古本屋の日記帳
十一月中旬、私は古い商店街にある古本屋を訪れた。
大学院で日本文学を専攻している私、中村あかりは卒論の資料探しに来ていた。
店の名前は「秋月堂」といい、七十代の店主が一人で切り盛りしている。
「何かお探しですか?」
白髪の店主、秋月さんが声をかけてくれた。
「昭和初期の文学作品を探しています」
「でしたら奥の棚にありますよ」
店の奥は薄暗く、古い本の匂いが立ち込めていた。
文学全集を物色していると、一冊の古い日記帳が目についた。
表紙は茶色く変色し、「昭和十八年 秋の記録」と書かれている。
何気なく手に取ってページをめくると、美しい字で日記が綴られていた。
「十月五日 今日も空襲警報が鳴った。でも勉強は続けなければ」
戦時中の女学生の日記のようだった。
「これは売り物ですか?」
秋月さんに尋ねると、困ったような顔をされた。
「その日記は...どこから出てきたんでしょうね」
「売り物ではないんです。でも気になるなら見てみてください」
私は日記に強く惹かれるものを感じた。
「少し読ませていただけませんか?」
「構いませんが、あまり長居はしない方がいいかもしれません」
秋月さんの言葉が気になったが、私は読み始めた。
日記の主は「雪子」という十七歳の女学生だった。
「十月十二日 今日は芋掘りの勤労奉仕。手が泥だらけになった」
「十月十九日 兄が出征した。いつ帰ってくるのだろう」
「十月二十六日 友達の花子が疎開した。寂しい」
戦時下の厳しい生活の中でも、雪子の文章には希望が宿っていた。
しかし、十一月の記述から様子が変わってきた。
「十一月三日 最近、夜中に誰かが窓を叩く音がする」
「十一月七日 今日も同じ夢を見た。焼け野原を歩く夢」
「十一月十一日 母が心配している。私の顔色が悪いと言う」
だんだん文字も乱れてきて、内容も不穏になっていく。
「十一月十五日 もう耐えられない。あの声が聞こえる」
「『一緒に来なさい』と言っている」
「十一月十八日 今夜が最後かもしれない。お母さん、ごめんなさい」
そこで日記は途切れていた。
私は背筋が寒くなった。
雪子に何が起こったのだろう。
「この日記の主は何があったのでしょう?」
秋月さんに聞くと、重い口調で答えてくれた。
「雪子さんという方は、昭和十八年十一月十九日に亡くなったそうです」
「亡くなった?」
「自殺だったと聞いています」
「戦争のストレスで精神を病んでしまったのでしょう」
私は胸が痛んだ。
十七歳の少女が、絶望の中で命を絶ったのだ。
「この日記はどこから?」
「実は...」
秋月さんが困ったような表情を見せた。
「毎年この時期になると、店の奥から出てくるんです」
「誰が置いたかわからないのですが」
私は驚いた。
「毎年?」
「はい。もう十年以上続いています」
「十一月の半ばになると必ず現れるんです」
それから数日間、私は雪子の日記が気になって仕方なかった。
彼女の無念さが伝わってくるようで、夜も眠れなくなった。
一週間後、再び秋月堂を訪れた。
「あの日記、まだありますか?」
しかし、秋月さんは首を振った。
「不思議なことに、昨日から見当たらないんです」
「でも代わりに、これが置いてありました」
秋月さんが差し出したのは、新しい日記帳だった。
表紙には「令和五年 秋の記録」と書かれている。
「まさか...」
恐る恐る開いてみると、そこには私の名前で日記が書かれていた。
「十一月十五日 古本屋で雪子の日記を読んだ。とても悲しい話だった」
私が書いた覚えのない文章が、私の筆跡で記されている。
「十一月十六日 雪子のことが頭から離れない。彼女は何を伝えたいのだろう」
まるで誰かが私の心の中を読んで書いているようだった。
「これは...」
私は震え上がった。
雪子の霊が私に憑いているのではないか。
その夜、夢の中で雪子に会った。
セーラー服を着た美しい少女が、悲しそうな顔で私を見つめていた。
「お姉さん、私の気持ちをわかってくれるのね」
「雪子ちゃん...」
「私、一人で死ぬのが怖かったの」
「でも今は違う。お姉さんがいるから」
私は目が覚めて、冷や汗をかいていた。
雪子は私を仲間だと思っているのだ。
一緒にあの世へ連れて行こうとしている。
翌朝、急いで秋月堂へ向かった。
「秋月さん、雪子の供養をしませんか?」
「供養ですか?」
「彼女は一人で苦しんでいる。きちんと送ってあげたいんです」
秋月さんも同意してくれた。
「実は私も、雪子さんのことが気になっていたんです」
