団地の階段
十月末、私は神奈川県横浜市の古い団地に引っ越した。
会社員の私、松本直樹(三十歳)は転職を機に一人暮らしを始めた。
昭和四十年代に建てられた五階建ての団地で、家賃が安いのが魅力だった。
私が住むのは三階の角部屋、3-15号室。
エレベーターはなく、毎日階段を使って上り下りする。
引っ越し初日の夜、不可解な音に気づいた。
午前二時頃、階段を上る足音が聞こえる。
「こんな時間に誰だろう?」
ドアの覗き窓から廊下を見たが、誰もいなかった。
しかし、足音は確実に三階まで上がってきている。
「気のせいかな」
翌日、隣の部屋の田中おばさんに挨拶に行った。
七十代の一人暮らしで、この団地に三十年住んでいるという。
「夜中に階段の足音が気になって」
「ああ...やっぱり聞こえますか」
田中さんの表情が暗くなった。
「やっぱりって?」
「実は、この団地で昔事故があったんです」
私は背筋が寒くなった。
「どんな事故ですか?」
「十年前の秋、四階に住んでいた主婦の方が...」
「階段から転落して亡くなったんです」
田中さんが重い口調で続けた。
「山田恵子さんという、四十代の優しい方でした」
「ある夜、階段を上がる途中で足を滑らせて...」
「三階の踊り場まで転落して、頭を強打したんです」
私は震え上がった。
「それで亡くなったんですね」
「はい。発見されたのは翌朝でした」
「それ以来、夜中に恵子さんの足音が聞こえるんです」
「毎晩、四階の自宅に帰ろうとしているみたい」
その夜、私は意識して足音に注意を向けた。
午前二時きっかりに、階段を上る音が始まった。
一階、二階、三階...
そして、私の部屋の前を通り過ぎて四階へ。
確かに、女性の歩き方に聞こえる。
「本当に山田さんの霊なんだ...」
翌日、管理人の佐々木さんに話を聞いた。
六十代の男性で、事故の詳細を覚えていた。
「恵子さんは本当に真面目な方でした」
「パートから帰宅する時間も、いつも決まってました」
「事故の夜も、午後十時頃に帰宅したはず」
「でも翌朝、階段で倒れているのを発見された」
佐々木さんが続けた。
「足を滑らせた理由は分からないんです」
「階段に濡れた跡もなかったし...」
「ただ、恵子さんは家族のことをとても大切にしていた」
「中学生の息子さんがいて、母子家庭だったんです」
私は胸が痛んだ。
「息子さんはどうされたんですか?」
「親戚に引き取られて、関西に行きました」
「でも、恵子さんは息子を残して死ぬのが心残りだったでしょうね」
その夜も、午前二時に足音が始まった。
今度は、三階の踊り場で止まった。
私はドアを開けて、廊下を見た。
薄暗い階段の踊り場に、女性の影がある。
四十代くらいで、暗い色のスーツを着ている。
「山田さん...ですか?」
影がこちらを振り返った。
悲しそうな表情の女性だった。
「私...帰らなければ」
かすかな声が聞こえる。
「息子が心配してるの」
「でも...上がれないの」
私は涙が出そうになった。
「息子さんはもう大きくなられましたよ」
「きっと立派に成長されています」
山田さんの霊は、困ったような表情を見せた。
「本当?」
「はい。お母さんが一生懸命育てたんですから」
「もう心配しなくても大丈夫です」
しばらくの間、山田さんは立ち尽くしていた。
そして、小さく頷いて階段を上がり始めた。
四階に着くと、彼女の姿は光に包まれて消えた。
それ以来、夜中の足音は聞こえなくなった。
一週間後、田中さんが喜んで報告してくれた。
「最近、夜中の足音がしませんね」
「松本さん、何かしました?」
「山田さんと少しお話しただけです」
「そうですか...良かった」
「恵子さんも、やっと安心できたのね」
私は山田恵子さんについて調べてみた。
新聞の死亡記事には、息子への愛情が書かれていた。
「息子の将来を何より心配していた良き母」
「パート勤めで息子の学費を稼いでいた」
「『息子が大学に行くまでは死ねない』が口癖」
彼女は本当に、息子思いの母親だったのだ。
事故で突然命を奪われ、息子を残していくことが心残りだったのだろう。
それから三ヶ月後、偶然にも山田さんの息子と出会った。
横浜駅で、団地の管理人佐々木さんと一緒にいる青年を見かけた。
「松本さん、紹介します」
「こちら、山田恵子さんの息子さんです」
二十代半ばの、しっかりした青年だった。
「母がお世話になりました」
「僕、大学を卒業して今は会社員をしています」
「母の願い通り、立派に育ちました」
私は感動した。
山田さんの愛情が、息子を立派に育て上げたのだ。
「お母さんも喜んでおられると思います」
「はい。いつも母を感じています」
「母の愛に恥じないよう、頑張って生きています」
その夜、私は山田さんに報告した。
「山田さん、息子さんに会いました」
「本当に立派な青年に育っていました」
「もう安心してください」
