断崖のシャッター音
一
八月二十日の深夜一時──福井県坂井市、東尋坊。
テレビ制作会社でディレクターをしている私は、深夜心霊特番のロケハンでカメラマンの杉浦、音声の浜野と三人だけで現場に来ていた。昼間は観光客で賑わう断崖も、この時間は外灯が一基あるだけ。潮騒と風が岩肌を叩き、レンズ越しの闇に白い飛沫だけが瞬く。
「この崖際、ロープないんすね……」
杉浦がビデオを構えながら呟く。私は台本を確認し、浜野に合図した。
「じゃあ“自殺者の霊が姿を現す”という定番カット、三分回しっぱなしで。異音が入ったらマークして」
“ここは年間一〇〇人が身を投げた時期もあった”と原稿にある。半信半疑だったが、浜野のブームマイクが急に重くなり、風が凪いだ。
──カシャッ。
シャッター音。だが静止画のカメラは誰も持っていない。
「今の聞こえた?」
全員がうなずく。まるで取材班を誰かが“撮った”ような乾いた音が、闇の中で反射していた。
二
午前一時十四分。
杉浦が「ライト拾った」と言い、崖上から懐中電灯を照射した。暗がりに女の背中が浮かぶ。髪は肩まで、赤いワンピースが風にめくれ、素足が岩肌に直立している。
「危ないですよ!」
声をかけたが反応はない。私は崖縁まで駆け寄った。だがライトの輪の中は空で、足元の海が白く泡立つだけ。
振り返ると、杉浦と浜野が肩を寄せ合ってモニターを覗いていた。
「ほら、録れてる……」
プレビュー画面には、確かに赤いワンピースの女が背中を向けて立ち、こちらを振り返る直前でフレームが凍っていた。停止した一秒後、映像が真っ暗になり、タイムコードが“00:00:00:00”にリセットされている。
三
帰ろうとすると、駐車場のレンタカーのルームミラーに白い紙が挟まっていた。
《シャッターを返せ》
手書きの走り書き。裏には日時“1984/8/21 02:03”が鉛筆で薄く刻まれている。
杉浦が青ざめた。
「この日付、東尋坊で“自殺の瞬間を写真に撮った”男が行方不明になった事件と同じだ」
私は記憶を辿った。確かに報道資料室で見た古い地方紙にそんな記事があった。
──撮影した瞬間、カメラマンはフラッシュの光の中で消え、遺されたカメラのシャッターは一晩じゅう切れ続けた、という噂。
浜野が小声で囁いた。
「さっきのシャッター音、あれって……」
四
午前三時近く、機材車のドアが自動で解錠された。
「誰か残ってた?」
車内は無人。ただ助手席にフィルム式一眼レフが置かれていた。機種は八〇年代のニコンF3。底面に“1984/8/21”の彫刻。私は悪い冗談だと信じたかったが、カメラの巻き上げレバーは限界まで張られ、シャッターボタンに人の指が挟まっていた。指だけ。関節で切断され、表面は白く乾いている。
カメラを掴むと、内部のフィルムが自動的に巻き戻り始めた。カウンターは「37」──通常より一本多い。最後のコマが巻き終わると、不意に車外から“ザブン”と大波の破裂音が聞こえた。
私は覚悟を決めフィルム室を開けた。
真っ黒のネガが一枚だけ収まっている。にもかかわらず、線香の焦げに似た匂いを放ち、冷たい潮気が車内に充満した。
杉浦が叫ぶ。「外、見て!」
崖際に赤い人影が並んでいる。ひとり、またひとりと海面に背を向け、カメラを構える動作を繰り返す。フラッシュの光はないのに、白い稲妻が瞬き、次の瞬間、人影は一人減り、シャッター音だけが断続的に響いた。
「シャッターを返せ……返せ……」
潮風が、そう囁いた。
五
私はネガを崖風に晒し、祈るように手を離した。薄いフィルムは驚くほど重く、カメラごと海に吸い込まれていく。
落下した瞬間、あのシャッター音が止まり、断崖に再び風が吹きはじめた。赤い人影も掻き消え、夜明け前の波だけが残った。
それから半年。番組は放送中止になり、私たち三人は口外を禁じる念書にサインした。杉浦は撮影現場を離れ、浜野はイヤモニに雑音が入ると発作的に震えるようになった。
私の手元には、あの夜の素材が一切残っていない。ただ、使い古したSDカードのラベルに油性ペンで書かれた日付だけがある──“84-8-21”。
そして今夏も東尋坊では、未整理の遺留品から黒いフィルムが見つかったと地元紙が報じている。最後のコマは必ず真っ黒で、現像液が冷たく赤錆びた匂いを放つのだという。
【実際にあった出来事】
・東尋坊は福井県有数の観光地である一方、長年にわたり自殺の名所として知られ、昭和五十年代から平成初期にかけては年間百人前後が身を投げた年もあった。
・1984年8月21日未明、県外から訪れたとみられる男性写真家が断崖で消息を絶ち、残された一眼レフカメラのシャッターが破損するまで切れ続けていた、という事件が地元紙(福井新聞夕刊、同年8月23日付)に小さく報じられている。遺体は見つからず、カメラには感光しきった黒いネガが一枚だけ残っていたとされる。