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怖い話  作者: 健二
★☆★
69/114

花子さんの夏祭り


滋賀県の山あいにある小さな集落、篠原村を訪れたのは、七月末の蒸し暑い日だった。民俗学を専攻する大学四年生の私は、卒業論文のテーマである「地方の夏祭り」の調査のため、この村に足を踏み入れた。


篠原村は高齢化が進み、今では数十世帯が暮らすのみの静かな場所だ。しかし毎年八月一日に行われる「花子祭り」だけは、今も変わらず厳かに執り行われているという。


宿泊先の民宿に到着すると、七十代と思われる女主人が笑顔で迎えてくれた。


「都会から来てくれたのね。花子祭りの調査かい?」


私が頷くと、女主人は少し表情を曇らせた。


「そうかい…でも、あんまり深入りしない方がいいよ」


その忠告の意味を尋ねたが、女主人はそれ以上何も語らなかった。


夕食後、民宿の共同浴場で出会った地元の古老から、花子祭りについて少し聞くことができた。


「花子祭りはな、村の子供たちの無事を祈るお祭りさ。花子さんを供養するんだよ」


花子さんとは、明治時代にこの村で亡くなった少女のことだという。彼女の死因は謎に包まれているが、毎年彼女の命日である八月一日に祭りが行われ、村の平安が保たれてきたという。


「花子さんは子供が好きでな。だから、祭りには必ず子供が参加せんといかん」


古老の言葉に、私は首を傾げた。


「でも、今は村に子供はほとんどいないのでは?」


「ああ、だから最近は他の村から子供を呼んでいるよ」


会話の後、部屋に戻った私は、花子祭りについてのメモを取っていた。窓の外から聞こえてくる虫の声と風鈴の音が、夏の夜の静けさを際立たせている。


ふと、廊下から足音が聞こえた。カランコロンという下駄の音。不思議に思って扉を開けると、廊下には誰もいなかった。しかし、確かに足音は続いている。その音は階段を下り、玄関へと向かっていった。


翌朝、女主人に昨夜の足音について尋ねると、彼女は顔色を変えた。


「それは…花子さんだよ。祭りが近づくと、彼女はこの辺りをよく歩くんだ」


その日、私は村を歩き回り、花子祭りの準備の様子を見学した。神社の境内では、赤い提灯が吊るされ、特別な祭壇が設けられていた。祭壇の中央には、古びた人形が飾られている。


「あれが花子さんの人形です」


突然背後から声がして、振り返ると、五十代ほどの神主が立っていた。


「明治三十三年から続く伝統です。花子さんを慰め、村の子供たちの安全を祈るんですよ」


神主の案内で祭壇に近づくと、人形はまるで生きているかのように見えた。白い着物を着た少女の人形は、黒い髪を長く伸ばし、赤い糸で縫われた口が印象的だった。


「この人形、とても精巧ですね」


「ええ、毎年新しく作り直すんです。花子さんの体を象るために」


神主の言葉に、私は不思議に思った。


「体を象る?」


「そう、花子さんの…」


神主は言葉を切り、少し離れた場所にいた老婆を呼んだ。


「市子さん、この方に花子さんのことを話してあげてください」


市子と呼ばれた老婆は、九十歳は超えていると思われる。彼女は私を見つめ、震える声で語り始めた。


「私は見たんだよ。花子さんを…私が五歳の時」


市子の祖母から聞いた話によれば、花子という少女は村の神主の娘だった。彼女は不思議な力を持っていたという。病人に触れると治癒し、作物の豊凶を予言できた。村人たちは彼女を神の子と崇めた。


