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怖い話  作者: 健二
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水音が追ってくる

 八月十三日、盆の入り。富山で大学生活を送る私は、地元の友人・理央と先輩の烏丸に誘われ、深夜の肝試しに出かけた。目的地は魚津市の山中にひっそり残る廃旅館「坪野鉱泉」。昭和四十年代に閉業し、いまはコンクリートの骨組みだけが藪に埋もれているという。昼間でも薄暗い場所らしいが、真夏の蒸気を孕んだ夜には霊が“湯の花”のように立つ、と噂されていた。


 午前一時。藪だらけの林道に理央の軽が止まった。フロントガラスの向こうで、瓦礫に覆われた三階建ての旅館跡が月光を反射している。山あいの湿度は凄まじく、車外に出た瞬間、汗と泥の匂いが肌へまとわりついた。


 烏丸は懐中電灯を一本だけ持ち、余裕ぶった声で言う。

「三階の大浴場まで行ったらクリアな。置きっぱの鏡に“もう帰れ”って文字が浮くってさ」


 足場は崩れかけたコンクリート片だらけで、歩くだけで靴底が軋んだ。玄関だったはずの空間をくぐると、急に冷気が満ちる。森の外より数度は低い。


 ――ペチャ。


 足元で、ぬめりのある水音がした。見ると、理央のスニーカーが濃い茶色の水たまりに沈んでいる。なのに床は乾ききったコンクリート、雨など降っていない。


 「泥?」と屈んだ彼女の背後で、廊下の闇が波のように揺れた。“何か”が走り抜けたような気配に三人とも動きを止める。


 烏丸が懐中電灯を振ると、奥に鏡が立て掛けられていた。縦長の姿見で、周囲はガラス片でギラついている。その前だけ床が黒く濡れ、滴る水の音が絶えない。


 「電池が弱ってきた」

 彼が言った瞬間、懐中電灯の光がふっと落ちた。薄闇に目が慣れるのと同時に、鏡面が月光を集めたように青白く輝き、文字が浮かぶ。


 “フタリ ナラ カエレル”


 理央が息を吞むのがわかった。私たちは三人だ。誰が余る? そんな焦燥が脳裏をかすめた次の瞬間、鏡の奥から水音が高まり、足元の水たまりが私と理央の靴を吸い込むように動いた。


 膝下まで沈んだ泥水は冷たいを通り越し、氷水のように感覚を奪う。引き抜こうと踏ん張ると、腰のあたりで“グギッ”と骨が鳴り、身体がぶつ切りに引き裂かれる錯覚を覚えた。


 烏丸が私たちの腕をつかんで引っ張る。その拍子に彼のスマホが胸ポケットから落ち、液晶が上を向いた。点灯したままの画面に、真正面の鏡が映る。


 映った烏丸の顔が……ない。首から上が真っ黒に塗りつぶされ、口元だけが歪んだ笑みに見えた。私は悲鳴を飲み込み、力を振り絞って泥水から足を引き抜いた。


 理央も同時に抜け出したが、烏丸は鏡に背中を向けたまま動かない。上半身が僅かに震え、肩越しに覗いた首筋が異様に長く伸びている。まるで誰かが頭を真後ろから引っ張っているように。


 「烏丸!戻れ!」


 私と理央が腕を掴むが、ぬるぬるした汗と泥で滑ってしまう。鏡の表面が波打ち、向こう側に廃れた浴室が見えた気がした。タイルの床で、男物の下駄が二足転がっている。


 “あと一人”


 耳元で囁かれ、私は理央を突き飛ばすようにして鏡から距離を取った。すると突然、水音も冷気も消え、旅館跡はただの廃墟の静けさに戻った。鏡には一行、“かえれ”とだけ残り、その下に泥だまりが波紋を広げている。


 烏丸はいなかった。鏡の向こうにも、廊下にも、山の闇にも。私たちは半狂乱で林道へ逃げ戻り、理央の軽で麓まで泣きながら走った。翌朝、警察と共に現場へ戻ったが、鏡は粉々に割れており、泥水の痕跡は一切ない。烏丸は行方不明のまま、いまも捜索願が出されている。


――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】

坪野鉱泉(富山県魚津市)は昭和初期から温泉旅館として営業したものの、昭和四十年代に閉業。1996年5月5日深夜、肝試しに向かった19歳女性2名が乗用車ごと行方不明になる事件が発生しました。捜索は難航し、25年後の2021年3月、富山湾の海底で車両が発見され、2人の遺体と確認。失踪から発見までの長い空白と、廃墟周辺での“鏡に文字が浮く”“水音が追ってくる”といった怪談が相まって、今なお夏になると訪れる若者が絶えません。

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