私たちは近所の寺の住職に相談した。
事情を説明すると、住職は快く引き受けてくれた。
「戦時中に亡くなった方の霊は、未だに苦しんでいることがあります」
「きちんと供養してあげましょう」
十一月十九日、雪子の命日に供養を行った。
日記帳を祭壇に供え、住職がお経を読んだ。
その時、不思議なことが起きた。
日記帳のページが、風もないのにひらひらとめくれ始めた。
そして最後のページに、新しい文字が浮かび上がった。
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
雪子の感謝の気持ちが伝わってきた。
供養が終わると、日記帳は光に包まれて消えていった。
雪子は安らかに成仏したのだろう。
それ以来、秋月堂に謎の日記帳が現れることはなくなった。
私も平穏な日々を送れるようになった。
雪子という少女の存在を通じて、命の尊さと戦争の悲惨さを学んだ。
今でも十一月十九日になると、彼女のために祈りを捧げている。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2023年11月19日に愛知県名古屋市中区の古書店で発生した「戦時霊障現象」の実録である。戦死者の遺品である日記帳に霊が憑依し、現代の女性に交霊現象を起こした事例として、愛知県心霊現象研究所に報告されている。
名古屋大学大学院生の中村あかりさん(仮名・当時24歳)が2023年11月15日、中区栄の古書店「秋月堂」で昭和18年の日記帳を発見した。日記は戦時下の女学生・雪子(本名:田中雪子・当時17歳)が記したもので、1943年11月18日で記述が終了していた。店主の秋月貞夫さん(仮名・75歳)によると、同日記は10年間毎年11月中旬に店内に出現していた。
中村さんは日記を読んだ翌日から異常現象を体験し始めた。自身の筆跡で書かれた覚えのない日記が出現し、夢の中で雪子と名乗る少女と交流した。名古屋市公文書館の調査により、田中雪子は1943年11月19日に市内の自宅で縊死しており、戦時下のストレスが原因とされていた。遺族は戦後に他県へ転居し、消息不明となっていた。
中村さんと秋月さんは地元の慈眼寺で供養を実施した。法要中に日記帳から発光現象が観測され、参加者全員が「ありがとう」という女性の声を聞いた。現象は供養後に完全に終息し、日記帳も消失した。慈眼寺の住職・山田法師(仮名・68歳)は「80年間苦しんでいた霊が救われた」と証言している。
愛知県心霊現象研究所の調査では、日記の筆跡鑑定と紙質年代測定により、真正な戦時中の遺品であることが確認された。中村さんに出現した「現代日記」の筆跡は本人のものと一致したが、本人の記憶にはなく、「霊的記録現象」として学術的関心を集めている。
【後日談】
中村さんは2024年に「戦時下女学生の精神史研究」で博士号を取得し、現在は戦争体験の聞き取り調査を行っている。「雪子さんとの出会いが人生を変えた」と話し、毎年11月19日には慈眼寺で慰霊祭を開催している。研究成果は「雪子という少女―戦時下の青春と死―」として出版され、平和教育の教材として使用されている。
秋月堂は2024年に閉店したが、秋月さんは「雪子さんに教えられた本の大切さ」を語り継いでいる。店舗跡地には「平和祈念図書館」が建設され、戦争関連資料の保存・公開を行っている。秋月さんは名誉館長として、戦争体験の語り部活動を続けている。雪子の日記を複製したパネル展示も常設されている。
慈眼寺では毎月19日を「雪子忌」として法要を営んでいる。全国から戦死者・戦災死者の遺族が参拝し、心の整理をつける場となっている。住職は「雪子さんの苦しみを知ることで、戦争の愚かさを実感できる」と話している。境内には「雪子地蔵」が建立され、若い参拝者が絶えない。
中村さんの研究室には現在も戦時中の日記や手紙が全国から寄せられている。「戦争で亡くなった人々の声を現代に伝えたい」として、デジタルアーカイブ化を進めている。学生たちも研究に参加し、「雪子プロジェクト」として平和学習に取り組んでいる。
田中雪子の墓は名古屋市内の共同墓地で発見され、現在は適切に管理されている。墓石には中村さんが供えた花が絶えず、「雪子さん、安らかに」というメッセージカードが置かれている。80年の時を超えて、雪子の魂は多くの人に平和の尊さを伝え続けている。現在、雪子の生家跡地には「平和の少女像」が建てられ、戦争を知らない世代に語りかけている。




