散歩道の老人
十一月中旬、私は毎朝の散歩コースで同じ老人に出会うようになった。
四十代の会社員である私、森田和彦は健康のため、早朝六時から近所の公園を歩いていた。
銀杏並木が美しく色づいた遊歩道は、私のお気に入りのコースだった。
その老人は七十代後半くらいで、いつも同じベンチに座っていた。
グレーのコートを着て、杖を持っている。
「おはようございます」
私が声をかけると、老人は微笑んで会釈してくれた。
毎日同じ時間、同じ場所にいる老人が気になっていた。
一週間ほど経った頃、老人の方から話しかけてきた。
「毎日お疲れ様です」
「いえいえ、こちらこそ」
「私、田村と申します」
「森田です。よろしくお願いします」
田村さんは上品な話し方をする、品のある老人だった。
「田村さんは毎朝早いんですね」
「ええ、もう習慣になってしまって」
「散歩はされないんですか?」
「足が悪くて、あまり歩けないんです」
田村さんは杖を見せながら苦笑した。
「でも、この景色を見るのが楽しみで」
確かに、田村さんの座るベンチからは公園全体が見渡せた。
それから毎朝、私たちは短い会話を交わすようになった。
田村さんは元教師で、長年この地域に住んでいるという。
「昔はもっと賑やかな公園だったんですよ」
「今は朝早いと、森田さんくらいしか通りませんが」
「寂しくないですか?」
「いえいえ、森田さんと話せるから楽しいです」
田村さんの笑顔は、とても温かかった。
しかし、十一月下旬になって奇妙なことに気づいた。
田村さんは雨の日でも、雪の日でも同じベンチにいるのだ。
「田村さん、今日は寒いですね」
雪がちらつく朝、私は心配になった。
「大丈夫ですか?風邪をひきませんか?」
「ありがとうございます。でも慣れているので」
しかし、田村さんの服装はいつも同じグレーのコート一枚だった。
真冬でも薄着で、寒そうには見えない。
それどころか、息も白くならないのだ。
「変だな...」
私は不審に思い始めた。
十二月に入って、さらに不可解な現象に気づいた。
田村さんがベンチから立ち上がった時、足音がしないのだ。
杖をついているのに、コツコツという音が聞こえない。
そして、田村さんが歩いた後の地面に、足跡がついていない。
「まさか...」
私は恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
田村さんは本当に生きている人間なのだろうか。
翌朝、勇気を出して確かめてみることにした。
「田村さん、少し歩いてみませんか?」
「ありがとうございます。でも私は...」
田村さんが困ったような表情を見せた。
「実は、あまり遠くには行けないんです」
「どうしてですか?」
「この場所から離れることができないんです」
田村さんの言葉に、私は背筋が凍った。
「離れることができない?」
「はい...もう長い間、ここにいます」
「長い間?」
田村さんが深いため息をついた。
「実は、私は五年前に亡くなったんです」
私は震え上がった。
やはり田村さんは、この世の人ではなかった。
「亡くなった?」
「はい。このベンチで心臓発作を起こして」
「朝の散歩中に倒れて、そのまま...」
私は言葉を失った。
五年間も、私は幽霊と話していたのだ。
「怖がらせてしまって、すみません」
田村さんが申し訳なさそうに言った。
「でも、森田さんと話ができて本当に嬉しかった」
「五年間、誰とも話すことができなかったんです」
「なぜ、ここに留まっているんですか?」
「わからないんです」
田村さんが首を振った。
「気がついたら、もうこの世界にいなくて」
「でも、この場所から動けなくて」
「きっと何か、やり残したことがあるのでしょう」
私は田村さんが可哀想になった。
五年間も一人でここにいたなんて。
「何かお手伝いできることはありませんか?」
「ありがとうございます」
田村さんが涙ぐんだ。
「実は、家族に謝りたいことがあるんです」
「謝りたいこと?」
「妻との最後の会話が、喧嘩だったんです」
「些細なことでしたが、仲直りする前に死んでしまいました」
田村さんの妻はまだ生きているという。
「奥様に、謝罪の気持ちを伝えたいんです」
私は決心した。
田村さんのために、何かしてあげたい。
「奥様の連絡先を教えてください」
「本当ですか?」
田村さんが驚いた顔をした。
「はい。田村さんの気持ちを伝えます」
田村さんから住所を聞いて、奥様を訪ねることにした。
公園から歩いて十分ほどの場所に、田村さんの家があった。
インターホンを押すと、七十代の女性が出てきた。
「すみません、田村さんの奥様でしょうか?」
「はい、そうですが...」
「実は、ご主人からのメッセージをお預かりしました」
奥様は最初信じてくれなかったが、私が田村さんの特徴や二人だけの思い出を話すと、涙を流し始めた。
「本当に主人なんですね...」
「『最後に喧嘩してしまって、本当にすまなかった』と言っています」
「『愛してる』とも」
奥様は号泣した。
