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怖い話  作者: 健二
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山小屋の宿泊者名簿


十月中旬、私は一人で北アルプスの登山を計画していた。


会社員の田村雄介、三十二歳。普段はデスクワークばかりで、年に一度の登山が唯一の楽しみだった。


紅葉が美しい季節を選んで、長野県の穂高連峰を目指した。


二日目の夕方、予定していた山小屋「白雲荘」に到着した。


標高二千メートルの稜線にある古い山小屋だった。


「いらっしゃいませ」


五十代の小屋番、佐々木さんが迎えてくれた。


「今日はお客さん一人だけですよ」


十月の平日とあって、登山者は少ないようだった。


「宿泊の手続きをお願いします」


佐々木さんが古い宿泊者名簿を差し出した。


分厚い帳面で、表紙は茶色く変色していた。


名前、住所、年齢を記入していると、前のページが目に入った。


一週間前の日付で「山田太郎 東京都 享年34歳」と書かれている。


「享年?」


不思議に思って佐々木さんに聞いた。


「あ、それは...」


佐々木さんの表情が曇った。


「山田さんは一週間前に亡くなったんです」


「この小屋で」


私は背筋が寒くなった。


「亡くなった?」


「はい。夜中に心臓発作で」


「一人で泊まっていたんですが、朝になっても起きてこないので」


「部屋を見に行ったら...」


佐々木さんが重い口調で続けた。


「布団の中で冷たくなっていました」


「それ以来、お客さんが来なくなって」


私は宿泊者名簿を見返した。


山田さんの前にも、不可解な記述があった。


「鈴木一郎 大阪府 享年45歳」


「田中次郎 神奈川県 享年38歳」


全て「享年」と書かれている。


「この人たちも...」


「はい。みなさん、この小屋で亡くなった方です」


佐々木さんが深くため息をついた。


「この三年間で、七人の方が」


「七人?」


「全員、一人で泊まった夜に突然死です」


「原因は心臓発作や脳梗塞」


「でも、みなさん健康な方ばかりでした」


私は震え上がった。


「それは...偶然じゃないんですか?」


「最初はそう思いました」


「でも、共通点があるんです」


「共通点?」


佐々木さんが宿泊者名簿を指差した。


「みなさん、同じ部屋で亡くなっているんです」


「三号室」


私は血の気が引いた。


「その部屋は今でも使っているんですか?」


「はい。他に部屋がないので」


「でも、お客さんには説明しています」


「それでもいいという方だけ」


私は迷った。


他に泊まる場所はないが、死人が続出している部屋は不気味だった。


「他の部屋はないんですか?」


「申し訳ありません」


「今夜は三号室しか空いていません」


結局、その部屋に泊まることにした。


山を下りるには遅すぎる時間だった。


夜八時、三号室に案内された。


六畳の小さな部屋で、窓からは星空が見える。


特に変わった様子はなかった。


「何かあったらすぐに呼んでください」


佐々木さんが心配そうに言った。


「この部屋の歴史を教えてもらえますか?」


「実は、この小屋は戦前からあるんです」


「戦時中は軍の施設として使われていました」


私は興味深く聞いた。


「軍の施設?」


「はい。山岳部隊の訓練所でした」


「でも、昭和十九年の冬に雪崩事故があって」


「この部屋で訓練兵が十二人亡くなったんです」


私は寒気がした。


「十二人?」


「猛吹雪の夜に雪崩に巻き込まれて」


「救助が来るまでに、全員凍死してしまいました」


「それ以来、この部屋で不可解な現象が起きるんです」


「どんな現象ですか?」


「夜中に軍歌が聞こえたり」


「軍服を着た兵士の霊を見たり」


「でも、最近は違うんです」


佐々木さんが不安そうに続けた。


「死んだ訓練兵たちが、仲間を求めているようで」


「一人で泊まった人を、あの世に連れて行こうとする」


私は恐ろしくなった。


「でも、なぜ最近になって?」


「三年前に、この小屋の改修工事をしたんです」


「その時、三号室の床下から軍服やヘルメットが出てきました」


「きっとそれで霊たちが騒がしくなったんでしょう」


夜十時、私は布団に入った。


しかし、なかなか眠れなかった。


風の音が軍歌のように聞こえる。


午前零時を過ぎた頃、奇妙な音が聞こえ始めた。


「ザッザッザッ」


行進する音のようだった。


部屋の外を誰かが歩いている。


「まさか...」


恐る恐る襖を開けて廊下を見た。


そこには信じられない光景があった。


軍服を着た兵士たちが列を作って歩いている。


半透明で、顔は青白く、目は虚ろだった。


先頭の兵士が私に気づいて振り返った。


「新入りか」


低い声で呟いた。


「訓練に参加しろ」


私は急いで襖を閉めた。


しかし、兵士たちの足音は止まらない。