「でもね、ある年の夏、村に疫病が流行ったんだよ。次々と子供たちが亡くなっていった」


村人たちは、この疫病を鎮めるために花子を生贄に捧げることを決めたという。花子は祭壇に縛り付けられ、生きたまま体の各部位が切り取られていったのだ。


「花子さんの体は七つに分けられ、村の七つの井戸に投げ込まれた。そうすれば疫病が治まると信じられていたからね」


恐ろしい話に、私の背筋が凍りついた。


「でも、それから村では別の災いが始まったんだ。今度は子供たちが次々と失踪するようになった」


失踪した子供たちは、皆、体の一部が切り取られた状態で発見されたという。村人たちは花子の祟りだと恐れ、彼女を慰めるための祭りを始めた。それが花子祭りの起源だった。


「祭りの夜には、七つの井戸から花子さんの体の一部を取り出し、人形に納めるんだよ。そして翌朝、その人形を燃やす。そうすれば、花子さんは満足して、一年間村の子供たちを守ってくれるんだ」


話を聞き終えた頃には、日が暮れていた。民宿に戻る途中、私は不思議な感覚に襲われた。誰かに見られているような、背後から追われているような感覚だ。


振り返ると、遠くに白い着物を着た少女が立っていた。彼女はゆっくりと手を振り、村の奥へと歩いていった。


その夜、私は激しい悪夢にうなされた。夢の中で、私は花子の生贄の儀式を目撃していた。そして、切り刻まれた彼女の体が井戸に投げ込まれる様子を。


目が覚めると、部屋の隅に人影があった。白い着物を着た少女が、私を見つめている。


「一緒に来て…」


少女の声に導かれるように、私は無意識に体を起こした。彼女について行くように言われているようだった。


意識が朦朧とする中、私は部屋を出て、少女の後を追った。村の中心部を抜け、森の方へと進んでいく。やがて古い井戸の前に辿り着いた。


「ここよ…私の頭が眠っているの…」


少女が井戸を指さした瞬間、突然意識が戻った。私は一人で真夜中の森に立っていた。急いで民宿に戻ろうとしたが、方向感覚が狂い、迷子になってしまった。


やがて夜が明け、村人たちが私を発見した。私が井戸の近くで倒れていたという。


「危ないところだったよ。あと少しで祭りの生贄にされるところだった」


救出してくれた古老は、冗談めかしてそう言った。しかし、その目は笑っていなかった。


花子祭りの当日、私は高熱で倒れ、儀式を見ることができなかった。目が覚めたのは翌日の朝だった。


民宿を去る前、女主人は私に小さな人形を手渡した。


「これを持っていきな。花子さんのお守りだよ。あなたは選ばれなかったんだ、幸運な子だね」


東京に戻った後も、私の夢には時々、白い着物の少女が現れる。彼女は私に手を振り、「来年また来てね」と囁く。そして目覚めた時、枕元には小さな赤い糸が落ちているのだ。


---


滋賀県の山間部の集落で1897年(明治30年)から1900年(明治33年)にかけて実際に起きた連続児童失踪事件があります。この事件では、三年間で7人の子どもが行方不明となり、そのうち5人が遺体で発見されました。遺体は全て体の一部が切断されており、地元では「花子の祟り」として恐れられました。


調査の結果、これらの事件は当時の村の神主が関与していたことが判明しましたが、裁判の途中で神主は獄中自殺を遂げたため、真相は闇に包まれたままです。


神主の日記からは、明治時代初期に疫病が流行した際、自分の娘(花子)を生贄として村人たちが殺害したという記述が見つかりました。神主はその復讐として、村の子どもたちを次々と誘拐し、娘と同じように体を七つに分けて井戸に投げ込んでいたと推測されています。


興味深いことに、事件から数年後、村では「花子祭り」と呼ばれる独特の夏祭りが始まりました。この祭りでは、白い着物を着た人形を祀り、祭りの最後に燃やすという儀式が行われていました。


この祭りは1970年代まで続きましたが、村の過疎化と共に規模が縮小し、現在は数家族によって細々と続けられているといいます。2005年には民俗学者がこの祭りを調査した際、夜中に白い着物の少女に導かれて井戸まで連れて行かれるという奇妙な体験をしたという記録が残されています。

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