橋上の人波
一
七月二十一日、私は十七年ぶりに兵庫県明石市の大蔵海岸へ来た。海上に広がる夜店の匂い、潮風にまざる焼きそばの甘い湯気──それらは、私にとって封印していた匂いだった。
私は三十三歳。映像ディレクターだが、学生時代は地元ボランティアとして明石花火大会の警備補助をしていた。二〇〇一年、あの歩道橋事故の夜も橋の下で誘導に立っていた。十一人の命を抱えきれなかった自責は、夏が来るたび喉元で錆びつく。
今年、祭りは十三年ぶりに規模を拡大し、主催者から公式記録の撮影依頼が届いた。逃げずに向き合え──そんな圧のある声が、海から聞こえた気がした。
二
会場へ向かうには、JR朝霧駅北口から国道二号を跨ぐ歩道橋「桜町跨線橋」を渡る。鉄骨の赤錆は塗り直され、階段には滑り止めのゴム板が敷かれ、警備員が十メートルごとに立つ。だが夕方五時、早くも橋上は人で埋まり、子どもたちの歓声が混線する。
私は肩掛けカメラを構え、群衆の流れと係員の動きを記録した。ファインダーを覗くと、反対側の海が逆光で白く飛び、まるで空へ歩いて行く道のように煌めいていた。
三
午後七時三十分。花火の号砲。海面で一発目が開いた瞬間、橋の上の足元を“ざわっ”と鳥肌が走った。振動と言うより、不意に踏まれた足の甲が冷える感覚。私は咄嗟に屈み込む。足首に小さな指が触れた気がした。
振り返ると、すぐ背後で女児が泣きじゃくっている。母親が抱き上げ、足元を見ると白いサンダルの片方がない。だが床板の隙間は二センチほど、落ちるはずがないのに──。
次の花火が上がったとき、私のヘッドセットに雑音が入った。
「……まって……まってよ……」
無線機の回線はまだ開いていない。なのに、子どもの声だけがイヤーマフの奥で揺れる。思わずレベルメーターを見ると入力はゼロ。
四
午後八時二十分。橋上の観覧客が一斉に海側へ身を乗り出し、大きな玉が打ち上がった。肩越しにカメラを回していると、視界の端で白い浴衣の帯が揺れた。それは人の背丈にして異様に低い。
浴衣の子が、人波を縫うように階段へ向かう。私は混雑を避けるよう逆側の階段を駆け下りた。欄干の隙間から見えたのは、小学二年ほどの女の子。右手を誰かに引かれるように空へ伸ばしながら、橋の中央で立ち止まる。周囲の大人には見えていないらしい。
私は無線で上部警備員に報告しようとしたが、スイッチを押す前に重い低音が鳴った。花火の音でも国道の走行音でもない。鉄骨が撓むような、あの夜に聞いた“群衆雪崩”の前触れ。
とっさにカメラを構えていた指が勝手にRECを停止し、替わりにポケットのホイッスルを握った。二〇〇一年、事故調査班が配っていた残り物だ。高く短い音を三回吹くと、昔の癖で周囲の警備員が振り向く。
「中央で立ち止まらないでくださーい!」
拡声器が響くが、浴衣の子は振り向かない。私は人波をかき分け、子どもへ手を伸ばした。
指先が届く直前、彼女の体が不意に透けた。浴衣の柄だけが風に散り、階段の下に白いサンダルが落ちた。さっきの女児のものと同じデザイン。
五
その瞬間、足元の鉄板が震え、群衆がざわついた。が、事故は起きなかった。警備がうまく誘導し、人波は穏やかに流れを取り戻した。私は拾ったサンダルを胸に、橋から降りる。
花火終了後、海岸の照明が落ちた。空は灰色の煙で覆われ、残った火薬の匂いが潮と交じる。私はついにカメラを確認した。
録れていたのは、橋の中央部で立ち止まる「誰もいない」空間と、そこへ集まる人々の混乱。浴衣の子もサンダルも、レンズには映っていなかった。だが音声には、子どものうわ言と甲高いホイッスル、そして別の低い声が録れていた。
「まだ くつ かえしてない……」
六
翌日、事故慰霊碑の前で手を合わせた。花を供えサンダルを置くと、潮風が帯びた夏雲が切れ、日差しが一瞬だけ強く差した。
歩道橋事故のニュース記事を読み返していると、亡くなった九人の子どもの中に、白い朝顔柄の浴衣を着た女の子の名があった。遺品として片方だけの白サンダルが父親に返され、もう一方は行方不明……。
私は胸ポケットの無線機を握った。ノイズ交じりに、遠くで花火の残響のような声がする。
「せんせい、ありがとう」
ホイッスルが風で鳴り、潮の匂いが濃くなった。夏の明石は、まだあの夜の人波を抱えたまま、海を見ている。
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【実際にあったできごと】
・2001年7月21日、兵庫県明石市で開催された「明石花火大会」終了後、JR朝霧駅北側の歩道橋(桜町跨線橋)上で群衆事故が発生。群集雪崩により子ども9人を含む11人が死亡、247人が負傷した。
・事故後、主催と警備体制の不備が裁判で問われ、兵庫県警と明石市の担当者が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。
・歩道橋は補強工事と監視カメラの設置が行われ、安全対策を大幅に強化。犠牲者を悼む慰霊碑が海岸沿いに建てられ、毎年7月21日に遺族と市民が献花している。