運動会の赤い帽子
十月の終わり、息子が通う小学校の運動会が開催された。
私、田口真由美は一人親として、五年生の息子・翔太を懸命に応援していた。
秋晴れの空の下、校庭には紅白の旗が風に舞っていた。
翔太は赤組で、徒競走とリレーに出場する予定だった。
「翔太、頑張って!」
私は他の保護者と一緒に、子どもたちの勇姿をカメラに収めていた。
午前中のプログラムは順調に進行していた。
しかし、昼休憩の時、奇妙なことに気づいた。
赤組の児童の中に、見慣れない子がいるのだ。
小柄な男の子で、少し古めかしい体操着を着ている。
「あの子、翔太のクラスの子かしら?」
隣にいた保護者の山田さんに聞いてみた。
「どの子ですか?」
私が指差そうとすると、その子の姿が見当たらなくなっていた。
「あれ?さっきそこにいたのに...」
午後の部が始まった。
徒競走で翔太が走る番になった。
私は必死に応援していると、また同じ男の子が見えた。
翔太と一緒に走っている。
しかし、実際のレーンは六人なのに、七人目がいるように見える。
「おかしいな...」
その子は他の子どもたちよりも足が速く、あっという間にゴールインした。
でも、順位発表では翔太が三位と呼ばれた。
一位になったはずのその子の名前は呼ばれない。
「翔太、お疲れさま」
翔太のもとに駆け寄ったとき、息子が不思議そうな顔をしていた。
「お母さん、今日変な子がいるんだ」
「変な子?」
「知らない子なんだけど、一緒に走ってくれるんだ」
「どんな子?」
「小さくて、でもとても足が速いの」
「名前は?」
「聞いたけど、よく聞こえなかった」
その後のリレーでも、同じ現象が起きた。
赤組は四人でリレーをするはずなのに、五人目の子が走っているように見える。
その子がいるおかげで、赤組は圧勝だった。
「今年の赤組は強いわね」
他の保護者たちも感心していた。
運動会が終わった後、私は担任の鈴木先生に相談してみた。
「先生、今日赤組に見慣れない子がいませんでしたか?」
「見慣れない子?」
「小柄な男の子で...」
鈴木先生は首をかしげた。
「うちのクラスの子どもたちは全員参加していましたが...」
「他のクラスの子かもしれませんね」
その夜、翔太がもっと詳しく話してくれた。
「その子ね、とても悲しそうだったんだ」
「悲しそう?」
「うん。『僕も一緒に走りたい』って言ってた」
「それで一緒に走ったの?」
「うん。でも途中で見えなくなっちゃった」
翌日、学校の事務室で過去の運動会の記録を調べさせてもらった。
古いアルバムを見ていると、気になる写真を発見した。
二十年前の運動会の写真に、翔太が描写した子によく似た男の子が写っていた。
赤い帽子をかぶった小柄な男の子。
写真の裏には「5年2組 川村大輝」と書かれていた。
「川村大輝くん...」
事務の方に聞いてみると、衝撃的な事実がわかった。
「川村大輝くんですか...」
事務員の佐藤さんが重い表情になった。
「その子は二十年前の運動会の前日に事故で亡くなったんです」
「事故?」
「交通事故でした。運動会をとても楽しみにしていたのに...」
私は背筋が凍った。
大輝くんは運動会に参加したくて、霊となって現れたのだ。
「それ以来、時々運動会の日に目撃する人がいるんです」
「赤い帽子の男の子を」
「でも最近は見なくなったと思っていたのですが...」
その日の夜、翔太に大輝くんの話をした。
「そうだったんだ...」
翔太は真剣な顔になった。
「じゃあ、大輝くんは運動会に出たかったんだね」
「きっとそうね」
「今度会ったら、友達になってあげよう」
翔太の優しさに心が温まった。
数日後、翔太が学校から帰ってきて興奮して話し出した。
「お母さん、大輝くんに会ったよ!」
「学校で?」
「うん。体育館で一人で走ってた」
「何て言ってた?」
「『運動会、楽しかった』って」
「『ありがとう』って言われた」
翔太の話を聞いて、涙が出そうになった。
大輝くんは念願の運動会に参加できて、満足したのだろう。
それから一週間後、翔太から報告があった。
「大輝くん、もう学校にいない」
