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怖い話  作者: 健二
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焼けたトンネルを抜けて


 八月六日、真夜中の東名高速。

 運送会社に勤める私は、新人の木暮を助手席に乗せて愛知から静岡へ向かっていた。湿気を含んだ風がフロントガラスを曇らせ、カーエアコンの冷気が逆に生温い。

 午前零時四十二分、静岡ICを過ぎた頃、木暮がナビを指さした。


 「次、日本坂にほんざかトンネルですよね。昼間でも事故が多いって有名っすよ」


 私は笑ってごまかしたが、胸の奥がざわつく。大学生だった四十数年前、ここで大規模な火災事故が起きた記憶が抜けない。


 トンネルの入口が見えた瞬間、ラジオが砂嵐に変わった。チューナーを回し直しても「ザザ……ザア……」と耳障りなノイズが続き、その背後で微かに人の叫び声が混じる。

 重いシャッターが降りたように鼓動が速くなる。私は構わずアクセルを踏み、長さ約二キロの管内に突入した。


 中は想像以上に蒸し暑かった。温度計は外気より六度も高い三十七度を示し、窓ガラスの内側に水滴が滲む。

 ──キイイイ……。

 耳鳴りのような金属音が鳴り、ミラーの奥でライトが瞬いた。後続車のはずが、ヘッドランプは赤い炎のように揺れ、ボディの輪郭が溶けている。


 「先輩、車が燃えてません?」

 木暮の声が裏返る。私はハンドルを固く握り、追い越し車線へ移ろうとウインカーを出した。が、視界の左端、壁際に別の車列が浮かんだ。

 黒く焦げたトラック、溶け落ちた乗用車、どれも動かず、ドアが開きっぱなし。運転席から腕がぶら下がり、肉が炭のように剥げ落ちている。


 「嘘だろ……これ、何年前の事故だよ」

 木暮の呟きが震える。私は言葉を飲み込み、スピードを上げた。対向側の壁に「←出口まで1500m」と赤い避難表示が光る。

 その数字が瞬きをするたび「1500→2500→3500」と増えていく。天井の照明も次々に途切れ、暗闇の斑が車体をかすめた。


 不意に荷台の後ろで「ガンッ」と何かが跳ねた。ルームミラーに黒い煙が渦巻き、一瞬、人影がよじ登るのが映る。

 私は悲鳴と同時にハザードを焚き、非常駐車帯へハンドルを切った。トラックが停まるや否や二人で飛び降り後方を確認したが、荷台は無傷、煙も炎もない。ただ、焼け焦げた紙片のような臭いだけが漂っていた。


 「走った方が早い」

 木暮が目を見開く。出口まで見た目はあと数百メートルほどに戻っていた。私は相槌も打てず、再び運転席へ。

 エンジンが唸り、車体が前へ出た瞬間──進行方向の闇が赤く膨張した。トンネル全体が一晩で錆び付いたように歪み、壁に無数の手形の影が浮かぶ。掌は真っ黒に煤け、指先が炎の舌のように揺れた。


 「押し込まれるぞ!」

 私の叫びと同時に、タイヤがスリップし始めた。何か粘つく液体が路面を覆い、ハンドルが取られる。窓越しに見下ろすと、アスファルトが溶け、沸騰するタールの隙間から血のような泡が弾けていた。

 しかしその粘液が一瞬で消え、視界が開ける。トンネルの出口が目の高さに迫り、夜風が一気に吹き込んだ。轟音も熱も、後ろに置き去り。


 車外に出て深呼吸すると、海風は冷たく、月が静岡の海岸線を銀に染めていた。振り向けばトンネルは闇の奥で、何事もなかったようにライトが整列している。

 木暮が腰を抜かしたまま、助手席の足元を震える指で示した。運転席と助手席の境、ゴムマットの上に丸い金属プレートが落ちていた。

 直径三センチほどのその破片には、焼けただれたアルミが層になり、薄い青でこう刻まれていた。


 “1979.7.11 13-10-20”


 私は背筋が凍り、木暮の腕を掴んでトンネルから遠ざかった。耳の奥ではまだ、金属の歪む爆ぜ音と、誰かが車体を叩くような衝撃が余韻として残っていた。


――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】

1979年7月11日午後1時46分、東名高速道路・日本坂トンネル(静岡県焼津市―藤枝市間)内で大型トラックのパンクを発端に多重衝突事故が発生。トラックの積荷に引火し火災は約640mにわたり拡大、最終的に173台が焼損、死者7名・負傷者48名を出した。当日の最高気温は32.1℃、トンネル内は急激に温度が上昇し、融けたアスファルトが流れたとの消防記録が残る。事故後、夏場の深夜に「焦げた車列が見える」「出口までの距離表示が伸び縮みする」「荷台を叩く音が聞こえる」といった通報が静岡県警高速隊に複数寄せられ、1990年代に地元紙・静岡新聞夕刊(1994年8月10日号)が特集した。現在は換気・避難設備が改修されているが、運送業者のあいだでは今も“日本坂を通る深夜便は窓を開けるな”という言い伝えが残っている。

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