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怖い話  作者: 健二
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東京拘置所巣鴨刑務支所(通称:巣鴨プリズン)の跡地

 窓の外で蜃気楼のように揺れる真夏の夜景を見下ろしながら、私はキーボードを打ち続けていた。池袋・サンシャイン60の47階、時刻は23時。空調の効きすぎたオフィスには、同僚の北口と私しか残っていない。


「外、熱帯夜だってさ」

 北口がペットボトルの水を振りながら言った。私が相槌を打とうとした瞬間──


 ピン……。


 蛍光灯が一本だけ弾ける音を立てて消えた。薄闇と冷気が交錯し、背筋に汗が貼りつく。ビルでは珍しいことではない、と自分に言い聞かせてモニターへ目を戻したとき、フロアの奥の会議室がふっと明るくなった。誰もいるはずがない。


 その会議室のガラス越しに、白いネクタイ姿の男がこちらを向いていた。照明に浮かび上がった輪郭はぼやけ、顔の中央が黒くえぐれたように見える。


「北口、誰か残ってる?」

「え? もうオレらだけだろ」


 私が会議室を指さすと、さっきの男は消えていた。

 気のせいかもしれない。それでも動悸は収まらず、私は「自販機に飲み物を買いに行く」と席を立った。廊下に出ると、ビル特有の人工的な冷気がまとわりつく。


 ──チン。


 エレベーターの到着音。ボタンを押していないのに扉が開いた。誰も乗っていない。乗る気にはなれず、背を向けて自販機に小銭を入れた瞬間──背後で扉が閉まり、上昇するモーター音が響いた。


 5秒後。轟音とともに非常ベルが鳴り、床が小刻みに揺れた。モニターに映る「非常用EV作動中」の赤い文字。47階にいた北口がなんらかの誤作動で閉じ込められたのでは、と嫌な想像がよぎった。私は腰を固めて自席へ戻ろうとしたが、通路の奥に北口の背広姿が見えた。


 彼はフラフラと会議室へ入っていく。なぜかドアを閉めず、ただ照明の下で直立したまま首を下げている。


「北口、大丈夫?」


 近づくにつれ、彼の足元に黒い水溜りのような影が広がっているのが見えた。オフィス床のマットにそんな染みはあり得ない。影は脈打つようにゆらぎ、吸いこまれそうな深さを湛えていた。


 北口はうわごとのように呟いた。

「……死刑囚は、エレベーターじゃなくて――」


 その瞬間、会議室の蛍光灯がすべて弾けた。ガラスの破片が降り注ぎ、私は思わず身をすくめた。停電した闇の中で、どこからか縄が軋む音が続いた。


 暗闇の終わりは突然だった。非常灯が点き、私は床に落ちた資料の上へ膝をついていた。北口の姿はない。代わりに、先ほどの影が扉の外まで伸び、熱をもった空気が立ち上っていた。


 震える手でスマホのライトを点けると、影の中心に古びた木札が浮かび上がった。焼け焦げのような匂いと共に墨文字が読める。


 ――昭和二十三年十二月二十三日 乙号囚 三名。


 刑務所の処刑台で使われる「執行完了札」だ。サンシャイン60が建つこの場所は、かつて東京拘置所・巣鴨プリズンの跡地。戦後、大量の戦犯が処刑されたと、入社時の研修で聞いたことがあった。


 視界の隅で、首のないスーツ姿がゆっくり振り向く。顎から下だけが笑うように震え、胴体は影に溶けた。全身に鳥肌が立ち、私は逃げるようにエレベーターホールへ走った。


 ピン、と軽い音。呼んでいないエレベーターが再び開く。中には誰もいない……はずなのに、薄闇の奥で縄の先だけがゆらりと揺れた。


 私は非常階段へ飛び込み、47階から1階まで駆け下りた。どのフロアの踊り場でも、背中に何かが並走している気配が付きまとい、踊り場の小窓には外の夜景に紛れて首のない影が映っていた。


 地上にたどり着いた頃には夜が白み始め、吹きつける湿気の中でようやく北口に電話をかけた。――繋がらない。会社が始まる時間になっても彼は出社せず、警備員を伴って47階を探したが、机と椅子は整然、影の染みも木札も跡形もなかった。


 ただ、彼のPCデスクトップに「吊刻」という名のテキストアイコンが残っていた。開くと一行だけ。


 “上へ行きたい者から、順に吊る”


 本社はあの日の出来事を「単なる誤停電」と報告したが、私は退職届を出したまま池袋の街を離れた。今も真夏の夜、あのビルの上層階を見上げると、ガラス壁の内側で縄を握りしめる白いスーツの影が揺れている。


――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】

サンシャイン60(東京都豊島区東池袋)は、1978年の竣工以前、この地にあった「東京拘置所巣鴨刑務支所(通称:巣鴨プリズン)」の跡地を再開発して建設されました。1945年から1951年にかけて、A・B・C級戦犯を含む多数の被拘禁者が収容され、1948年には東條英機ら7名の死刑が執行されています。ビル完成当初から「深夜に首を吊る影が見える」「無人のエレベーターが上階を往復する」などの怪談が複数報告され、テレビ番組や雑誌でもたびたび取り上げられました。

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