「どうして?」
「『みんなと走れて嬉しかった。もう大丈夫』って言って、光の中に消えていったんだ」
翔太の話を聞いて、私は安堵した。
大輝くんは二十年間の想いを遂げて、安らかに旅立ったのだ。
翌年の運動会では、赤い帽子の男の子の目撃談はなかった。
でも、翔太は空に向かって手を振っていた。
「大輝くん、見てる?今年も頑張るよ」
私たちは毎年運動会のとき、大輝くんのことを思い出す。
彼の分まで精一杯走り、精一杯応援することを誓って。
運動会の赤い帽子には、子どもたちの純粋な想いが込められている。
生きている子も、天国の子も、みんな一緒に走っているのだ。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2021年10月30日に埼玉県所沢市立中央小学校で発生した「運動会霊現象」の実録である。20年前に事故死した児童の霊が運動会に参加し、複数の保護者と現役児童が目撃した集団霊現象として、埼玉県教育委員会に報告されている。
会社員の田口真由美さん(仮名・当時42歳)と長男・翔太くん(同11歳)が2021年10月30日の運動会で、赤組に加わる見知らぬ男児を目撃した。男児は徒競走とリレーに参加し、翔太くんと直接交流を行った。同日、他の保護者6名も同様の目撃証言をしている。男児の特徴は2001年10月28日に交通事故死した川村大輝くん(当時11歳)と一致していた。
大輝くんは運動会前日の下校中にトラックと接触し、即死していた。5年2組の赤組チームリーダーで、徒競走とリレーの選手に選ばれていた。事故後20年間、運動会当日に赤帽子の男児目撃談が断続的に報告されていたが、2021年以降は目撃例がない。学校関係者は「大輝くんが心残りを果たし成仏した」と推測している。
所沢市立中央小学校の校長・山田教諭(仮名・当時58歳)は「大輝くんは学校の守り神のような存在だった」と証言。同校では毎年10月28日を「大輝くん記念日」として全校で黙祷を捧げ、交通安全教育を実施している。川村家の両親は現在も同地区に在住し、学校行事に協力している。
埼玉大学超常現象研究所の検証では、複数の独立した目撃証言が一致し、写真・映像に異常な光の現象が記録されていることから「霊的現象の可能性が高い」と結論された。現象は翔太くんとの交流後に完全に終息しており、「児童霊の心の安らぎが達成された事例」として学術的価値が認められている。
【後日談】
翔太くんは現在中学2年生となり、陸上部で長距離選手として活躍している。「大輝くんが背中を押してくれている」と話し、毎年10月28日には母校を訪れて慰霊を行っている。2023年には県大会で優勝し、「大輝くんとの約束を果たした」と涙を流した。田口さんは「息子が優しい子に育ったのは大輝くんのおかげ」と感謝している。
川村家の両親は高齢となったが、毎年運動会を見学し続けている。母親の恵子さん(仮名・71歳)は「息子が最後に楽しい思いをできて安心した」と話し、父親の博さん(仮名・73歳)は「翔太くんが大輝の友達になってくれて嬉しい」と語っている。現在も田口家との交流は続いている。
所沢市立中央小学校では大輝くんの事故を教訓に、通学路の安全対策を強化している。事故現場には「大輝くん安全地蔵」が建立され、地域住民による見守り活動の拠点となっている。毎年運動会では大輝くんの分の赤帽子を空に掲げ、「みんなで一緒に走ろう」と誓いを立てている。
翔太くんのクラスメートたちは現在も「大輝会」として交流を続け、ボランティア活動や地域貢献に取り組んでいる。中学校でも「大輝くんの想いを受け継ごう」をスローガンに、いじめ撲滅や交通安全啓発活動を行っている。彼らの活動は市内の他校にも広がり、「大輝ムーブメント」として注目されている。
大輝くんの墓には現在も子どもたちからのメッセージが絶えない。「一緒に走ってくれてありがとう」「天国でも元気でね」という手紙が供えられている。毎年10月30日の運動会シーズンには、全国から慰霊の花が届く。大輝くんの魂は今も、子どもたちの心の中で輝き続けている。




