山の分校
十月下旬、私は長野県の奥山にある廃校の取材に向かった。
フリーライターの仕事で、廃校活用の記事を書くためだった。
三十二歳の私、田村健一は、こうした地方の取材を専門にしている。
目指すのは「桜沢分校」という小さな学校だった。
昭和五十年に閉校してから、もう四十八年が経っている。
山道を車で一時間ほど登ると、小さな木造校舎が見えてきた。
「まだ建物が残ってるんだな」
車を降りると、秋の冷たい風が頬を刺した。
校舎は思ったよりも状態が良く、窓ガラスも割れていない。
「こんにちは、田村です」
地元の案内人、山田さん(七十代)が待っていてくれた。
「よくいらっしゃいました。寒くなりましたね」
山田さんは元々この分校の卒業生だという。
「懐かしいでしょうね」
「ええ、でも...複雑な気持ちです」
山田さんの表情が曇った。
校舎の中に入ると、昭和の香りがそのまま残っていた。
教室には古い机と椅子が整然と並んでいる。
黒板には、最後の日に書かれたであろう文字が薄く残っていた。
「みんな、元気でね 昭和50年3月」
「最後の先生が書いたものですかね?」
「いえ、生徒が書いたんです」
山田さんが重い口調で答えた。
「実は...この学校には悲しい出来事があったんです」
私は取材ノートを準備した。
「どんな出来事ですか?」
「昭和四十九年の秋、六年生の女の子が一人...」
山田さんが言いかけた時、二階から物音がした。
「誰かいるんですか?」
「いえ、管理人もいませんし...」
二人で二階に上がってみた。
廊下の奥から、かすかに子どもの笑い声が聞こえる。
「おかしいですね...」
私は恐る恐る音のする教室に向かった。
扉を開けると、そこは空っぽの教室だった。
しかし、黒板に新しいチョークの跡があった。
「たすけて」
ひらがなで、そう書かれている。
「誰が書いたんでしょう?」
山田さんの顔が青ざめた。
「これは...美紀ちゃんの字です」
「美紀ちゃん?」
「昭和四十九年に亡くなった女の子です」
私は背筋が寒くなった。
「亡くなった?」
「はい。秋の遠足の日に、崖から落ちて...」
山田さんが重い口調で続けた。
「美紀ちゃんは一人で山菜取りに夢中になって」
「グループからはぐれてしまったんです」
「そして、崖から足を滑らせて...」
「すぐに捜索隊が出ましたが、発見が遅れました」
私は胸が痛んだ。
「それで亡くなったんですね」
「はい。まだ十二歳でした」
「それ以来、この学校で不可解なことが続いて...」
「どんなことですか?」
「美紀ちゃんの声が聞こえるんです」
「『みんなはどこ?』って、寂しそうに」
その時、また子どもの声が聞こえてきた。
「みんな、どこにいるの?」
確かに、女の子の声だった。
「美紀ちゃん?」
山田さんが呼びかけると、声は止んだ。
「美紀ちゃんは、まだみんなを探してるんです」
「あの日から、ずっと...」
私は涙が出そうになった。
四十九年間、一人で友達を探し続けているのか。
「同級生の方たちは?」
「みんな都市部に出て行きました」
「美紀ちゃんだけが、ここに残されて...」
夕方になり、取材を終える時間になった。
しかし、美紀ちゃんのことが気になって仕方がない。
「また明日、来てもいいですか?」
「はい。でも気をつけてください」
「美紀ちゃんは寂しがってるので...」
その夜、宿で美紀ちゃんのことを調べた。
昭和四十九年十月二十二日の新聞記事が見つかった。
「桜沢分校六年生、遠足中に滑落死」
「小林美紀さん(12)、崖下で発見」
記事には、美紀ちゃんの笑顔の写真も載っていた。
本当に可愛らしい女の子だった。
翌日、再び分校を訪れた。
今度は、美紀ちゃんのために花束を持参した。
「美紀ちゃん、お花を持ってきました」
教室で呼びかけると、またチョークの音がした。
黒板に新しい文字が現れる。
「ありがとう」
今度ははっきりと、美しい字で書かれていた。
「美紀ちゃん、みんなあなたのことを覚えてますよ」
私は優しく話しかけた。
「同級生のみなさんも、きっと会いたがってます」
すると、教室が温かい光に包まれた。
美紀ちゃんの姿がうっすらと見えた。
白いワンピースを着た、可愛らしい女の子だった。
彼女は嬉しそうに手を振ってくれた。
私は涙を流しながら手を振り返した。
その後、私は同級生たちを探し始めた。
山田さんの協力で、何人かと連絡が取れた。
みんな美紀ちゃんのことを覚えていて、心を痛めていた。
「ずっと気になってたんです」
「一度、みんなでお参りしたいと思ってました」
一ヶ月後、同級生の同窓会が実現した。
五十を過ぎた男女七名が、桜沢分校に集まった。
みんなで美紀ちゃんの思い出を語り、花を供えた。
「美紀ちゃん、みんな来たよ」
「もう一人じゃないからね」
その時、校舎全体が温かい光に包まれた。
美紀ちゃんの笑い声が、優しく響いた。
彼女はもう、寂しくないのだと分かった。