風が優しく吹いて、山田さんの「ありがとう」という声が聞こえた気がした。
それから一年が経った今も、階段に異常はない。
山田恵子さんは、息子の成長を確認して安らかに旅立ったのだろう。
母の愛は、死をも超えて子どもを守り続ける。
山田さんが教えてくれた、尊い真実だった。
秋の夜、団地の階段を上る時、私はいつも山田さんのことを思い出す。
愛する人への想いが、どれほど深いものかを実感している。
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【実際にあった出来事】
この体験は、2023年10月から2024年1月にかけて神奈川県横浜市港北区の県営住宅で発生した「母性霊現象」の実録である。2013年に階段転落事故で死亡した母親の霊が10年間にわたって息子への心配から現世に留まり続けた事例として、神奈川県心霊研究協会に正式報告されている。
会社員松本直樹さん(仮名・30歳)が2023年10月28日、港北ニュータウン近郊の県営住宅3階に入居した際、深夜の階段で足音現象を体験した。現象は毎晩午前2時に発生し、4階まで上がる女性の足音が約3ヶ月間継続した。近隣住民の証言により、2013年10月15日に階段転落死した山田恵子さん(仮名・享年42歳)の霊と特定された。
神奈川県警港北署の事故記録によると、山田恵子さんは2013年10月15日午後10時頃、パート勤務からの帰宅途中に4階自宅前階段で転落した。翌朝6時に近隣住民が発見し、搬送先病院で死亡が確認された。当時中学2年生の息子(14歳)と二人暮らしで、母子家庭として懸命に子育てをしていた。
横浜市住宅供給公社の管理記録では、山田さんの事故後から同団地で深夜の足音現象が頻発していた。特に3-4階の踊り場付近で午前2時頃の現象が多く、10年間で延べ約50世帯が体験していた。しかし管理会社による建物点検では構造的異常は認められず、「原因不明の音響現象」として処理されていた。
横浜国立大学教育学部心理学研究室の調査では、山田さんの息子への愛着度が異常に高く、「子離れできない母性愛による霊的執着」と分析されている。息子の進学・就職状況の変化と霊現象の消長に相関関係が認められ、「母親の心配事解消による魂の昇華」が現象終息の要因と結論づけられている。
【後日談】
松本さんは現在も同じ団地に居住し、地域住民との交流を深めている。山田さんとの体験後、「人と人との繋がりの大切さ」を実感し、団地の自治会活動にも積極的に参加している。2024年には「階段で出会った母の愛」というタイトルで体験記を執筆し、全国の母子家庭支援団体から反響を得ている。
山田恵子さんの息子・山田雄太さん(仮名・24歳)は現在、横浜市内のIT企業で営業職として活躍している。大学卒業後も母親への感謝を忘れず、毎月命日には団地を訪れて母親の霊に報告している。「母の愛に恥じない人生を送りたい」と話し、将来は母子家庭支援のボランティア活動も計画している。
神奈川県では松本さんの体験を受けて「県営住宅霊現象対策委員会」を設置した。住宅内での超常現象に関する相談窓口を開設し、住民の心理的ケアを実施している。松本さんは委員会のアドバイザーとして、霊現象体験者の相談対応にあたっている。現在までに約200件の相談が寄せられている。
山田恵子さんが住んでいた4階15号室は現在、「追悼の部屋」として一時的に保存されている。団地住民の希望により小さな祭壇が設置され、毎月15日には近隣住民が集まって山田さんの冥福を祈っている。息子の雄太さんも毎回参加し、母親への感謝の言葉を述べている。
横浜市では山田さんの事例を受けて「母子家庭支援強化プロジェクト」を立ち上げた。経済的困窮により危険な労働環境で働く母親の安全対策を強化し、子育て支援制度も拡充している。山田さんの事故を教訓とした「安全な子育て環境整備」が市政の重要課題となっている。
港北ニュータウンの住民有志により「恵子さんを偲ぶ会」が結成された。年2回の集会には約50名が参加し、山田さんの母親としての愛情深さを讃えている。会では母子家庭への支援活動も行い、地域の絆を深める役割を果たしている。息子の雄太さんは名誉会長として活動を支援している。
現在、事故現場の階段には小さな献花台が設置されている。「天国のお母さんへ」というメッセージカードが多数寄せられ、全国の母子家庭の母親たちからの共感の声が集まっている。山田恵子さんは今も、多くの母親たちの精神的支柱として慕われ続けている。
雄太さんは2024年春に結婚を予定しており、「母に新しい家族を紹介したい」と話している。結婚式では母親の遺影を飾り、天国から結婚を見守ってもらう予定だ。山田恵子さんの母としての愛は、息子の新しい人生の門出も温かく包んでいる。母の愛は永遠に息子の心の中で生き続けている。




