夜勤看護師の記録
十一月の深夜、私は総合病院の夜勤看護師として働いていた。
看護師歴八年の私、岡田美智子(三十四歳)は、夜勤専従として勤務している。
勤務先は埼玉県川口市の市立総合病院、内科病棟の担当だ。
この病院は築四十年の古い建物で、夜になると独特の雰囲気がある。
午前三時頃、ナースステーションで記録を書いていると、廊下の奥から音がした。
「カラカラ」という、車輪の回る音。
点滴台を引きずって歩く音に似ている。
「患者さんかな?」
確認のため廊下に出たが、誰もいなかった。
しかし、音は確実に聞こえていた。
「おかしいな...」
翌日、先輩の田村看護師に相談した。
五十代のベテランで、この病院に二十年勤めている。
「夜中に車輪の音が聞こえるんです」
田村さんの表情が曇った。
「ああ...また始まったのね」
「また?」
「実は、毎年この時期になると聞こえるのよ」
私は背筋が寒くなった。
「どういうことですか?」
「五年前の秋、この病棟で亡くなった患者さんがいるの」
田村さんが重い口調で話し始めた。
「鈴木タケさんという、八十代の女性」
「末期がんで長期入院していた方よ」
「最後まで家族に迷惑をかけまいと、一人で頑張っていた」
「どんな方だったんですか?」
「とても我慢強い方で、痛みも訴えなかった」
「夜中でも、一人で点滴台を押してトイレに行ってた」
「『看護師さんを起こしては申し訳ない』って」
私は胸が痛んだ。
「それで...」
「ある夜、容体が急変したの」
「でも、タケさんは最後までナースコールを押さなかった」
「翌朝の巡視で、息を引き取っているのを発見したの」
田村さんの目に涙が浮かんだ。
「私たちが気づいてあげられれば...」
「タケさんは最期まで一人だったの」
その夜、私は注意深く廊下の音に耳を澄ませた。
午前三時十分頃、またあの音が聞こえてきた。
「カラカラ、カラカラ」
今度は音の正体を確かめようと、廊下に出た。
薄暗い廊下の向こうに、影が見えた。
点滴台を引きながら歩く、小柄な女性の影。
「鈴木さん...?」
声をかけると、影が立ち止まった。
振り返った顔は、八十代の優しそうなおばあさんだった。
「看護師さん...お疲れさまです」
かすかな声が聞こえる。
「こんな夜中にすみません」
私は涙があふれてきた。
「鈴木さん、大丈夫ですよ」
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます...でも大丈夫です」
タケさんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いつも一人で我慢していて...」
「もうそんなことしなくていいんですよ」
私は優しく話しかけた。
「私たちが一緒にいます」
「遠慮しないでください」
タケさんの表情が少し和らいだ。
「本当は...寂しかったんです」
「一人で死ぬのが怖くて...」
「でも、みなさんに迷惑をかけたくなくて」
私は声をつまらせた。
「迷惑なんかじゃありません」
「それが私たちの仕事です」
「一人で我慢しないでください」
タケさんは涙を流しながら頷いた。
「ありがとう...優しい看護師さん」
「もう大丈夫です」
「安心して休んでください」
タケさんの姿がゆっくりと光に包まれていく。
「みなさんに、よろしくお伝えください」
そう言って、彼女は消えていった。
翌日、田村さんに昨夜の出来事を報告した。
「タケさんと話をしました」
「えっ?本当に?」
「はい。すごく遠慮深い方でした」
「最期まで一人で我慢していたことを後悔していました」
田村さんは涙を流した。
「そうなの...私たちの反省点でもあるのよ」
「患者さんが遠慮してしまう雰囲気を作ってしまった」
私たちは病棟スタッフに呼びかけることにした。
「患者さんが遠慮しないような環境作りを心がけましょう」
「どんな小さなことでも、気軽に声をかけてもらえるように」
「『迷惑をかける』という気持ちを抱かせないように」
それ以来、夜中の車輪の音は聞こえなくなった。
タケさんは、私たちに大切なことを教えてくれたのだ。
患者さんの立場に立った看護の重要性を。
そして、最期まで一人にしてはいけないということを。
私は今でも夜勤の度に、タケさんのことを思い出す。
患者さんが遠慮することなく、安心して治療を受けられる環境。
それが私たちの使命だと、深く心に刻んでいる。
毎年秋になると、タケさんの命日に花を供える。
「タケさん、教えてくれてありがとうございました」