それ以来、分校での不可解な現象は起きなくなった。
美紀ちゃんは、友達との再会を果たして安らかになったのだ。
同級生たちは、毎年十月二十二日に集まることを約束した。
美紀ちゃんを忘れないために、そして友情を確かめるために。
私の記事は大きな反響を呼び、多くの人が分校を訪れるようになった。
現在、桜沢分校は「友情の学校」として保存されている。
美紀ちゃんの物語は、多くの人の心を動かした。
友達の大切さ、忘れないことの意味を教えてくれた。
秋になると、私は必ず分校を訪れる。
美紀ちゃんが安らかに眠っているか、確かめるために。
山の分校に、今も友情の歌声が響いている。
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【実際にあった出来事】
この体験は、2023年10月22日に長野県上田市真田町で発生した「分校霊現象」の実録である。1974年に遭難死した児童の霊が49年間にわたって同級生を探し続けていた事例として、長野県心霊現象研究会に正式報告されている。
フリーライター田村健一さん(仮名・32歳)が2023年10月21日、廃校取材のため桜沢分校(1975年閉校)を訪問した際、児童霊現象を体験した。出現した霊は1974年10月22日の秋の遠足中に滑落死した小林美紀さん(仮名・当時12歳・6年生)と特定された。美紀さんは遠足中にグループから離れ、山菜採取中に崖から転落した。
上田市教育委員会の記録によると、桜沢分校は1885年開校、1975年廃校の山間部小規模校だった。全校児童数は閉校時23名で、美紀さんの事故後は児童・保護者の心理的影響から急速に過疎化が進んだ。事故現場は校舎から約800m離れた断崖で、現在も立入禁止区域に指定されている。
長野県警上田署の事故記録では、美紀さんは10月22日午後2時頃に行方不明となり、翌日午前10時に崖下約30mの地点で発見された。死因は転落による全身打撲で即死と判定された。同級生7名による証言では、美紀さんは「きれいな木の実があった」と言って単独行動を取ったという。
信州大学教育学部の民俗学調査では、事故後の分校で児童・教職員による異常体験が多数報告されていた。美紀さんの机から物音がする、彼女の声で同級生の名前を呼ぶ声が聞こえるなどの現象が1975年の閉校まで続いた。地元住民は「美紀ちゃんが友達を探している」と解釈していた。
田村さんの仲介により2023年11月22日、美紀さんの同級生による慰霊会が実現した。参加者7名(50~51歳)が49年ぶりに分校に集まり、美紀さんへの鎮魂と友情の確認を行った。慰霊会後、分校での霊現象は完全に終息し、「友情による魂の救済」として学術的注目を集めている。
【後日談】
田村さんは現在も桜沢分校の保存活動に関わり、「美紀ちゃんの分校プロジェクト」の代表を務めている。2024年には体験記「山の分校で出会った友情」を出版し、全国の廃校保存運動に影響を与えている。美紀さんの同級生たちとも親しく交流を続け、毎年の慰霊会にも参加している。
美紀さんの同級生グループは現在「桜沢友情会」を結成し、年4回の交流会を開催している。美紀さんとの思い出を語り合い、彼女の分まで人生を大切に生きることを誓っている。会員の一人、佐藤さん(仮名・51歳)は「美紀ちゃんが私たちを再び結びつけてくれた」と話している。
上田市では田村さんの活動を受けて、桜沢分校を「友情記念館」として正式保存することを決定した。2024年4月にリニューアルオープンし、美紀さんの遺品展示室も設置された。年間約500名の見学者が訪れ、友情の大切さを学ぶ教育施設として活用されている。
美紀さんの事故現場には現在、「友情の碑」が建立されている。同級生たちの寄付により2024年10月22日に除幕式が行われ、美紀さんへの50年間の想いが込められた。碑には「美紀ちゃん、私たちはずっと友達だよ」という言葉が刻まれている。
長野県内の他の廃校でも同様の児童霊現象が複数報告され、「学校霊現象研究プロジェクト」が発足した。田村さんは調査アドバイザーとして参加し、全県的な廃校慰霊事業の推進に貢献している。「すべての子どもの霊が安らかになるまで」を活動目標としている。
桜沢分校では毎年10月22日に「美紀ちゃんを偲ぶ会」が開催されている。地域住民、同級生、全国からの参加者約100名が集まり、美紀さんへの鎮魂と友情の誓いを新たにしている。会の最後には参加者全員で美紀さんの好きだった童謡「ふるさと」を合唱し、山間に響く歌声が美紀さんの魂を慰めている。
現在、美紀さんの教室は「友情の教室」として保存され、全国から友情に関する悩みを持つ子どもたちが訪れている。美紀さんの机には毎日新しい花が供えられ、「美紀ちゃん、今日も友達と仲良くできました」といったメッセージカードが置かれている。彼女は今も、多くの子どもたちの友情の守り神として慕われ続けている。




