流砂の鎮まり
一
八月十三日、私は静岡県熱海市伊豆山の斜面に立っていた。夜十時、見下ろせば海と市街のネオンが波打ち、その手前で真っ黒な谷筋だけが口を開けている。二年前の土石流で抉られた傷痕だ。
私は災害ルポを書くフリー記者・山科悠(三十一歳)。取材先の消防団員から奇妙な噂を聞いた──「お盆の夜、流れ下ったはずの水が上ってくる」と。上ってくる水? 冗談に思えたが、同じ証言が三人から出たので確かめることにした。
二
急造の盛り土護岸に沿って、仮設の木製遊歩道が続く。斜面下で土石流が堆積した場所は今、青い遮光シートで覆われ、夜のライトに緑がかった皺を浮かべていた。
その上手に仮霊安置所――通称「鎮まり堂」がある。白いテントに遺影を預け、住民が日替わりで線香を絶やさない。私は一本譲ってもらい、手を合わせた。
十時二十八分。
谷底の闇で「ざわ…ざわ…」と水音が起きた。雨は降っていない。カメラを向けると、シートの下で何かが膨らみ、風船のように持ち上がる。
やがて透明な水の筋が盛り土を逆流し、遊歩道の板を濡らしながら私の足元へ向かってくる。真夏の空気なのに、足首が凍えるほど冷えた。
三
私はボイスレコーダーを起動した。イヤホン越しに、水音とは別の揺らぎが混じる。
……ごめんね……まだ……
人の声なのに残響がなく、耳の奥で鳴る。続いて、小さな拍子木のような「カン、カン」という音。消防団が家屋を叩きながら安否確認した時の合図だ。
十時三十三分。
護岸ライトが一斉に消えた。闇の奥、盛り土の稜線に数珠つなぎの影が浮かぶ。背丈はまちまちだが、みな長靴とヘルメット、あるいはエプロン姿で斜面を登ってくる。
土石流の日、住民は避難指示を受けながらも自宅や店に戻り、巻き込まれた。私はニュース映像で見た服装を思い出し、声を張り上げた。
「ここはもう安全です! 上へ上がってください!」
影の列は止まらず、私の脇をすり抜けて鎮まり堂に向かった。薄闇の中で線香の火が一瞬だけ風にゆれ、白い煙が渦を巻く。堂の中へ入った影たちは、遺影の前で膝をつき、額を合わせる。
そして。
十時三十七分。
遊歩道の板が震え、私は膝を折った。耳元でささやき。
……まだ……あの子……帰って……
胸ポケットからレコーダーが滑り落ちた。拾おうと手を伸ばした瞬間、濁流の逆再生のような轟きが谷底から上がり、足元の水が一気に引いた。闇と共に影も鎮まり堂もかき消え、再びライトが点く。
残っていたのは乾いた遊歩道と、私の靴底だけが濡れた跡。風はぬるいのに靴下は氷水のようだった。
四
翌朝、市役所の災害対策課に出向き、深夜の停電記録を調べたが、二十二時台の電圧低下は報告なし。私は係員に昨年のお盆の夜について訊ねた。
「線香の煙が逆さに流れて、亡くなった家族が帰って来た気がした、という話は聞きました」
係員は苦笑した。「でも計器は異常なし。匂いや音は計れませんから」
五
ホテルで録音を確認。ノイズに混じり、「カン、カン」という拍子木と「まだ…」の声が二度。スペクトラムを反転すると、山肌を象る白い線の下に日付が浮き出た。
7 3
この場所で土石流が起きた、七月三日の数字だった。ファイルを保存し直そうとしたが、再生マークは灰色で固定され、波形は砂のように崩れて消えた。机の上には乾いていたはずの靴底から、ぽとりと透明な滴が落ちた。
伊豆山の斜面は、まだ声を抱えている。次の盆には、線香よりも強い灯を、拍子木よりも早い応答を持って来よう。流れ下った命が、逆流してでも家に辿り着けるように。
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【実際にあったできごと】
・2021年7月3日、静岡県熱海市伊豆山地区で大規模な土石流が発生。盛り土を含む土砂が海岸まで約2km流下し、27名が死亡・行方不明となった。
・斜面上部の開発による盛り土の不適切な管理が被害拡大を招いたとされ、現在も調査と訴訟が続いている。
・現地では毎年お盆に仮設祭壇「鎮まり堂」が設けられ、遺族と住民が線香を手向けている。