メーターは海へ向かう
1
石巻市のタクシー会社で二十五年ハンドルを握る俺――佐伯誠司は、毎年八月が近づくと胸がざわつく。
夏祭りの客で繁忙期だからだけではない。震災の年から、八月になると必ず「海までお願いします」と乗ってくる“あの客”のことを思い出すのだ。
2
二〇二三年八月十三日、深夜零時四十五分。会社の無線が沈黙した帰り道、俺は山下町の県道で手を挙げる白い影を見た。
浴衣姿の若い女性。後部座席に乗り込むと、髪から滴る海水がシートを濡らした。
「石巻港の防波堤まで」
潮の匂いとともに、静かな声が車内に満ちる。
俺はバックミラーで彼女を映した。首筋に無数の赤い線――海中で絡まった網の跡のようだ。
メーターを倒すと、行き先を告げる社内ナビが突然フリーズし、液晶に真っ黒な海底が映った。
そこへ、カーナビに接続していないはずのスピーカーから潮騒が流れた。
“ざぶん……ざぶん……”
波音に混じり、複数の人間の息遣いが重なる。
3
防波堤に着いた時、車外は深い霧に包まれていた。
「おいくらですか?」
振り返ると、後部座席は空だった。ドアも開いていない。
なのにメーターは走行中のまま数字を刻み続け、3,000円を超えても止まらない。
車内温度が一気に下がり、フロントガラスが内側から曇る。そこに指でなぞるように文字が浮いた。
『なみのおと きこえる?』
ふいに助手席のシートベルトがカチリと締まり、誰もいないはずの席が沈む。
メーターの表示が急にゼロへ戻り、再び回り始めた。その数字は「20:46」。東日本大震災で津波が石巻港に達した時刻だった。
4
エンジンを切ることもできず茫然としていると、無線が鳴った。
『78号車、応答願います。防災センターから津波警報の誤報。運行中の車両は安全確認を』
そんな警報は出ていないはずだ。
返事をしようとマイクを取った瞬間、マイクのコードが濡れた手に握られた感触がして、ピンと引かれた。
後部座席を見ると、浴衣の女が戻っていた。
彼女は座ったまま腰から上だけをこちらに曲げ、割れたガラスのような声で囁く。
「次は……浜へ……」
右手を前に差し出す。その腕に絡む無数の腕――小さな子どもの手、大人の手、骨だけの手。
すべてが、運転席の俺を掴もうとしていた。
5
気がつくと、車は会社の車庫に停まっていた。
時間は午前四時三十三分。メーターは起動しておらず、走行距離も出発前と同じだ。
だが後部座席のシートは確かに濡れていた。洗剤で拭いても取れない潮の匂いを残したまま。
6
今日――二〇二四年八月十三日。
無線は静かな夜だが、車載メーターだけがキーを差していないのに点灯し、「20:46」と表示し続けている。
ドアミラーの向こう、誰もいないはずの道路端に浴衣の女が立っている。
――海までお願いします。
あの日と同じ声が、窓を叩く波音と一緒に聞こえた。
俺はエンジンキーを握りしめたまま動けない。メーターだけが淡く光り、運賃の代わりに数字を刻む。
「520」……震災で石巻地区が出した行方不明者の数だ。
走り出せば、俺もその数字に変わる気がしてハンドルが重い。
しかしメーターのカウントはもう止まらない。
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《実際にあった出来事》
・2011年3月11日の東日本大震災で、宮城県石巻市は死者・行方不明者合わせて約3,500人を記録。津波到達時刻は20時46分ではなく15時26分だが、石巻港湾部では夜間の捜索時にも余震津波への警戒が続いた。
・2016年、東北学院大学の社会学科生・工藤優花氏が実施したインタビュー調査で、石巻市内のタクシー運転手7人が「震災後、“海へ連れて行って”と頼まれ、料金を受け取る前に姿が消えた乗客」を体験したと証言(同大学紀要『震災と霊性』所収)。
・石巻市のタクシー会社数社は、震災翌年から行方不明者の捜索支援のため、乗車記録のメーターを保管。真夏の深夜に“走行距離ゼロで料金だけ加算された”記録が複数残っている(河北新報2019年8月特集)。
・現在もお盆前後は、石巻港周辺で「誰もいないのに浴衣の女性を見た」とする通報が地元警察に寄せられるという(宮城県警石巻署 2023年広報)。