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怖い話  作者: 健二
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橋の下で待つひと


 七月二十一日、神戸での打合せが長引き、私は最終の快速電車で明石駅まで戻って来た。深夜一時。風は熱帯夜の名残を抱えながら、海からまとわりつく潮気を運んでいる。

 タクシーを待つより歩いた方が早い距離だと判断し、私は国道二号線沿いに南下した。やがて闇に沈む明石海峡大橋の主塔が、月光に鈍く光り始める。ふと思い出したのは二十三年前――二〇〇一年七月二十一日、明石海峡大橋の袂で起きた花火大会の将棋倒し事故だ。


 ふくらはぎを汗がつたい、靴底がアスファルトに貼りつく。海浜公園へ抜ける歩道橋は、事故の後に改修され、人の流れを分ける柵が増設された。それでも夜中に見ると、架線の影が格子になって足元を縛るようで落ち着かない。

 私は橋の袂に差しかかった。欄干の向こう、暗い海面に花火の残り火のような赤い点がいくつも瞬く。船舶の灯りかと思ったが、光は水面を照らさず、等間隔で空中に浮いている。ちょうど人の胸ほどの高さで。


 次の瞬間、背後で子どもの笑い声がかすかに木霊した。振り返ると誰もいない。代わりに、橋のコンクリートへ貼りつくように小さな掌形の水滴がいくつも残っている。乾ききった夜気の中で、水の跡は濃紺に輝いていた。 


 高架下の暗がりから、女の声が呼びかけた。

 「すみません、花火大会の出口は……」

 声の主は街灯の光の輪から外れ、表情が見えない。ただ、浴衣の袖口から垂れる指先が泥で黒く染まり、水に濡れたように光を弾いた。

 「花火は、終わってます。今日は大会そのものが――」

 と言いかけて私は言葉を飲んだ。女の眼窩は深く暗く、そこに映るのは私ではなく、群衆が折り重なる惨劇の断片だった。泣き声、荒い息、圧迫される胸骨の軋み。私はたまらず後ずさる。


 背後の欄干に肘をぶつけた瞬間、耳朶を裂くような破裂音が響いた。上空に花火はない。だが視界の隅で赤、紫、黄の光が走り、橋上に人影が静かに増えてゆく。老若男女、浴衣やTシャツの群れ。みな顔がなく、輪郭だけが夜の濃淡で切り抜かれている。 


 「進め、進め、止まるな」

 どこからともなく拡声器の男声が重なり、影たちは私を軸に渦を巻く。足首に冷たいものが絡みついた。うつむくと、小学生くらいの少年がしがみついている。両目から血混じりの涙を垂らし、口を開いても声が出ない。その喉は窪み、押し潰された鎖骨が浮いていた。

 私は反射的に少年を抱き上げようと手を伸ばした。が、その瞬間、両腕に凍りつくような痛み。振り払うと、腕にも背中にも無数の手形が浮かび上がる。触れてきたのは少年だけではなく、名も知れぬ影たちすべてだった。 


 「ここ、つめて……押さないで……おかあさん……」

 声なき悲鳴が脳内に溢れ、私は欄干を乗り越えて護岸へ飛び降りた。着地の衝撃で膝が笑う。それでも全力で国道側へ駆け、振り向く。

 歩道橋には誰もいない。欄干に絡まった提灯が風に揺れるだけ。だが、私の耳では途切れず、人々の絶叫と打ち上げ花火の炸裂音がまだ続いていた。 


 自宅に戻ったのは午前三時過ぎ。シャワーを浴びても落ちない潮の匂いが、今も鼻腔の奥に残っている。

 翌朝、鏡を見ると、二の腕に紫色の痣がいくつも並んでいた。その形はまるで人の掌、特に子どもの小さな指を思わせる。数を数えると十一――あの事故で亡くなった子どもの人数と同じだった。 


――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】

2001年7月21日、兵庫県明石市の「みなと神戸海上花火大会」観客帰宅時、歩道橋上で将棋倒しが発生。幼児3名を含む11名が圧死、247名が重軽傷を負った。警備計画の不備と観客誘導ミスが原因とされ、兵庫県警の警察官を含む5名が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けている。事故後、深夜に同歩道橋付近で「浴衣姿の女性に道を聞かれた」「子どもの泣き声が橋の下から聞こえる」などの怪異談が相次ぎ、地元紙・神戸新聞(2002年8月13日夕刊)でも特集が組まれた。歩道橋は改修されたが、今も毎年7月21日前後の夜になると、欄干に濡れた手形が浮くと語る地元住民は少なくない。

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