海鳴りが止む部屋
八月二十三日、台風一号が沖縄本島をかすめて去った夜。
テレビ局の下請けで働く私は、ディレクターの黒木、カメラ助手の絵美、音声の野口とともに、中城湾を臨む「中城高原ホテル跡」へ向かった。世界遺産・中城城跡の横で廃墟と化した巨大リゾート。昼間のロケで撮った外観に納得がいかず、黒木が「月明かりの方が雰囲気ある」と言い張ったのだ。
午前零時十二分。湿った夜気にハイビスカスの香りが溶け、セミの残響が遠くで揺れている。私たちは崩れた正面階段を登り、ロビー跡へ入った。床は海砂に埋もれ、波打ち際のように靴跡がすぐ消える。天井の梁がむき出しで、時おりコンクリ片がぱらりと落ちた。
「録るだけ録ったら十分快で撤収だ」
黒木が笑うが、声が高く響き過ぎる。ホテルは山腹にあるはずなのに、どこか洞窟のような反響だった。
最上階を目指し外階段を上る。手すりは錆び、コンクリの目地から月光色の水が滲んでいる。五階あたりで絵美が小さく叫んだ。「今、下に誰か……」。覗き込むと、ロビー中央に白いワンピースの背中が見えた。こちらを向かず、髪が波に揺れるように左右へゆらゆら。ライトを当てた瞬間、影は砂煙にほどけた。
「砂ぼこりが人影に見えただけだろ」
黒木の声もどこか上ずる。野口のブームマイクが乾いた軋みを拾い、ヘッドホンから“ザアッ――”という潮騒が流れ込んだ。山上なのに海の音だ。
屋上へ出る扉は外れていた。雲間の月が砕けたタイルを照らし、欄干の向こうに真っ黒な中城湾が広がる。黒木がカメラを回し始めると、突然レンズに水滴が弾いた。上を見ても雨雲はない。次の瞬間、屋上全体に細かな飛沫が降り注いだ。まるで見えない高波が打ち寄せたように。
「戻ろう!」絵美が叫び、私も機材ケースを抱え直した。だが屋内へ入る扉の向こう、真っ暗な廊下から白い光が列をなして押し寄せてくる。客室灯の残照ではない。電源などとっくに切れている。何かがひと部屋ごとに点り、こちらへ近づく。光の列は胸の高さで揺れ、先ほどロビーで見たワンピースの影と同じリズムで首を傾けていた。
「非常階段から!」
野口と駆けだしたとたん、足元のタイルが割れ、大きな穴が口を開けた。落下を避けようと前へ跳んだが、野口の左脚が飲み込まれた。下は空洞でなく、粘度の高い海水のような闇だった。私は腕を掴んで引き上げたが、彼の靴は跡形もなく消え、代わりに貝殻が三つ、濡れた掌に貼りついていた。
吹き付ける潮風の匂いが急に焦げ臭く変わる。振り向くと廊下の光列が止まり、同時に客室ドアが一斉に開いた。中は真暗なのに、開口部から熱波が放射されている。砂が焼けるような匂い。黒木が震える声で言う。
「建設中に死んだ作業員が、ドアの向こうに──」
その瞬間、彼の背後に石灰色の手が伸び、肩をつかんだ。誰もいないはずの空間から、コンクリの埃をまとった腕が次々と突き出し、黒木を内部へ引きずり込む。カメラが床を転げ、ファインダーに映った黒木の顔が砂壁に呑まれ、無音の叫びに歪んだ。
私は絵美の手を取り、非常階段を猛然と下降した。だが階数表示は「5→6→7」と逆に増え続ける。上っているはずなどない。足元の踊り場に積もる砂が、生き物のようにうねり、裸足の足跡を刻んでは消す。息が詰まり、視界が白むころ、暗闇の底でチリリ……と鈴の音がした。
聞いたことがある。沖縄の旧盆、死者を迎える「ウンケー」で鳴らす迎え鈴だ。
次の瞬間、私は入口の階段に転がり落ちていた。絵美も隣で倒れている。廃墟は沈黙し、波音も熱も消え、ただ台風一過の涼風が吹き抜ける。黒木の姿も、屋上で消えた野口の靴も見当たらない。
警察と地元消防に通報したが、深夜の遭難騒ぎは取り合ってもらえず、翌朝の捜索でも行方不明者届は受理されただけだった。残された機材を確認すると、黒木のカメラには最初の30秒しか映像がなく、その最後に――屋上へ突き上げる白波のような砂の壁と、無数の白いワンピースが溶けるコマが焼き付いていた。
――――――――――――――――――――
【実際にあったできごと】
中城高原ホテル跡(沖縄県中城村)は、1975年の沖縄国際海洋博覧会に合わせて着工した大型リゾート計画の未成廃墟。建設中に工期遅延と相次ぐ事故が発生し、重傷者・死亡者が続出。工事関係者の証言では「夜中に工事機材が勝手に動く」「海の匂いが山頂に上がって来る」といった怪異現象が噂され、事業主が精神に異常を来して工事を中止したと報じられた(沖縄タイムス1976年11月3日夕刊)。その後、未成のまま放置され、夏場に心霊スポットとして若者が侵入し転落負傷事故が発生。2013年、立入禁止措置が強化された現在でも「夜に海鳴りが聞こえる」「白い服の人影が屋上を歩く」といった通報が地元警察に寄せられている。