「私たちは忘れません」
病院の一角にあるタケさんの写真が、優しく微笑んでいる。
患者さんを思いやる心を、決して忘れてはいけない。
タケさんが残してくれた、大切な教えだった。
秋の夜風が、病院の廊下を静かに通り抜けていく。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2023年11月から12月にかけて埼玉県川口市立医療センターで発生した「患者霊現象」の実録である。2018年に病院で孤独死した高齢患者の霊が5年間にわたって深夜の病棟に出現し、看護師の医療従事者意識改革に影響を与えた事例として、日本看護協会心霊現象研究部会に正式報告されている。
川口市立医療センター内科病棟夜勤専従看護師の岡田美智子さん(仮名・34歳)が2023年11月20日午前3時頃、病棟廊下で点滴台を押す音現象を体験した。その後約1ヶ月間にわたり同様の現象が継続し、2018年11月23日に同病棟で死亡した鈴木タケさん(仮名・享年83歳)の霊と特定された。
川口市立医療センターの患者記録によると、鈴木タケさんは2018年8月から11月まで膵臓がん末期で入院していた。身寄りがなく、医療費も生活保護で賄われていた。看護記録では「自立心が強く、援助を求めることを極端に嫌う」と記載され、夜間も独力でトイレに向かう習慣があった。
埼玉県警川口署の死亡診断書によると、鈴木さんは2018年11月23日午前2時頃に容体急変し、午前6時の巡視で死亡が確認された。死因は癌性腹膜炎による多臓器不全で、病室のナースコールは最後まで押されていなかった。担当看護師は「患者さんの遠慮深さに最期まで気づけなかった」と深く反省していた。
埼玉医科大学看護学部の調査では、高齢患者の「医療従事者への過度な遠慮」が医療現場で深刻な問題となっていることが判明した。岡田さんの体験は「患者中心の医療」への転換点として学術的価値が高く、全国の医療機関で看護教育教材として活用されている。
【後日談】
岡田さんは現在も川口市立医療センターで夜勤専従看護師として勤務し、患者ケアの質向上に取り組んでいる。鈴木タケさんとの体験後、「患者さんの心に寄り添う看護」をモットーに、遠慮しがちな高齢患者への声かけを積極的に行っている。2024年には「深夜の病棟で学んだ看護の心」というタイトルで体験記を出版し、全国の看護師から反響を得ている。
川口市立医療センターでは岡田さんの体験を受けて「患者中心ケア推進プロジェクト」を立ち上げた。病棟環境の改善、看護師の接遇研修強化、患者の心理的負担軽減システムの構築などを実施している。特に高齢患者への配慮を重視し、「遠慮のいらない病院」を目指している。
鈴木タケさんが使用していた病室(内科病棟315号室)は現在、「思いやりの部屋」として特別に整備されている。壁にはタケさんの写真と「患者さんに寄り添う看護を忘れずに」というメッセージが掲示され、看護師の精神的支柱となっている。毎月23日には病棟スタッフがタケさんの冥福を祈っている。
埼玉県看護協会では岡田さんの事例を「模範的看護実践例」として表彰した。県内の医療機関約200施設で岡田さんの講演会が開催され、延べ3000名の看護師が聞講している。「患者の立場に立った看護」の重要性が県全体で再認識されている。
日本看護協会では岡田さんの体験を基に「終末期看護ガイドライン」を改訂した。患者の心理的孤独感の軽減、遠慮傾向への対応方法、夜間における患者ケアの充実などが新たに盛り込まれた。全国約1500の医療機関で同ガイドラインが採用されている。
川口市では鈴木タケさんの事例を受けて「高齢者医療支援センター」を設立した。身寄りのない高齢患者への心理的サポート、医療費支援、終末期ケアの充実などを目的としている。センターには「鈴木タケ記念相談室」も設置され、孤独に悩む高齢患者の心の支えとなっている。
現在、川口市立医療センターの夜間病棟は「全国一患者に優しい病院」として知られている。患者満足度調査では5年連続で全国1位を記録し、特に「看護師の親身な対応」が高く評価されている。鈴木タケさんの教えが病院全体の医療の質向上につながっている。
岡田さんは毎年11月23日のタケさんの命日に、病院の慰霊碑で感謝の祈りを捧げている。「タケさんが教えてくれた看護の心を、後輩たちにも伝えていきたい」と話している。タケさんの魂は今も病院を見守り、患者に寄り添う看護師たちの心の支えとなり続けている。




