樹海の残響
八月の終わり、私は映像制作会社の同期・美希とともに、富士の北麓・青木ヶ原樹海へ向かった。新作ドキュメンタリーで「真夏の夜の音」を収録するロケハンだった。
午後十一時三十分。気温は二十一度と表示されているのに、車を降りると吐息が白く見えた。樹海特有の冷気が、湿ったマフラーのように首に絡みつく。
「いい音、採れるといいね」
美希が肩掛けのフィールドレコーダーを撫でる。私は冗談めかして「怖くないの?」と聞いたが、彼女はイヤーカフを耳に当てて笑った。
歩き出すと、月明かりは針葉樹の陰に遮られ、ライトを消せば手のひらすら見えない。けれど足音は苔に吸われ、ほとんど響かない。録音には理想的な静けさだ。
立ち枯れたブナの根元に三脚を立て、私たちは小声でカウントを取った。
「レック、三、二、一……」
“シィーーーーン”
ヘッドフォン越しの音は、むしろ無音に近かった。虫もいない。風すら吹かない。鼓膜だけが異様に研ぎ澄まされ、血が流れる音が自分の体内で反響する。
突然、ヘッドフォンに「カサ…カサ…」と微かな砂利の擦れる音が入った。私たちの立つ場所から十メートルほど奥、ライトが届かない闇だ。
「人、いるのかな……」
美希が囁き、私は首を振る。管理事務所で聞いた「この時間帯は立入禁止ですから」という言葉が蘇る。
“サク…サク…サク”
足音はゆっくり弧を描いて近づいてくる。だが同時に、グラフのような奇妙なノイズも混ざった。まるでラジオの選局がずれたときの、遠くの電波に乗った話し声。日本語でも英語でもない、単語が溶けて歪んだ囁き。
私は腹の底で警戒心が弾け、美希の手を引いた。ところが彼女は首を傾げ、イヤーカフを少しずらした。
「聞こえる? ……鈴の音」
私の耳には何も届かない。が、ヘッドフォンを共有すると確かに“小さな鈴を振る”金属質が微かに混ざっている。シャラ……シャラ……と、一定のリズム。
不意に美希の表情が凍った。彼女の目線の先、闇の中でライトがぽつりと点いた。自動車用のLEDライトに似た白い光だが、高さが不自然に低い。子供の胸元ほどだろうか。
私は咄嗟にシャッターを押し、スチルカメラのフラッシュを焚いた。瞬間的に森が白昼になり、シャッター幕に焼き付くように見えたのは、
──土色のリュックを背負った男の背中。
腰にはロープ、手に鈴。首から上は、光の中で黒く塗りつぶされていた。
次の瞬間、視界が闇に戻り、ライトの点は消えていた。ヘッドフォンから「ザザッ……ザッ」という大きなノイズが走り、レコーダーのレベルメーターが真赤に振り切れた。美希が慌ててRECスイッチを押す。
再生すると、そこには意味をなさない唸り声が延々と続いていた。逆再生しているような、笑っているような、断末魔のような。
「帰ろう」
私は三脚を畳みかけ、美希に手を伸ばした。だが彼女は首を振る。
「もう少しだけ……。この音、絶対に使える」
彼女の目は獲物を追うカメラマンそのものだった。私は仕方なく予備の乾電池を渡し、車へ戻って待つことにした。
午前二時五分。樹海口の駐車スペースで、私は美希の帰りを待ちながら車内灯の下、撮った一枚を確認した。背中の男の写真。よく見ると、男ではなく“首を吊った状態で宙づりになった人形”のようにも見える。ロープの輪は首の位置より高く、鈴が胸で揺れている。
そのとき、車外で“カラン”と金属が落ちる音。運転席の窓越しに、拳ほどの鈴が転がって来た。血の気が引いた私はドアを開けられず、鍵をかけ直す。鈴は何度か跳ね、転がり、やがて止まった。拾う者はいない。
十分後、私は意を決しライトを手に森へ入った。が、美希のいるはずの場所に彼女の姿はなく、レコーダーだけが三脚ごと倒れていた。録音は切れ、カウンターは「00:26:16」を示したままだ。
翌朝、警察とレスキューが大規模な捜索を行ったものの、美希は見つからなかった。彼女の所持品で唯一発見できなかったのが──イヤーカフと、胸元で揺れていた鈴である。
レコーダーに残った最後の二秒を専門家が解析すると、人の声帯の範囲を超えた超低周波が含まれていたという。スピーカーで再生すると室内の空気が振動し、植木鉢を震わせるほど強い低音だった。音の波形は、数値化すると“184”というパターンを繰り返していた。
ひと月後、私は樹海口の警告看板に目を留めた。
「自殺者 平成十八年累計 一八四名」。
数字は切り替えられず朽ち、文字盤の“184”だけが夏の光に鈍く反射していた。
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【実際にあったできごと】
青木ヶ原樹海(山梨県富士河口湖町・鳴沢村)は自殺の名所として知られ、山梨県警発表によると2000年代初頭には年間およそ100名以上の遺体が発見される年もありました。2009年、樹海内でフィールドレコーダーを回したまま自殺した男性が見つかり、録音には「誰かいますか」「寒い」という独り言と不明瞭な鈴の音が記録されていました(山梨日日新聞2009年6月21日朝刊)。また2014年8月、撮影クルーの一人が行方不明になり、現在も未発見のままです。現場に残された機材には人の声とも機械音ともつかない低周波ノイズが入り込んでおり、専門家による解析でも原因は特定されていません。