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怖い話  作者: 健二
★☆★
51/70

閃光後の残像


一 

 八月五日の夕方、私は広島に着いた。映像制作会社で働く三十二歳の私(伊吹慎也)は、原爆投下から七十八年目の特集番組を任され、被爆建物のナイトロケを提案した。夜間に撮る理由は、地元で囁かれる「残像の歩道」を検証するためだ。

 平和記念公園から元安川を北へ二百メートルほど遡ると、石畳の遊歩道がある。深夜一時すぎ、その石畳に人影が浮かび上がり、八・六と刻まれた時刻表示が逆転して見える──そんな怪談が、地元の学生の間で毎年広まる。取材許可を取り、私は録音機材と4Kカメラを抱え、静まった川沿いに三脚を立てた。


 二十三時四十五分、気温は二十八度。夜風は少し生ぬるい。街灯だけでは暗いので、小型LEDパネルを地面すれすれに設置した。すると石畳の灰色がやや緑を帯び、まるで川面の藻が染み込んだように見えた。

 午前零時一分。公園側の木立から子どもの笑い声が微かに漂った。修学旅行生の悪戯かと思ったが、姿はない。カメラのファインダー越しに石畳を覗くと、中央に“人の背”を思わせる濃い影が浮かび、すぐに消えた。

 私はオーディオレベルを確認する。ノイズの底で「…せんせい…」と聞こえる。空耳かもしれない。だが次の瞬間、LEDパネルが一斉に消え、街灯さえスッと暗転した。広島の中心部で、突然すべての灯が落ちるなどあり得ない。


 闇に包まれた途端、石畳が白く発光した。いや、光ではない。路面に焼き付くように、無数の輪郭――子どもの手、おさげ髪の影、下駄の鼻緒――が浮かんでいる。焦土の写真で見た“影絵”と同じ色合いだった。

 眩しさはないが、目を逸らせない。背後で水音。振り向くと、元安川の水面が波立ち、無数の小さな燐光が上がり始めた。火垂るに似た光点が水の皮膜を破り、空へ上がると消える。

 私はヘッドホンを外した。闇の底から拍手とも雨ともつかない音が湧き、女の子の歌声が重なる。「かごめ かごめ……」

 ここで録音は切れた。カメラもフリーズし、赤いRECランプが点滅を止めた。私は三脚を掴み、撤収しようとした。しかし足が動かない。鳴子を踏んだような乾いた音がし、石畳の縁に黒い影が立っていた。

 白いワンピースの少女だ。髪は肩より長く、顔は暗がりに溶け、見えない。だが両腕を胸の前で合わせ、私に向かって頭を下げた。手の中には、真新しい折り鶴がある。

「先生、見つけた」

 その一言で、両脚が氷になる。私の高校時代、原爆の紙芝居を自主制作し、放課後に手伝ってくれた後輩がいた。名前を呼ぶ前に、少女は川の方を向き、そっと折り鶴を放した。風もないのに鶴は舞い上がり、闇の上空で光弾となって弾ける。すると石畳の影がふっと薄れ、街灯が同時に点いた。

 気づけば午前零時十五分。川も石畳も、何事もなかったかのように静かで、人の気配さえない。私は震える手でカメラを再起動した。撮れていた映像は赤いノイズで覆われ、音声ファイルは破損。唯一残ったサムネイルに、白いワンピースの背中と無数の影だけが焼き付いていた。


 八月六日午前八時十五分、私は平和記念式典の人波に紛れながら、あの石畳を遠巻きに眺めた。誰も気づかないが、路面の一ヶ所にわずかな黒い窪みがあり、人がしゃがんだ姿を思わせる。昨夜私が最初に見た“背の影”だ。

 式典終了後、資料館の学芸員に事情を話すと、彼女は小声で言った。

「夜に浮かぶ影は、正式な調査対象ではありません。でもあの遊歩道の石は、当時銀行の外壁だった石材を転用しています。爆心地から二百五十メートル。そこには実際、“人影の痕”が残ったんです」

 石材は移設の際に研磨され、痕跡はもう視認できないはずだった、と。


 私は会社に戻り、夜の映像を解析した。ノイズの間にスペクトラムを走らせると、周波数域に数字が浮かぶ。

 08:15

 逆さまにして見ると、12:50 と読めた。広島で停電が起きた昨夜の時刻。

 結局、番組は通常の式典レポートに差し替えられた。だが私のデスクには今も、折り鶴を模した白いノイズの静止画が残る。梨地の画面に浮かぶ一羽の鶴は、再生ボタンを押すたびにわずかに羽ばたき、聞こえない歌を口ずさんでいる。


【実際にあった出来事】

・1945年8月6日午前8時15分、広島市上空で原子爆弾が炸裂し、同年末までに約14万人が亡くなったと推定されている。

・爆心地付近の旧住友銀行広島支店(現・広島平和記念公園北側)外壁に、爆風と熱線で瞬時に炭化した人の「影」が刻まれた。この石材の一部は後に保存・展示されている。

・平和記念公園周辺では、投下前日に大勢の小中学生が建物疎開作業に動員され、多くの児童生徒が犠牲となった。

(以上が実際に記録された史実である)

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