廃村の声
真夏の夕刻、まだ残照が地面を照らしている中、背筋を冷やす風がふいに吹き抜けた。大学生の田中は、心霊スポット巡りが趣味の友人たちに誘われ、とある山奥の廃村を訪れていた。長い時間放置された家々は草木に侵食され、土塀は壊れかけ、窓ガラスは砕けたまま。風が吹くたび、軋んだ木材のきしみが不気味な調子で響く。
集落の外れに古い神社があった。朽ちかけた鳥居をくぐると、石段が苔むし、足を踏み出すたびにぬめりとした感触が靴底に伝わる。参道の先には屋根の腐った拝殿があり、その正面にかけられたお札は風化して文字が読めない。何か重い空気が漂うようで、田中たちは思わず黙り込んだ。
辺りが徐々に暗くなってきたため、そろそろ引き返そうかという話になった。だが、一緒に来ていた友人のひとりが急に「ここ、まだ誰かいるよ」とつぶやいた。見れば、拝殿の傍らに白い影のようなものが立っている。それは人影らしき輪郭を持ち、大きな木の陰に隠れるようにしてじっと動かない。叫び声を上げそうになるのを必死でこらえ、全員が身動きできずに視線を固める。
やがて、その影はゆっくりとこちらを向いた。はっきりとした顔は見えないのに、視線だけは鋭くこちらを捉えているように感じる。すると突然、誰も触れていない拝殿の戸がギイ…と大きく開き、冷気のような風が吹き抜けたかと思うと、辺りの草むらから無数の虫が一斉に飛び立った。田中たちはあまりの恐怖に悲鳴を上げながら一目散に逃げ出した。そして、ふもとの道まで全速力で走りきり、何とか車に乗り込むと、そこから廃村へは二度と戻らなかった。
車中で全員息を整えながら、お互いが見たものを何度も確認し合う。夕闇に紛れる白い影、神社の扉がひとりでに開いた音。あの村に暮らしていた人々の霊がまださまよっているのだろうか。その夜は宿に着いても気分が落ち着かず、誰もがまんじりともしないまま朝を迎えることになったのだった。
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■実際にあったできごと
日本各地の山間部には、過疎化や震災などの理由で完全に無人となった集落が残されており、「廃村巡り」が好きな人々の間では有名なスポットも存在します。そこでよく報告されるのが「誰もいないはずの家で人影を見た」「使われていない神社の戸が勝手に開いた」などの怪現象です。実際には老朽化した建物の歪みや風の影響、光の錯覚が原因と見られる場合も多いのですが、不思議な体験談や心霊写真がSNSで拡散されることも少なくありません。こうした廃村や廃神社は、夏場に特に訪問者が増えるため、怪談めいた噂がいっそう広まりやすい場所となっているようです。