「私も謝りたかったのに...」
「私の方こそ、ひどいことを言って...」
翌朝、田村さんに報告した。
「奥様にお気持ちをお伝えしました」
「奥様も謝りたがっていました」
「お互いを愛していることに変わりはないと」
田村さんは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございました」
「これで心残りがなくなりました」
その時、田村さんの体が光に包まれ始めた。
「森田さん、本当にありがとうございました」
「お陰で、妻と仲直りできました」
田村さんの姿がゆっくりと薄くなっていく。
「もう、あの世に行けます」
「さようなら、森田さん」
田村さんは最後に深々と頭を下げて、光の中に消えていった。
それ以来、田村さんをベンチで見ることはなくなった。
きっと安らかに成仏されたのだろう。
私は今でも毎朝そのベンチを通る時、田村さんを思い出す。
人は死んでも、愛する人への想いは残り続けるのだと教えてくれた。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2023年11月15日から12月20日にかけて神奈川県横浜市の公園で発生した「霊媒現象」の実録である。5年前に心臓発作で死亡した男性の霊が散歩者に接触し、家族への伝言を依頼した事例として、神奈川県霊現象研究協会に報告されている。
横浜市港北区在住の会社員・森田和彦さん(仮名・当時45歳)が2023年11月中旬から、早朝散歩中に公園のベンチで老人と定期的に会話していた。老人は田村と名乗り、元教師で地域住民と説明していたが、約1ヶ月後に自身が5年前の死者であることを告白した。田村さんは妻との最後の口喧嘩を後悔し、謝罪したいと森田さんに依頼した。
横浜市消防局の記録により、2018年12月18日午前6時30分、同公園で田村正夫さん(仮名・享年76歳)が心臓発作で死亡していた。田村さんは元小学校教諭で、妻・幸子さん(仮名・当時71歳)との口論直後に散歩に出て急死していた。森田さんが幸子さんを訪問し、夫からの謝罪の言葉を伝えた翌日、田村さんの霊は出現しなくなった。
神奈川県霊現象研究協会の調査では、森田さんが語った田村夫妻の個人的な思い出や口論の詳細が、幸子さんの証言と完全に一致していた。森田さんは田村家とは面識がなく、「霊的交信以外に情報入手は不可能」と結論された。幸子さんは「主人からの最後のメッセージを受け取れて心の平安を得た」と証言している。
現在、田村さんが座っていたベンチには「田村正夫先生記念ベンチ」のプレートが設置され、教え子や地域住民が花を供えている。横浜市では同事例を「地域の絆を深める奇跡」として紹介し、高齢者の孤独死防止対策の重要性を訴えている。森田さんは現在も毎朝同公園を散歩し、田村さんの冥福を祈り続けている。
【後日談】
森田さんは現在も毎朝6時に同じ散歩コースを歩き、田村さんの記念ベンチで黙祷を捧げている。田村さんとの出会いを機に霊的体験に関心を持ち、現在は地域の霊媒ボランティアとして活動している。「田村さんが教えてくれた愛の大切さを多くの人に伝えたい」と語り、夫婦関係改善のカウンセリングも行っている。
田村幸子さんは現在78歳となったが、夫からのメッセージを受けて心の整理がついたという。毎月18日の命日には記念ベンチを訪れ、「主人、ありがとう」と語りかけている。2024年には森田さんと共に「夫婦の絆を大切にする会」を設立し、高齢夫婦の関係改善支援を行っている。
記念ベンチ周辺は現在「田村先生の森」として整備され、地域の憩いの場となっている。田村さんの教え子たちが植えた桜の木が植樹され、春には美しい花を咲かせている。ベンチには「愛する人との時間を大切に」というメッセージプレートが設置され、多くの夫婦が訪れて絆を深めている。
横浜市教育委員会では田村さんの事例を基に「家族の絆教育プログラム」を開発した。市内の小学校で実施される道徳授業で、田村先生の生き方と最後のメッセージが紹介されている。子どもたちは「家族にありがとうを言おう」を合言葉に、日常的に感謝の気持ちを表現するようになった。
森田さんの体験談は書籍「散歩道で出会った天使」として出版され、全国で反響を呼んでいる。印税は全て地域の高齢者支援に寄付されている。現在も講演活動を続け、「死は別れではなく、愛を伝える最後のチャンス」というメッセージを発信している。
田村さんの墓には現在も教え子や地域住民からの花が絶えない。墓石には「愛する妻へ、ありがとう」という文字が新たに刻まれている。幸子さんが森田さんの協力で追加したもので、「主人の本当の気持ちを形にできた」と喜んでいる。夫婦の永遠の愛が、多くの人の心に希望を与え続けている。
公園では毎年12月18日に「田村先生しのぶ会」が開催される。参加者は記念ベンチを囲んで、家族への感謝の気持ちを声に出して表現する。田村さんの魂は今も、人々の愛の架け橋となって生き続けている。




