深泥池・終夜便《66》
八月十四日、京都の夜は蒸し器の底のように熱かった。
私は京都市バスの臨時深夜便〈66系統〉を任され、北大路駅から上賀茂神社行きを二往復目に入っていた。本来、深夜にバスは走らないが、祇園祭の後祭と送り火の間だけ観光客輸送のために臨時ダイヤが組まれる。問題は経路だ──洛中を抜け、深泥池の縁を通らねばならない。
23時58分。北大路バスターミナルを発車した車内には、大学生らしき男女が三人と年配の夫婦、そして一番後ろの席に浴衣姿の若い女がひとり。
エアコンを最強にしても背筋にぬるい汗が伝う。深泥池の話は新人研修で散々聞かされた。「夏場の深夜に乗客が一人増える」「終点で人数が合わない」──笑い話半分だが、先輩が顔を曇らせるのを私は覚えている。
0時18分、府道を北上し、池の南端が右車窓に現れた。街灯は無く、月だけが水面を鈍く光らせている。窓のシェードががたつき、後輪が僅かに浮いた錯覚にハンドルが震えた。
その時、車内後方で「ピチャッ」と水を落とす音。ミラーを見ると、浴衣の女の周囲の床が濡れている。足元には水苔のような暗い染みが広がり、彼女の髪の先から滴が落ちていた。私は車内事故を疑い、「お客さま、大丈夫ですか」とマイクを切って声を掛けたが、女はうつむいたまま動かない。
深泥池停留所に着くと、夫婦と大学生たちが一斉に降り、車内は女と私だけになった。発車の合図をする矢先、非常ブザーが後ろで鳴る。振り返ると女が消えていた。
慌てて車内を見回す。ドアは閉じたまま、客席の奥にびっしょり濡れた紙切れが一枚、座席に貼りついていた。薄い和紙に毛筆で数字が記されている。
──「六 六」
66系統と同じ番号。途端に背筋が凍りつき、呼吸が浅くなる。耳の奥で、バスのアイドリング音とは別の低い轟きが重なった。波の音だ。しかも車体の下、路面から聞こえる。
窓の外は池だが、高さは一メートルほど堤防がある。水が届くはずがない。なのに車体左側の床がボコンと持ち上がり、足元照明が淡く点滅した。私は咄嗟にドアを開け、助走もつけずに飛び降りる。我ながら乗務員失格だと思いながらも、池に背を向けて国道側へ逃げた。
十歩ほど走ったところで振り返る。無人の車内に、あの女が立っていた。浴衣は白地に墨の飛沫のような模様。顔は窓に隠れて見えない。だが胸元から下がる帯が、水面の月影を吸って闇より黒く揺れた。
次の瞬間、彼女はシートをすり抜けるように前へ歩き、運転席のドアを開けた。ハンドルを握り、こちらへ顔を向ける──瞳はなく、眼窩に湖の月が丸く映る。バスが小刻みに前後し、水をかき分ける音がさらに大きくなる。
私は震えながらスマホで110番しようとした。が、画面は真っ黒のまま氷のように冷たい。息が白くなり、足首に水の感触。気付けば靴底がアスファルトに沈んでいる。深泥池の水位が道路まで迫っているのか? いや、波も風もない。水面は私の周りだけを満たし、膝、腰、と這い上がる。
「六六」 後ろから女の声とも水音ともつかぬ囁き。
足掻くうち、遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。途端に重さが消え、水が収縮して足元から霧のように引いた。私が振り返ると、バスはヘッドライトをつけたまま無人で、深泥池停留所に静止していた。
警察と交通局の到着後、走行記録を確認すると、深泥池停車中にドアが開いたログはなく、車外へ人の出入りを示す赤外線センサーも反応ゼロ。それでも床下には淡水生の水草が絡みつき、後部座席の下から古びた草履が一足見つかった。女性用、片方だけ。濡れて重く、泥と共に鱗片のようなものが付着していた。
その夜から私は高熱で倒れ、三日間、66という数字が異様に大きく見える幻視に悩まされた。復帰後、私は系統変更を願い出て、今は街中の循環バスを担当している。それでも夏の終電後、深泥池を迂回するタクシーのテールランプを見るたび、車内に濡れた影が立っていないか確かめずにはいられない。
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【実際にあったできごと】
深泥池(京都市北区)は国の天然記念物でありながら、1900年代以降だけでも多くの転落・水死事故が報告されている。京都府警の公開資料によれば、1955年7月、観光タクシーが夜間走行中に池へ転落し運転手が死亡。1970年8月17日には私用車が同じ箇所から転落し、乗員2名が溺死している。1994年9月13日には道路改良工事のトラックが堤を越え運転手が亡くなった。他にも夏季深夜に「停車中のバスの乗客が消えた」「座席が濡れて海草が残っていた」などの事例が複数のバス会社やタクシー会社の聞き取り調査で確認され、地元紙・京都新聞(2010年8月16日夕刊)でも特集された。深泥池を通る旧66系統深夜臨時便は、2020年を最後に運行を取りやめている。