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怖い話  作者: 健二
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たまゆらの拍手

 七月十八日、京都・伏見桃山の住宅街にある更地で、私は三脚を立てた。ここには四年前まで三階建てのアニメスタジオがあった。私は元・音響助手の早川蒼真(三十歳)。火災後に解散となったスタッフの一人だ。

 事件以来、毎年同じ日にファンが静かに花を手向けに来る。だが去年あたりから、午前二時すぎに敷地から拍手と歓声が聞こえるという噂が広がった。近隣住民が通報しても誰もいない。私は録音機材を抱え、真相を確かめに来た。


 日付が十八日へ変わる頃、風鈴のような音が更地の中央で揺れた。枯草の間で、電源を切ったはずの非常灯がぼんやり再点灯している。私はヘッドホンをかけ、指向性マイクを向けた。


 01:47

 かすかな足音。サンダル、スニーカー、革靴が混在するような不統一のリズム。続いて短い手拍子が連鎖した。まるで上映後の舞台挨拶だ。


 01:52

 ヘッドホンの奥で男性がささやく。

「キャラ表、できた?」

 次いで女性の笑い声、鉛筆の走る音。私は凍りついた。どれも覚えのある声色。火災の日の午前中、私が資料室で収録したガヤのテスト音だ。バックアップは建物とともに燃え、残っているはずがない。


 02:03

 空気が焦げた砂糖のような匂いを帯び、三脚がきしんだ。それでも私はRECを止めない。更地の中心、雑草が途切れた円形の土が淡い橙色に光り、人影が浮かんだ。半袖のシャツにジーンズ、ロックTシャツ、エプロン姿──当時の同僚たちの服装そのままだ。

 彼らは円の内側で向かい合い、拍手を繰り返す。頭上には何も映っていないのに、そちらを見上げ笑っている。


 私は思わず「お疲れさま」と呟いた。すると全員がこちらを振り向き、拍手が止んだ。静寂。次の瞬間、女性の声がはっきり届く。


「続き、お願いね」


 火災で最終話のアフレコが途中だった新作タイトル。私は逃げることも涙を流すこともできず、震える手でポケットを探った。出てきたのは、火災の直前に配られた絵コンテの切れ端だ。私はそれを更地の土に置き、深々と頭を下げた。


 途端、風が巻き、影たちはふわりと解けて上昇した。光も拍手も匂いもなくなり、ただ夏の虫の声だけが残った。腕時計は02:13。


 ホテルへ戻り、音声を確認した。最初の十五分間、拍手と作業音はクリアに録れている。だが「続き、お願いね」と私が聞いたはずの台詞だけ切れている。そこだけ波形が深く抉れ、60Hzのノイズが満ちていた。スペクトラムを反転させると、ノイズの空隙が数字を描いていた。


 07 18


 事件の日付。


 七月十八日の正午、スタジオ跡地には花束とファンアートが列を成した。私は録音データをUSBにまとめ、献花台の脇にそっと置く。持ち帰るより、ここに残す方が正しい気がした。

 夕暮れ、最後の参拝者が去ると、USBのLEDが一度だけ点滅し、消えた。それはまるで「受け取った」と言われたようだった。


―――――――――――――――――――――――――――――

【実際にあったできごと】


・2019年7月18日、京都市伏見区に所在したアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオで放火火災が発生。36名が死亡、32名が負傷する惨事となった。

・スタジオ建物は翌年解体され、現在は更地。毎年7月18日には遺族やファンが献花に訪れる。

・事件当日に制作中だった作品の一部資料は消失したが、社内サーバーに残っていたデータを基に複数のタイトルが後に完成・公開された。


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