紅葉狩りの道連れ
十一月初旬、私は一人でドライブ旅行に出かけた。
会社員の松本健太、二十六歳。仕事のストレスで疲れ切った心を癒すため、信州の紅葉を見に行くことにした。
目的地は長野県の奥志賀高原。紅葉の名所として有名な場所だった。
東京を午前六時に出発し、関越自動車道を北上した。
平日のため、道路は比較的空いている。
午後二時頃、志賀高原の山道に入った。
両側に広がる紅葉は見事で、カメラに収めるため何度も車を停めた。
夕暮れ時、山奥の県道を走っていると、道端に女性が立っているのを見つけた。
年齢は二十代前半。赤いコートを着て、手にはカメラを持っている。
困った様子で手を振っているので、車を停めて声をかけた。
「どうかされました?」
「すみません」
女性は申し訳なさそうに言った。
「車が故障してしまって...」
「携帯の電波も届かないんです」
確かにこの山奥では電波が入らない。
「どちらまで行かれるんですか?」
「長野駅まで行ければ...」
女性は遠慮がちに答えた。
「よろしければ、お送りします」
「本当ですか?ありがとうございます」
女性は安堵の表情を見せた。
「田中美咲と申します」
「松本です。よろしく」
美咲さんは助手席に座った。
上品な顔立ちで、写真愛好家のようだった。
「紅葉を撮影しに?」
「はい。毎年この時期に来るんです」
「この辺りの紅葉は特に美しくて」
車を走らせながら、美咲さんと会話を楽しんだ。
写真の話、旅行の話、共通の趣味も多く、話が弾んだ。
「松本さんも写真をされるんですね」
「趣味程度ですけど」
「私もです。でも、ここの紅葉は特別なんです」
「どんなふうに?」
美咲さんが振り返って言った。
「死ぬほど美しいから」
その時、美咲さんの顔が一瞬青白く見えた。
しかし、すぐに普通の表情に戻ったので、気のせいかと思った。
午後六時頃、山を下りて国道に出た。
街の明かりが見えてきて、安心した。
「もうすぐ長野駅ですね」
美咲さんに話しかけたが、返事がない。
横を見ると、美咲さんが俯いている。
「美咲さん?」
「ありがとうございました」
小さな声で呟いた。
「もう、降ります」
「ここで?まだ駅まで十キロもありますよ」
「ここでいいんです」
美咲さんはドアに手をかけた。
「せめて駅まで...」
振り返ると、美咲さんの姿がない。
助手席は空っぽだった。
「え?」
私は急いで車を停めて辺りを見回した。
しかし、美咲さんの姿はどこにもない。
まるで最初からいなかったかのように消えていた。
「そんなばかな...」
翌日、長野県警に届け出をした。
「昨夜、女性をお送りしたんですが、途中で姿を消して」
「姿を消した?」
警官は困惑した様子だった。
「田中美咲という方なんですが」
警官の表情が変わった。
「田中美咲さんですか?」
「ご存じなんですか?」
「少々お待ちください」
警官が奥に引っ込んで、何かを調べている。
十分後、戻ってきた警官の顔は青ざめていた。
「田中美咲さんは...三年前に亡くなっています」
私は愕然とした。
「亡くなった?」
「志賀高原の山道で、交通事故に遭われました」
「紅葉の写真を撮りに行く途中でした」
私は震え上がった。
昨夜、一緒にいたのは死んだ人だったのか。
「その...事故現場はどこですか?」
「松本さんが美咲さんを乗せた場所です」
「まさか...」
「彼女は毎年この時期に目撃されるんです」
「困っている運転手を呼び止めて、車に乗せてもらう」
「そして、山を下りた所で消える」
私は背筋が寒くなった。
美咲さんは、三年間も同じことを繰り返していたのか。
「なぜ...そんなことを?」
「おそらく、長野駅に向かう途中で事故に遭ったから」
「その時の状況を再現しているんでしょう」
「無念の想いが強くて、成仏できずにいるんです」
私は複雑な気持ちになった。
美咲さんは、ずっと家に帰ろうとしていたのだ。
しかし、途中で死んでしまい、帰ることができない。
だから毎年、誰かに助けを求めている。
「美咲さんの家族は?」
「両親がいらっしゃいます」
「毎年命日には、事故現場で慰霊祭をされています」
「今年も来週予定されています」
私は参加したいと申し出た。
美咲さんの冥福を祈りたかった。
一週間後、事故現場で慰霊祭が行われた。
美咲さんの両親と、地元の人たち十数名が参加した。
私も花を持参して参列した。
「娘がお世話になったそうで」
美咲さんの父親が挨拶してくれた。
「毎年、娘を見かけたという方がいらっしゃいます」
「きっと、家に帰りたかったんでしょうね」
母親は涙を浮かべて言った。
「私たち、ずっと待っているんです」
「美咲が帰ってくるのを」
私は胸が痛くなった。
愛する娘の帰りを待つ両親の気持ち。
そして、帰りたくても帰れない美咲さんの想い。
慰霊祭が終わった後、私は美咲さんに話しかけた。
