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怖い話  作者: 健二
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長さが変わるトンネル


 八月の終盤、京都も夜だけは少し涼しくなる――はずだった。

 大学の地質研究サークルで合宿に来ていた私と友人の宮坂は、暇つぶし半分、肝試し半分で清滝きよたきトンネルへ行くことになった。嵐山から保津峡へ抜ける旧道に口を開ける全長四百四十四メートルの古い隧道。

 「長さが日によって変わるらしいぞ」

 宮坂が笑いながらハンディカムを回す。私は冗談を受け流しつつも、背中の汗が妙に冷たかった。


 夜十一時四十七分。山裾の路肩にレンタカーを停め、蝉の死骸を踏みながら坑口に立つ。外気温は二六度だが、トンネルから吹く風は十度台の冷たさ。照明はなく、懐中電灯の円錐だけが湿った石積みを照らす。

 「入る前と出たあとで距離測ろうぜ」

 宮坂はレーザー距離計を構えた。目盛りは「0.00」。私は腕時計を見ながら歩き始めた。


 四十メートルほど進むと、壁に貼られた黄色い札が目に入る。

 《測点 PT-42》

 “42”――死に、と読める数字に鳥肌が立つ。更に奥へ行くほど霧のような水蒸気が濃くなり、ライトの光が切れ切れの綿のように揺れた。


 ──カン…カン…カン…


 遠くで金属を叩く音。坑道工事で使う鋼矢板かピックか、そんな響きだ。私は宮坂に目配せし、声を潜める。

 「夜間作業、あるわけないよな」

 彼は肩を竦めながらも録画を続けた。が、カメラの液晶に奇妙なものが映る。私の背後にもう一本、ライトが揺れているのだ。振り向くと暗闇しかない。


 進むにつれ、足元の水たまりが深くなり、靴底に泥が絡む。温度はさらに下がり、吐く息が白い。すると宮坂が突然立ち止まった。

 「おい、距離計おかしい」

 表示は《−12.50m》――負の値になっている。リセットしても同じ。試しに壁際を照射すると《+3.21m》が出た。どこを測っても数字が変動し、まともな値を示さない。


 そのとき、私の腕時計が止まった。真夜中なのに液晶は「19:27」を表示し、秒が進まない。胸がきしむ。帰ろう、と言いかけた瞬間、轟音がトンネル全体を揺すった。


 ライトの輪の中、床の水面が沸騰するように波立ち、茶色い泡がぶくぶく浮かび上がる。そこから土色の手が一本、二本と伸び、壁を這い上がった。指なのか根なのか分からない粘土質が“ズリュ”と音を立て、腕の形になったかと思うと関節が逆方向に折れて崩れた。


 宮坂は悲鳴を飲み込み、私の手首をつかんで走る。だが足元は砕けた枕木と泥で滑り、ライトが跳ねて天井を照らす。アーチリングの目地に無数の顔が浮いていた。石と石の間から目玉だけが潰れた水泡のように覗き、口の位置で空気穴がパクパク開閉する。


 出口の微かな月明かりを目指し、必死で駆けた。ところが──いくら走っても灯りが近づかない。むしろ遠ざかる。後ろからはカン…カン…という打音に混じり、複数の靴音が迫る。


 「時間が伸びてる!」

 宮坂が叫んだ。私は咄嗟にスマホでGPSを確認したが、画面は『圏外』。代わりにコンパスアプリが狂ったように針を回転させている。


 もう無理だと思った瞬間、前方の闇が裂け、夜空の星が滲んだ。出口だ。私たちはほとんど転がるように外へ飛び出し、斜面の草にうずくまった。背後でトンネルが低く唸り、冷風が押し返してくる。


 息を整え、宮坂は再び距離計を向けた。坑口から中へ照射――《444m》。正式な延長と同じ値が出た。時計を見ると午前二時三分。入口に立ってからわずか十五分しか経っていないはずなのに、三時間以上が過ぎていた。


 車に戻る途中、宮坂がぽつりと言った。

 「録画、全部ノイズだった」

 SDカードを確認すると、映像は黒い砂嵐で埋まり、その背後で工事現場の掛け声のような男たちの声がこだましていた。再生タイムコードは42分42秒のループで止まらない。 


 宿へ戻った翌朝、二人とも高熱を出し、合宿最終日まで寝込んだ。快復後、私はレーザー距離計のデータをPCに落としたが、ファイル名がすべて「42」「−42」「0042」に書き換わっていた。


 今年の夏も京都は猛暑だ。それでも涼を求めて清滝トンネルへ向かう若者が後を絶たない。私は忠告する。内部の空気は想像以上に冷たい。だが本当に凍るのは、温度ではなく、そこに溜まった「時間」かもしれない、と。


――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】

清滝トンネル(京都市右京区)は1927年完成。当時の新聞『京都日出新聞』には「工事中15名殉職、坑内に埋葬された者もあり」と記録されている。延長は公式に444mだが、1970年代の測量報告に「実測値が日によって数メートル異なる」とする京都府資料が残る。1988年8月には肝試し中の大学生3名が行方不明となり、うち2名は翌朝出口近くで意識不明の状態で発見されたが、1名はいまだ未発見。トンネル内で時計が止まる、距離計が狂う、壁から腕が伸びる――などの怪異は地元紙だけでなく、国土交通省近畿地方整備局の事故ヒヤリハット集(2004年度版)にも「深夜巡回中に壁面からの突起物で作業員負傷」として間接的に報告されている。

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