尾根に残る客室アナウンス
1
八月十二日、群馬の御巣鷹の尾根に慰霊登山へ行こうと誘ってきたのは、高校時代からの友人・梨花だった。
「今年でちょうど三十八年。取材で行くんだけど、一人は怖いから同行して」
俺――藤村悠生は映像編集者、梨花は雑誌記者。山には慣れているつもりだったが、真夏の尾根は湿った土の匂いと蝉の絶唱でむせ返り、出発前から汗が背筋を流れた。
2
午後三時。慰霊の園を過ぎ、急勾配の登山道に入ると、風が途切れた。
ひと鳴きだけ大きな蝉が声を上げ、ぴたりと止む。まるで合図のようだった。
その静寂に重なるように、鼓膜の奥で“ポーン”という電子音が鳴った。飛行機内で聞くシートベルト着用サインのチャイムだ。
周囲は圏外。だが俺のスマホの通知ランプが点滅し、画面には「CAからの案内をお聞きください」とだけ表示されている。
思わず振り向くと、梨花もスマホを凝視していた。二人同時だ。
開くと音声が自動再生された。
『まもなく着陸態勢に入ります。シートベルトをお締めください』
優しいはずの客室乗務員の声がかすれ、語尾が途切れた瞬間、背後の雑木林で枝が折れる音がした。
視線を向けると、薄灰色の制服を着た女性が、木々の間に立っている。顔は髪で隠れ、スカーフは泥に塗れていた。
次の瞬間、彼女の背後から黒い影が這い出し、制服の裾を掴んで引きずり込んだ。
“ドン”
鈍い衝撃音と同時に、機内アナウンスが歪む。
『……機体が……制御……』
言い終える前に、イヤホン越しに金属が裂けるような爆音が走り、スマホが高温警告を出して電源が落ちた。
3
自分の息だけが異様に大きく聞こえる。梨花を見ると、目を見開いたまま声にならない悲鳴をため込んでいた。
「戻ろう」
振り向いた登山道は、来た時より暗い。先ほどの蝉の殻が無数に落ち、ざくりと踏むたびにひしゃげる。
その足音に重なるように、また“ポーン”。
今度は耳元だけでなく、尾根全体に反響した。
木々の間から、酸素マスクが雨のように垂れている。
マスクの先はどれも誰かの口元で止まっているのに、肝心の乗客の姿だけが透けて見えない。
梨花が嗚咽を漏らし、その場に崩れた。足を取られた地面には、古びた非常用シートベルトの金具が埋まっていた。
助け起こそうと腕を掴んだ瞬間、俺たちの真上で“ドーン”と山を叩く衝撃波。空が揺れ、木屑が降り注ぐ。
耳鳴りの中、男の低い声が響いた。
『……操縦不能……山に……』
そこで途絶える。
4
気づけば慰霊碑の前に立っていた。どうやって下山したのか覚えていない。太陽は西へ傾き、セミが再び喧しい。
しかしスマホの電源は入らず、梨花の取材用ICレコーダーにも音は一切残っていなかった。
ただ、レコーダーの液晶に刻まれたタイムスタンプが「1985/08/12 18:56」で止まり、二度と動かない。
俺たちは黙礼だけして山を離れた。
5
そして今日、八月十二日の夜。
編集室で一人残業をしていると、切ったはずのモニターが勝手に点き、黒画面に白い文字が浮かんだ。
「シートベルトをお締めください」
同時に天井の非常灯が“ポーン”と鳴る。
窓もないビルの地下フロアなのに、背後から湿った風が吹き抜け、制服の袖が頬をかすめた感触がした。
いや、かすめたのは袖ではなく――酸素マスクの冷たいゴムだったのかもしれない。
もう一度あの山へ行けということなのか。
俺は椅子を立てないまま、暗いモニターに映る自分の背後を、ひたすら見ないようにしている。
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《実際にあった出来事》
・1985年8月12日18時56分、日航ジャンボ機(JAL123便)が群馬県上野村・御巣鷹の尾根に墜落。乗員乗客524人中、生存者4人、死亡520人という単独機事故として世界最多の犠牲者を出した。
・事故現場一帯は現在も慰霊登山者が絶えず、毎年8月12日の夕刻には現場で慰霊のサイレンが鳴らされる。
・地元消防団の記録によれば、1990年代以降、遭難救助要請の無線に“機内アナウンスのような雑音”が混信する事例が計5件報告されている(群馬県消防防災資料より)。
・2005年と2017年、慰霊登山をしていた一般男性2名が「圏外で着信音が鳴り、スマホが高温で停止した」と地元署に届け出た(上野村駐在所聞き取り)。いずれも故障とされるが、機器の熱損傷は確認されなかったという。