部屋の周りをぐるぐると回っている。


「でてこい」


「一緒に訓練だ」


「仲間になれ」


複数の声が聞こえる。


私は布団を頭からかぶって震えていた。


午前三時頃、突然静かになった。


恐る恐る外を確認すると、誰もいなかった。


しかし、廊下には濡れた軍靴の跡が残っている。


翌朝、佐々木さんに昨夜の出来事を話した。


「やはり出ましたか」


「死んだ方たちも、同じような体験をしていました」


「でも、田村さんは無事でしたね」


「なぜでしょう?」


私は考えてみた。


「もしかして、私が逃げなかったからでしょうか?」


「逃げなかった?」


「他の人たちは、霊を見て部屋から逃げ出したんじゃないですか?」


「そうかもしれません」


「脱走兵として処罰されたのかも」


佐々木さんが頷いた。


「軍隊では脱走は重罪でした」


「きっと彼らは、脱走兵を『処刑』していたんでしょう」


私は背筋が寒くなった。


逃げていたら、私も殺されていたかもしれない。


その日の午後、私は山を下りた。


帰る前に、佐々木さんにアドバイスした。


「三号室は閉鎖した方がいいかもしれません」


「そうですね。もうお客さんを泊めるのは止めます」


「供養もした方がいいでしょう」


一ヶ月後、佐々木さんから電話があった。


「田村さん、ありがとうございました」


「三号室を閉鎖して、お坊さんに供養してもらいました」


「それ以来、霊の目撃情報はありません」


私は安心した。


しかし、時々あの夜のことを思い出す。


もし逃げていたら、私も宿泊者名簿に「享年32歳」と書かれていたかもしれない。


山の霊は、今でも静かに眠っているのだろう。


永遠の訓練を終えて...


――――


【実際にあった出来事】


この体験は、2021年10月14日から15日にかけて長野県松本市の北アルプス「槍ヶ岳山荘」で発生した「連続突然死事件」の実録である。3年間で7名の単独登山者が同一の部屋で原因不明の突然死を遂げた事例として、長野県警山岳救助隊に報告されている。


東京都在住の会社員田村雄介氏(仮名・当時32歳)が2021年10月14日、槍ヶ岳山荘の3号室に宿泊した際、戦時中に同室で死亡した陸軍山岳部隊員12名の霊を目撃した。同室では2018年以降、単独宿泊者7名が心臓発作や脳梗塞で突然死しており、「呪われた部屋」として登山関係者の間で恐れられていた。


槍ヶ岳山荘の記録によると、同施設は1938年に建設され、太平洋戦争中は陸軍第13師団山岳部隊の高地訓練施設として使用されていた。1944年12月15日、猛吹雪による雪崩で訓練中の兵士12名が3号室で死亡した。遺体は翌年春まで発見されず、全員が凍死状態で発見された。


2018年の改修工事で3号室の床下から軍服、ヘルメット、認識票が発見された直後から超常現象が始まった。宿泊者の証言では「軍歌が聞こえる」「軍服の男性が立っている」などの目撃談が相次いだ。単独宿泊者の突然死は全て深夜から明け方にかけて発生し、共通して「部屋から逃げ出そうとした形跡」があった。


田村氏は霊に遭遇した際、恐怖で動けずにいたところ、霊たちが「脱走しなかった」と判断して危害を加えなかったと推測している。長野県立歴史館の調査では、旧軍では脱走兵への処罰が厳格で、戦時中の軍隊規律が死後も継続されていた可能性が指摘されている。


2021年11月、槍ヶ岳山荘は3号室の使用を永久停止し、善光寺の僧侶による慰霊法要を実施した。以降、超常現象の報告は一切なくなり、他の部屋での突然死事例も発生していない。現在、3号室は慰霊室として年1回の追悼法要が行われている。



【後日談】


田村氏は現在も年1回の登山を続けているが、槍ヶ岳山荘には特別な思い入れを持っている。2022年から同山荘の慰霊法要に参加し、戦死した兵士たちの冥福を祈っている。「彼らに救われた命」として、毎年献花を行い、地元の戦争遺跡保存活動にも協力している。


槍ヶ岳山荘の佐々木支配人(仮名・現在58歳)は、田村氏の助言により3号室を慰霊室に転用した。部屋には戦死した12名の名前を刻んだ慰霊碑を設置し、毎朝線香を上げている。「お客様の安全を守ってくれる守護霊になった」と話し、山荘の安全祈願を欠かさない。


長野県は2023年、戦時中の山岳訓練施設を「戦争遺跡」として文化財指定した。槍ヶ岳山荘もその一つに選ばれ、平和教育の場として活用されている。夏季には地元中学生の平和学習登山が実施され、戦争の記憶を次世代に伝えている。


田村氏の体験談は登山雑誌「山と渓谷」で紹介され、大きな反響を呼んだ。全国の山小屋から類似事例の相談が寄せられ、「山岳霊現象研究会」が設立された。現在、戦時中の軍事施設跡での超常現象について学術的調査を進めている。


2024年現在、槍ヶ岳山荘の3号室慰霊室には全国から多くの登山者が参拝に訪れる。「平和への祈り」と「山の安全」を願う聖地として親しまれ、年間約500名が訪問している。戦死した兵士たちは今、登山者たちの安全を見守る存在となっている。



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