黄昏の消えない足音
八月のある夕方、私は大学時代の友人二人と一緒に京都の山中にある、いわくつきの古いトンネルへ向かった。名前は伏せるが、地元では毎年夏になると必ず「足音がついてくる」「壁から白い手が伸びる」などの噂が飛び交う、有名な心霊スポットの一つだ。
日が沈みかけた頃、山道を通り抜けると、苔むしたトンネルの入口が見えてきた。すでに辺りは淡い紫色の空気に包まれ、蝉しぐれも遠くにかすれ始めている。入り口に立つだけで重い空気に胸を押されるような感覚があり、私の他の友人たちもどこか息苦しそうだった。
「やめるなら今だぞ」
誰かがそう口にしたが、結局誰も引き返そうとは言わなかった。私たちは懐中電灯に頼りながら、じめっと湿気を含んだ暗闇の洞のようなトンネルを進み始める。
中は想像以上に寒かった。コンクリートの壁についた水滴が静かに落ちる音がやけに耳につく。数歩進むごとに、誰かに見られているような気がして背筋が寒くなる。足音は私たち三人が出しているものだけのはずなのに、時々もう一人分のかすかな足音が紛れ込んで聞こえる気がした。
「今、足音したよね?」
友人が立ち止まって私の腕を軽く掴む。
「場合によっては、エコーで聞こえ方が変わるのかも。」
そう答えつつも、私の心臓は早鐘を打っていた。
狭いトンネルの奥を見据えるが、なにかがいる気配がひしひしと伝わってくる。明かりを照らしても、ただ暗い壁が続いているだけ。それでも、とにかく一刻も早く通り抜けたいという焦燥感に駆られ、私たちは急ぎ足になった。
と、そのとき、かすかに「雨音」のような音がどこからともなく聞こえ始めた。天井から落ちる水滴の音とも違う。誰かが小声でささやくような、しかしそれは確かに水音にも似ている不思議な響きだった。まるで血生臭い雨がこのトンネルを叩いているかのような感覚に陥り、思わず鳥肌が立つ。
「出口まであと少しだ…!」
前を行く友人が声を張り上げる。懐中電灯の先に、ようやくトンネルの先端が薄明るく見え始めた。
しかしその一方で、私たちの後ろから、はっきりと“もう一人”がついてくる足音が聞こえる。しかも先ほどより確実に近付いている。
耐えきれなくなり、一目散に走り出した。壁からの反響で自分たちの足音が混ざり、 わけがわからなくなる。出口はすぐそこだ。トンネルの外から入ってくる夕闇の空気に救われるように、転がるようにして地上へと飛び出した。その瞬間、背後で何かが“わずかに”私たちを呼び止めようとする気配があったが、振り返ることなどできるはずもない。
外に出ると、さっきまでの冷たい空気が嘘のように生ぬるい虫の声で満ちていた。私も友人たちも、しばらくは息を整えることすらできなかった。トンネルの向こうを覗けば、ただそこには暗く冷たい闇が横たわっているだけ――なのに、確かに何かが私たちの足元まで追いすがってきたのだ。
この体験以降、私も友人もあのトンネルには二度と近づいていない。
<実際にあったできごと>
1970年代後半から京都府内のとある古いトンネルでは「夜に入ると誰かの足音があとを追ってくる」との噂が絶えず、地元のラジオ番組や新聞の小さな投稿欄でも話題になったという。さらに1980年代に撮られた一枚の写真には、トンネルの壁に人影のようなものが写り込んでいたとされ、一部では“定期的に出現する霊”とまで言われている。観光地化された場所ではないため、今でも地元の人たちですら日が沈んでからは近寄ろうとしない、曰く付きの場所なのだという。真偽は定かではないが、実際に訪れた人々が足音を感じるという証言は今も絶えないらしい。