潮騒を連れてくる乗客
八月十五日、盆の送り火が終わった深夜。湿った温風がフロントガラスを曇らせるなか、私は宮城県石巻市の湾岸道路を流していた。震災後に開業した小さなタクシー会社で夜勤を始めて三年、真夏でも海辺は潮の匂いよりアスファルトの熱気が勝つ――はずだった。
午前一時二十二分。無線もスマホ配車も途切れ、私は門脇町のコンビニ前でエンジンをアイドリングさせていた。そこへ、後部ドアのノブが「カチ」と上がる音。振り向くと、白いワンピースの若い女性が無言で乗り込んでくる。髪は肩まで濡れて艶やかに貼りつき、裸足だった。
「こんばんは、どちらまで?」
返事はない。ただ、彼女はシートベルトをせずに前方を見据え、口を小さく開閉させている。耳を澄ますと、声にならない呼吸の隙間に潮鳴りのような音が混ざった。
胸騒ぎを覚えつつも、メーターを倒し発車する。車内ミラーの中で、彼女がやっと囁いた。
「……ゆりあげ」
名取市閖上。大津波で町ごと呑まれ、今は整地の最中だ。石巻からは高速を使っても一時間近くかかる。
私は念を押す。
「閖上で、よろしいですか?」
再び答えはなく、ただ窓の外へ濡れた髪が揺れた。
国道398号を南下する間、外気温計はずっと28度なのに、車内だけが妙に寒い。エアコンを切っても肌に冷気がまとわりつづけ、バックミラーの縁が白く曇った。後部座席の足元には、なぜか海藻のような湿った匂いが漂う。
鹿妻の交差点を過ぎ、私は会話を試みた。
「ご実家、閖上なんですか?」
ミラー越しに彼女の口が動く。「……まだ、帰れない」。声というより波が砕ける泡に近い。背筋を冷たい指でなぞられたような感覚が走った。
ふと、ダッシュボードの時計が狂っているのに気づく。二十三時四十六分――震災発生時刻より二分早い。それから何度見ても針は進まず、ハンドルまでじっとりと結露していた。
やがて県道10号線、名取川を跨ぐ閖上大橋に差しかかった。復興工事の照明が遠くで瞬き、河口までは暗闇が続く。橋の途中で、彼女が初めてはっきりと声を発した。
「ここで、降ります」
私は非常駐車帯に寄せ、料金を告げた。が、後部シートは空っぽだった。ドアが開く音もシートが軋む気配もない。慌てて降り、車体の周囲を探す。橋の欄干の向こう、黒い川面に街灯のない闇がゆらぎ、潮風に混ざって鈴のような金属音がかすかに聞こえた。
戻ってみると、後席が濡れている。海水が染みたようにシートが色濃く、足元のゴムマットには小さな貝殻が三つ転がっていた。
会社へ報告すると無線越しの所長がぼそりと言った。
「またか……。すぐ帰って来い、身体温めろ」
事務所に戻ると、他の夜勤ドライバーがカップ麺を啜りながら教えてくれた。
「震災から数年は、夏になると裸足の女を乗せたって運転手が何人もいたんだよ。大抵『閖上まで』って言う。メーターが止まったり、車が潮臭くなったりしてさ」
「乗せた人は……、大丈夫なんですか」
「風邪ひくぐらいで済むやつもいれば、翌日高熱で倒れるやつもいた。けど、落とすまで送らないともっと酷いって噂だ」
私は震えを抑えながらシートを外し、洗剤で何度も拭いた。しかし塩気は落ちず、今も車内に残るほのかな潮の匂いがハンドルを握る指先を冷やし続けている。
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【実際にあったできごと】
東日本大震災(2011年3月11日)後、宮城県石巻市や名取市など被災地のタクシー運転手が「乗せたはずの客が途中で消えた」「被災地域まで行き先を告げられ、料金を受け取れなかった」などの体験を証言。2016年、東北学院大学の学生が聞き取り調査を行い、石巻市内のタクシー会社で7人の運転手が類似の“幽霊乗客”事例を報告したことが読売新聞、朝日新聞ほかで報じられた。なかでも「白いワンピースで裸足の若い女性を閖上まで乗せた」という証言は複数人から重複しており、降車地点に水滴や貝殻が残っていた例も記録されている。