「旧犬鳴トンネルで拾った Bluetooth」
1.深夜1時すぎ――山道で途切れるナビ
保険外交員の千夏は、福岡県の営業先から戻る途中で道をまちがえた。スマホのナビは圏外、頼みの Bluetooth イヤホンからは不気味なホワイトノイズ。ようやく電波をつかんだと思った瞬間、地図に奇妙なピンが立った。
「旧犬鳴トンネル 550m先」
不意にイヤホンが切れ、代わりに小さな男の声が聞こえた。
「……まだ燃えてる……ここ、熱い……」
2.トンネルの手前――焦げ跡の残る白線
千夏は車を降り、懐中電灯を点ける。トンネル入口の白線だけが真っ黒に焦げ、アスファルトはガラス状に溶けていた。まるで高熱で焼かれたあと。
そのときイヤホンが再接続され、検索履歴が勝手に開く。
【1988年12月 旧犬鳴トンネル殺人】
千夏はぞっとした。実際にあった事件――
• 会社員Aさんが若者5人に拉致され、
• 車の中で灯油をかけられ、火をつけられて死亡。
• 翌朝、燃えかすが白線の上で発見された。
画面のスクロールが止まると同時に、イヤホンの向こうでパチパチと炎のはぜる音がした。
3.トンネル内――「俺の指輪を知らないか」
奥へ進むと、壁面に指でひっかいたような錆色の跡が続く。「探してくれ」と語るように、跡は行き止まりで途切れていた。
ふと足元で何かが光る。黒こげの指輪。千夏が拾い上げると金属が異様に熱い。「熱い…熱い…」――イヤホンの声と同時に、斜め後ろから男のうめきが重なった。振り返ると誰もいない。だがトンネル奥に白いスニーカーが片方だけ落ちている。サイズは 27.5㎝、Aさんが履いていたものと同じだった。
スニーカーの中にはボロボロのメモ。英語でこう書いてある。
“If you hear the wind scream, RUN EAST.”
(風が悲鳴を上げたら、東へ走れ)
4.突風――“あの雪山と同じ音だ”
メモを読むやいなや、耳元で金切り声のような風の音。電灯が消え、トンネル中に真冬の吹雪のざわめきが広がる。
物理的にあり得ない。だが千夏にはそれが、1959年ロシアの“ディアトロフ峠事件”で報告された「空を切り裂くような風音」の記録と重なった。
•9人の登山者がテントを内側から切って逃げ出し、
• 一部は舌や眼球を失った状態で発見、
• 強い放射線と説明不能の外傷――。
風音が同じなら、次は人知を超えた“何か”が来る。千夏はメモどおり東側の非常口へ走った。
5.非常口――「とつぜん後ろ足だけで歩く犬」
非常口を抜けると、街灯一本ない山道。遠くに犬の遠吠えが木霊し、目の前の獣道にグレーの大型犬がぬっと現れた。ところが犬は四つ足を縮め、まるで人間の膝のように関節を折り曲げて二足で立ち上がった。
千夏は足がすくむ。すると犬は、かつてスコットランドのオーバートン橋で起きた“犬が次々と身を投げる”怪死現象の映像と同じ動きで、一直線に橋の欄干へ駆けた。
「ここから下へ落ちる。止めても無駄」
イヤホンの声が冷ややかにささやく。千夏が目をそらした一瞬、犬は闇へ消えた。橋の下からは何も音が返ってこない。
6.帰還――Bluetooth のバッテリー残量 0%
夜明け前、千夏は国道に出て助けを呼んだ。救急隊員に話しても、焦げた白線も二足歩行の犬も目撃されていないという。ただ、彼女のポケットには実在しないはずの“黒こげの指輪”が残っていた。
千夏が病院で意識を保つ最後の瞬間、イヤホンから微かに聞こえた。
「指輪を燃え残らせたのは、お前だ」
画面が勝手に再生した動画には、炎の中でこちらを振り向くスーツ姿の男。その手には、確かに指輪が――。