ひぐらしが鳴く森の底
大学の夏休みに、友人三人と心霊スポット巡りをすることになった。夜の山道を抜けた先にある、小さな廃神社が目的地だった。その神社は山奥の森の中にあり、道も荒れていて車では近づけそうになかった。仕方なく車を早めに止め、懐中電灯を頼りに木々の間を進んでいく。
七月とはいえ夜の山は冷たいほどに涼しく、薄気味悪かった。ひぐらしの鳴き声が遠くかすれて耳につく。湿った空気のせいか、ライトに照らされる足元は白い霧のようなものに包まれていた。
しばらく歩くと、暗闇にぽつんと古い石鳥居が見えた。そこから少し入った先に、誰かが壊したような木造の社が姿を現す。壁は崩れ、屋根も半分落ちかけていたが、かつてはそれなりに立派だったのだろう。社の正面に回ると、どこからかひそひそと話すような声が聞こえた。その声はまるで女と男が混ざり合ったように低く、はっきりとは聞き取れない。
「聞こえたか?」
友人が震え声で囁く。しかしもう一人の友人は不気味に首をかしげる。
「何も聞こえない…」
鳥肌が立つほどの静寂の中、私だけでなく一人だけがそれを確かに聞こえたと言うのだ。三人の証言が割れる。気のせいなのか、本当に二人にしか聞こえなかったのか。嫌な汗が背中を伝い、思わず唾をのむ。
それでもせっかくここまで来たのだからと、私たちは崩れかけた社の中を覗き込んだ。かび臭い空気に混じって、濁ったような生臭さが鼻につく。誰もいないはずなのに、神社の奥がうっすらと明るい。まるで光る苔でも付着しているのかと目を凝らした瞬間――奥の闇の中で、何かが動いた。
見てはいけないと頭ではわかっていながら、条件反射でライトを当ててしまう。そこに浮かび上がったのは、まばらに髪の毛の生えた白い顔のような、得体のしれないものだった。それがぼんやりとこちらを向いた気がした瞬間、
「出ろ!」
友人の一人が絶叫にも似た声をあげ、私たちは全力で社から逃げ出した。
来た道を一気に駆け戻り、止めていた車のところまでたどり着いても、誰一人として後ろを振り返る余裕はなかった。車のドアを乱暴に閉めた瞬間、運転席の友人が泣きそうな顔でハンドルにしがみつく。何度もイグニッションを回すが、エンジンがかからない。焦りと恐怖で声も出せずに固まっていると、今度は車の窓を誰かが叩くような音が聞こえた。
友人がやっとの思いでエンジンをかけ、勢いよくアクセルを踏み込むと、ボンネットの上を何かが横切るのが見えた。あれは霧だったのか、それとも“誰か”だったのか。どちらにせよ、私たちに正体を確かめる勇気はなかった。
その後、三人で確かめ合っても、あの白い顔を見たのは私だけだったし、ささやき声を聞いたのは友人のうち一人だけだった。ほかの一人は何も感じなかったと言い張る。しかし確かに全員が、窓を叩く音とボンネットを横切る“何か”を見たのだ。結局、私たちは振り返ることなく、その山を抜け出した――もう二度と行くものか、そう誓いながら。
<実際にあったできごと>
2015年の夏、群馬県のある廃神社付近で心霊写真が撮れたという噂が広がった。あまりに妙な写真だったためSNSで拡散され、見る人によっては白い顔のようなものが写っていると話題になった。実際、その場所は地元の人も近寄りがたく、夜には何か聞こえるという噂も絶えないという。この廃神社に足を運んだ人が皆何かしら「ひそひそ声」を聞き取ったという話も複数あり、地元の怪談好きの間では“ひぐらし神社”と呼ばれ恐れられているらしい。噂で終わるのか、それとも本当に何かが宿っているのか――真相は、今も闇の中だ。