「美咲さん、もう家に帰っていいんですよ」
「お父さんとお母さんが待っています」
「心配しないで、安らかに眠ってください」
風が吹いて、紅葉した葉が舞い散った。
まるで美咲さんが答えてくれているかのように。
それ以来、美咲さんの目撃情報は途絶えた。
地元の人たちは「やっと成仏した」と話している。
私は毎年、同じ時期に慰霊祭に参加している。
美咲さんが愛した紅葉を見ながら、彼女の冥福を祈る。
きっと今頃は、天国で両親と再会していることだろう。
美しい紅葉の写真を撮りながら、幸せに過ごしている。
秋の山道を通る度に、私は美咲さんのことを思い出す。
短い時間だったが、確かに一緒に過ごした思い出を胸に。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2021年11月7日に長野県下高井郡山ノ内町の県道292号線で発生した「ヒッチハイク霊現象」の実録である。3年前に同地点で事故死した女性の霊が毎年同時期に出現し、通行車両に乗車する事例として、長野県警山ノ内警察署に記録されている。
東京都在住の会社員松本健太氏(仮名・当時26歳)が2021年11月7日午後4時頃、志賀高原の県道で田中美咲さん(仮名・享年24歳)の霊と遭遇した。美咲さんは2018年11月7日、紅葉撮影のため同地点を車で通行中にカーブを曲がりきれずに崖下に転落、即死していた。
長野県警の記録によると、美咲さんの霊は事故後毎年11月7日前後に目撃されており、2021年までに計12件の遭遇報告があった。全事例で霊は「車の故障」を理由に救助を求め、乗車後に長野市街地付近で消失するパターンが共通していた。
松本氏の証言では、美咲さんとの会話は自然で生前の記憶を保持していたが、「死ぬほど美しい紅葉」という表現や突然の消失など、霊的現象の特徴が見られた。同乗時間約2時間の詳細な記録は、同種の霊現象研究で貴重な資料となっている。
2021年11月14日に実施された慰霊祭で、美咲さんの両親は松本氏に感謝の意を表した。父親の田中一郎氏(仮名・当時58歳)は「娘が最後に人の温かさに触れられて良かった」とコメントし、慰霊祭後に美咲さんの目撃情報は完全に途絶えた。
現在、事故現場には美咲さんを偲ぶ慰霊碑が建立され、紅葉の名所として多くの写真愛好家が訪れている。地元では「美咲さんが見守る安全な道」として親しまれ、交通事故は大幅に減少している。
【後日談】
松本氏は現在も毎年11月7日に慰霊祭に参加し、美咲さんの両親と家族ぐるみの交流を続けている。2023年には美咲さんの父親と共同で写真集「美咲が愛した信州の紅葉」を出版し、収益は交通安全啓発活動に寄付している。「美咲さんとの出会いが人生を変えた」として、現在は写真を通じた社会貢献を続けている。
田中夫妻は現在も山ノ内町に住み、美咲さんの慰霊碑の管理を行っている。毎朝の花の手入れと清掃を欠かさず、「娘が安らかに眠れる場所」として大切に守っている。2022年からは地元の写真クラブと協力し、「美咲賞写真コンテスト」を開催している。
山ノ内町では美咲さんの事例を受けて「霊と共生する観光地」として独特の取り組みを行っている。慰霊碑周辺を「スピリチュアル・スポット」として整備し、心霊現象を恐れるのではなく「故人への敬意」として観光資源に活用している。年間約3000名の参拝者が訪れている。
長野県立大学の民俗学研究室では、美咲さんの事例を「現代版道連れ伝説」として研究している。全国で類似する「車載霊現象」が47件確認されており、「交通事故死者の帰宅願望」という新しい霊的現象として注目を集めている。研究成果は国際民俗学会でも発表されている。
松本氏は現在、美咲さんとの体験を基に「霊との対話術」という講演を全国で行っている。「恐れずに敬意を持って接することの大切さ」を説き、多くの心霊体験者から相談を受けている。2024年には著書「紅葉の道連れ~霊との美しい別れ~」を出版予定である。
慰霊碑には現在、全国の写真愛好家から美咲さんへのメッセージが寄せられている。「美しい写真を撮るコツを教えてください」「天国でも写真を撮り続けてください」など温かい言葉が並び、美咲さんの写真への愛が多くの人に受け継がれている。
県道292号線は現在、「美咲ロード」の愛称で親しまれている。道路沿いには美咲さんが撮影した紅葉写真のパネルが設置され、ドライバーたちの安全運転意識向上に貢献している。「美咲さんが見守る道」として地元住民に愛され続けている。
美咲さんの愛用カメラは現在、山ノ内町の郷土資料館に展示されている。「写真への愛が時を超える」という説明パネルと共に展示され、多くの来館者が足を止めて見入っている。カメラの前には常に新しい花が供えられ、美咲さんの写真への情熱が語り継がれている。




