清滝の闇
夏の夜も更けて、京都の山沿いを車で進むと、やがて周囲の家々(いえいえ)の灯りが少なくなり、緑の濃い森の奥へと入っていく。そこにあるのが「清滝トンネル」だ。長く狭いその道は、地元では心霊スポットとして噂が絶えない場所で、深夜に通ると得体の知れない声や物音が聞こえるという。
私は大学時代の友人、玲奈、浩太、そして運転を担当する先輩の嶋田さんと共に、肝試めし半分の好奇心からこの真夜中に訪れることになった。トンネルの手前で車を降りると、生ぬるい夜風が吹くはずなのに、なぜかひんやりと肌を刺すような冷気を感じる。
「やっぱ、帰ろうよ…」
玲奈が震えた声でそう漏らす。私は彼女を落ち着かせようとしたが、不思議と自分も恐怖に支配されそうになるのを必死に堪えていた。
トンネルに足を踏み入れると、懐中電灯の光が弱々(よわよわ)しく闇を切り裂く。しっとりとした湿り気が満ち、冷たい空気が肺に重くのしかかる。誰も声を発しないまま数十メートルほど進んだ頃、急に嶋田さんが足を止めた。
「…足音、聞こえる」
みんな息を詰める。確かに後方、私たちのものとは別の何者かが追ってくるような足音が、コツ…コツ…という一定の間隔で響いてくる。だが、振り返っても暗闇が広がるだけで、人影などどこにも見えない。浩太が震える声で、「急ごう」と促し、私たちは足早にさらに奥へと進んだ。
すると突然、気味の悪いすき間風が吹き抜け、トンネルの壁一面に散り掛かった苔や汚れがサラサラと崩れ落ちる。そのとき、壁にびっしりと並んだ無数の手形が浮き上がって見えた。あまりに異様な光景に言葉を失う私たち。その場から逃げるように駆け出した瞬間、突然乾いたような女の叫び声がトンネル全体に響き渡り、私の背中をひどく冷たいものが撫でた。
声が止むと同時に、追ってきた足音も霧散した。だが、その気配だけはまだ近くにいるようで、ひたすらに背中がざわつく。浮き上がった手形は自分たちを監視するかのように、出口の見えない闇へ消えずにじっと残り続けていた。
ようやくトンネルを抜けると、不自然なほど外の空気は生温い。安堵と同時に、奇妙な罪悪感すら覚える。この先は絶対に進んではいけない場所を、踏み荒らしてしまったのだという後悔が胸を重くする。結局私たちは車に乗り込むと半ば泣きそうになりながら逃げ帰った。その車中で振り返ると、トンネルの奥から微かに人の影が立ち尽くしているように見えた—あの声の主だったのかは、わからない。
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■実際にあったできごと
京都府にある清滝トンネルは、かつて道路を拡張する際に工事事故で多くの人命が失われたという噂が残り、現在も心霊スポットとして知られています。通ると足音だけが聞こえる、壁に手形が浮かび上がる、女性の啜り泣きや叫び声が聞こえるなど、多くの怪奇譚が語られてきました。実際に夜間に交通事故が起きたり、地元の方から「不安を感じる」という声も少なからず聞かれます。多くは噂話の域を出ませんが、薄暗いトンネル内の雰囲気と結びつき、その怪談がさらに恐怖を掻き立てていると言われています。実際の事故や被害に遭わないためにも、やむを得ず夜間に通行する場合は十分に注意が必要とされています。