大体もうそんなに時間はないし。データとして保存したいのならさっさとしてね」
「うん! ほら、写真撮るからみんな集まって!」
俺っちがそう伝えるとヨンアははしゃぎながら手を振りその場にいた関係者を全員集めた。最終決戦までに生存したメンツは全員揃っているし、クライマックスでやるには悪くないだろう。
「オレたちも行くか」
「ああ」
「はいでヤンス!」
智樹チームもエンディングのイベントスチルを撮影するために撮影場所に向かう。だがその様子を眺めながら酒を飲んでいるとヒカリがすぐに戻ってきてしまった。
「ほら希典さんも! あなたが一番の主役ですから! もう時間ないですし!」
「主役? 俺っちが?」
彼女はそんなおかしな事を言い俺っちの手を引いて強引に撮影場所に向かう。そしてあろう事か俺っちはそのまま中央のポジションに配置されてしまった。
「ちょ? いや俺っちは」
「いいからいいから!」
「はい、ポーズ決めて!」
この場所にいるべき人物は俺っちではない。けれど断る間もなく、そのままタイマーを押して戻って来たヨンアがヒカリに抱き着き、横から押し倒されそうになった瞬間に写真が撮られてしまった。
「むぎゅ」
「ふぎゃ!」
「おおう、大丈夫ですか?」
で、もちろんそのまま花の女子高生コンビに押し潰されてしまい、智樹に笑いながら心配されてしまう。
「いやなんでこうなるの? ここはヒカリちゃんか智樹ちゃんでしょ」
中身はオッサンとはいえ別に興奮はしない。というよりも困惑のほうが勝ってしまった。俺っちはとっくの昔に主役の座を降りた脇役だというのに。
「何言ってるんですか。夢を叶えられたのは希典さんのおかげです。あなたのおかげで私たちの人生は報われたんです。この夢の結末はあなたがくれたものですから」
けれどヒカリはその態勢のまま感謝の言葉を述べた。確かにあれこれサポートはしたもののそれは最低限であり、そこまでの事をした覚えはないんだけども。
「ええ、俺も希典さんには感謝してます。ただ死ぬのを待つだけだった自分が手にするには大き過ぎる幸せでした。本当にありがとうございました」
「智樹ちゃんも」
続けて智樹もまた俺っちに深々と頭を下げて感謝した。二人のサポートをしたのは目的があったからで、そんな感謝される筋合いはないんだけどねぇ。
でもそっか、感謝されるのも悪くはないね。少なくともこの世界では二人の夢を叶える手伝いが出来たわけだし、俺っちも報われたのかな。
「あはは、でも終わっちゃうのかあ」
「だねぇ」
ヒカリはごろんと転がり仰向けになって星空を眺め、俺っちも真似をしてみる。なんだか青春しているみたいでこっ恥ずかしいけどさ。
夜空には昴とそれを取り巻くように無数の星々が瞬いていた。けれどいくら手を伸ばしても届く事は無く、その輝きを手中に収める事は出来ない。
「また会おうね、ヒカリ。次の世界の僕にもよろしくね」
「うん。いろいろあったけどありがとうね、鳳仙」
彼女はこれが最期なのでちゃんと親友に想いを伝えた。犬猿の仲ではあったものの、多少のいざこざはこの優しい星の光の前では無意味だった。
「終わるんだなあ……そっか」
「怖いか、トモキ」
「……まあな。覚悟はしてたはずなのにさ、やっぱ怖いよ」
死を恐れ続けた臆病な智樹はその瞬間結局弱音を漏らしてしまう。だがリアンはそんな彼の手を力強く握りしめる。
「大丈夫だって、またすぐに会えるからさ。でも相棒もいいけどさ、次の世界ではちゃんとオレを恋人にしてくれよ?」
「……ありがとう」
彼の恐怖はリアンのおかげでほんの少し和らいだ。いつか役割を与えられた彼女が報われるといいんだけど……きっとその時は永遠に訪れないだろうねぇ。
望んだ所で人は星の光を手にする事など永久に出来ず、ましてや死んでしまった黒色矮星である俺っちはあの煌めく星の様に二度と光り輝く事など出来ない。
しかし無駄だとわかっていたのに俺っちは昴に手を伸ばしてしまった。あの光に触れたいと、そんな無意味な事を思ってしまった。
その想いに応えるかのように昴は強く光り輝き、世界は眩い光に包まれる。
世界の終焉を伝える暖かな光は世界に存在するものの全てを消し去り、想い出も、記憶も、罪も全てが無くなってしまう。
全ての終わりと救済を告げるその終焉の光は、世界に絶望した俺っちですら幸せになれる程美しかった。
光と闇が入り混じる原初の泥の中で、肉体を失った俺っちは世界の一部となり時折生じる気泡を眺めた。
そこには終末の世界で動画を配信し、絶望に抗う馬鹿な連中の世界があった。
そこには東北で復興を目指し、一面のひまわりが咲き誇る明日を掴み取った世界があった。
そしてそのどれもが終末に抗う事が出来ず、やがて滅んでしまった。
決して叶うはずのない夢を追いかけ続けた荒木希典という男はあまりにも多くの人の想いを踏みにじってきたが、諸悪の根源である俺っちは無責任にも役割を放棄してしまったのだ。
けれどいい加減この夢を終わらせなければいけないだろう。
眼をそらしてはいけない。
逃げてはいけない。
大人である以上自分のした事にはケジメはつけなければいけない。
犠牲にしてきた者たちのためにも、その役割を果たす事を自分は決して諦めてはいけないのだ。
(さあ、もう一度始めようか。世界を壊す物語を)
俺っちはそう願い気泡の世界に入っていく。次こそはきっと上手くやれると、心の底から強く信じて。