四四四メートルの誤差
1
真夏の京都は夜になっても蒸し、靄のような熱気がライトを曇らせる。
動画制作会社に勤める俺——坂崎仁は、ディレクターの宮園と新人カメラの陽菜を連れ、右京区の「清滝トンネル」へ向かった。
長さは四四四メートル。死を連想させる数字のせいで、関西心霊スポットの定番になっている。
企画は“トンネルの長さを深夜に測ると狂う”という噂の検証。測量用レーザー、ハンドメジャー、そしてドローン。
気乗りはしなかった。八月十六日は、四年前に京都バスの運転手がハンドル操作を誤り、トンネル出口で死亡した事故の日だからだ。
2
午前零時一一分。封鎖柵のチェーンを解き、ひんやりした口に入ると蝉の声が断ち切られた。
まずはレーザーを射出。装置が壁面に当たるまでの距離を自動計算する。
計測結果は「444.0m」。看板と同じだ。
続いて歩測。陽菜がレンズを回しながら宮園と並び、一メートルごとにポールを立てて進む。
百メートル付近で、突然レーザーの受光部が赤く瞬き、警告音が鳴った。
「障害物?」
前方は空洞。だが測定値は「666.6m」と跳ね上がっている。
同時に、陽菜のイヤホンから女の囁きが漏れた。
「……まだ着かへんの……?」
京言葉だ。
宮園が顔を上げた途端、カメラのモニターに人影が入った。
白い作業服姿の男が、トンネル奥から手旗のように腕を振っている。工事員?
ところがフレームを外すと誰もいない。
再度モニターを見ると、男は腕の振りを止め、首だけこちらへ向けた。
顔の半分が黒い。いや、煤で焦げている。
次の瞬間、カメラが自動電源オフ。陽菜が悲鳴を上げる。
3
戻ろう。宮園がそう言った時、背後から鉄板を叩くような金属音が轟いた。
振り返ると、壁面に貼られたはずの工事年表の看板が落ちている。
ライトが揺れる中、看板の裏側に鉛筆で走り書きされた文字が浮かんだ。
「昭和五十年八月 落盤 二名圧死」
清滝トンネルは元々、京北鉄道の工事で犠牲者が出たと聞いていたが、正式な資料では二月となっていたはずだ。
酸っぱい土埃と一緒に、女の京言葉が再び耳元を滑る。
「はよ出口あけて……熱いんよ……」
息が頬に触れた感触が生々しい。
4
出口が見えた。だが開口部は非常用シャッターで塞がれている。
宮園がチェーンを外そうとしゃがんだ瞬間、奥から低いブレーキ音が迫った。
——ギギギッ。
昔の路面電車が金属を擦るような音。
振り向くと、無人の台車がレールもないはずの舗装を滑り、火花を散らしてきた。
陽菜が脚をすくまれ倒れる。俺が彼女を抱えた時、台車は目の前で消えた。
しかし床には代わりに、焦げたハンドルと鉄くずが残っている。
ひどい焦げ臭さ。あの日、この出口で炎上したバスの匂いによく似ていた。
5
どうにか外へ飛び出すと、測量レーザーの液晶が勝手に点き、“444”と“666”の数字が交互に点滅した。
そして最後に“000”。
消えたはずのモニターに、煤で黒くなった工事員の顔が大写しになり、口だけが動いた。
「埋めといたるわ」
映像はそこで停止し、SDカードは真っ二つに割れていた。
6
翌日、データ復旧会社に出したが、カードの電子基板は局所的に炭化していたという。
だが宮園のスマホには、アプリが入れていないはずの音声ファイルが残っていた。
再生すると、レールのきしみと女の声。
「もう走らんでええ……でも止まらんもんは、誰かが代わりに押さな」
背筋が凍るほど静かな囁きだった。
今夜、八月十六日。編集室で一人になると、電源を落としたモニターが勝手に点き、黒画面に白字で“444→666”とだけ映る。
耳の奥でブレーキ音が長く泣き、焦げた風が机の下から吹き上げた。
あれは“止まらんもん”が再び走り出す合図なのだろうか。
俺はキーボードの上で指が凍り、出口のないトンネルを思い出している。
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《実際にあった出来事》
・清滝トンネル(京都市右京区)は1927年竣工。旧京北鉄道の工事で死傷事故が相次いだと地元紙『京都日報』昭和2年9月号が報道。
・1975年8月、補修工事中の落盤で作業員2名が死亡(京都府労災記録)。
・2019年8月16日未明、路線バスがトンネル出口付近で炎上し運転手が死亡、乗客6人負傷(京都新聞朝刊)。
・トンネル長は公称444m。TikTokや掲示板で「深夜に測ると長さが変わる」と投稿が多数あり、京都府警は2022年より立入禁止措置を強化している。