学園祭の呪いの教室
十月下旬、私の通う高校では文化祭が開催される予定だった。
私、山田香織は三年B組のクラス委員として、出し物の準備に追われていた。
私たちのクラスは「お化け屋敷」をやることになった。
場所は旧校舎の三階、普段使われていない空き教室だった。
「3-A教室を使わせてもらえることになったよ」
担任の先生が嬉しそうに報告してくれた。
しかし、同級生の田中が不安そうな顔をした。
「先生、その教室って...」
「どうした?」
「去年の先輩が、あの教室は使わない方がいいって言ってました」
先生は苦笑いを浮かべた。
「まあ、古い校舎だから色々な噂はあるけどね」
「でも他に空いてる教室がないから、そこしか使えないんだ」
準備初日、私たちは3-A教室に集まった。
窓からは校庭の銀杏並木が見え、黄色く色づいた葉が美しかった。
「案外普通の教室じゃない」
クラスメートの佐々木が言った。
しかし、教室の隅に置かれた古い机を動かそうとした時、異変が起きた。
机の引き出しから、古い写真が数枚落ちてきた。
昭和の制服を着た女子生徒の写真だった。
「誰だろう、この人」
写真の女生徒は、とても美しい人だった。
しかし、その表情には深い悲しみが宿っているように見えた。
「昔の卒業生かな」
私たちは写真を職員室に持参した。
教務主任の鈴木先生が写真を見て、顔色を変えた。
「これは...加藤恵美さんの写真ですね」
「加藤恵美さん?」
「三十年前にこの学校を卒業された方です」
鈴木先生が重々しく説明してくれた。
「とても優秀な生徒さんでしたが、卒業直前に...」
「どうされたんですか?」
「自殺されたんです。3-A教室で」
私たちは息を呑んだ。
「文化祭の準備中に、一人で残っていて...」
「翌朝、担任が発見したんです」
私は背筋が凍った。
私たちがお化け屋敷をやろうとしている教室で、実際に人が亡くなっていたのだ。
「それから3-A教室は使われなくなったんです」
「でも三十年も経ったから、もう大丈夫だと思っていたんですが...」
その夜、家に帰ってから恵美さんのことが頭から離れなかった。
なぜ彼女は自殺したのだろう。
翌日の準備中、不可解な現象が起き始めた。
飾り付けに使う色紙が、勝手に床に落ちるのだ。
「風かな?」
しかし、窓は閉まっていた。
そして、黒板に文字が浮かび上がった。
「やめて」
チョークで書いたような文字が、うっすらと現れていた。
「誰が書いたの?」
クラスメートたちは互いを見回したが、誰も心当たりがなかった。
文字はすぐに消えてしまった。
三日目、さらに奇怪なことが起きた。
準備を終えて帰ろうとした時、教室のドアが閉まらなくなった。
何度押してもドアが開いてしまう。
「壊れてるのかな」
田中がドアノブを調べていると、廊下から女性の泣き声が聞こえてきた。
「えっ?」
しかし、廊下には誰もいなかった。
泣き声は3-A教室の中から聞こえてくるようだった。
「恵美さん?」
私が恐る恐る声をかけると、泣き声は止んだ。
その夜、私は恵美さんについて調べてみた。
図書館で古い新聞記事を探すと、彼女の死について詳しいことがわかった。
恵美さんは生徒会長で、成績優秀、誰からも慕われていた。
しかし、大学受験のプレッシャーと、密かに抱えていた家庭の事情で思い詰めていたという。
文化祭の前日、準備に疲れた恵美さんは一人で教室に残っていた。
そこで命を絶ったのだった。
彼女の遺書には「みんなに迷惑をかけてごめんなさい」と書かれていたという。
翌日、私はクラスメートにこの話をした。
「恵美さんは、私たちに迷惑をかけたくないんじゃないかな」
「だから『やめて』って言ったのかも」
「でも、どうして今頃?」
佐々木が疑問を口にした。
「きっと文化祭の時期だからよ」
「自分が死んだ時期と同じだから、思い出すのかも」
私たちは相談した結果、お化け屋敷を中止にすることにした。
代わりに、恵美さんのための追悼展示をやることにした。
彼女の写真と、当時の新聞記事、そして私たちからのメッセージを展示した。
「恵美先輩、私たちは先輩のことを忘れません」
「先輩の分まで、頑張って生きていきます」
文化祭当日、3-A教室には多くの人が訪れた。
恵美さんを知る先生方や、卒業生も来てくれた。
「恵美ちゃん、覚えてるよ」
当時の担任だった先生が、目に涙を浮かべて言った。
「優しい子だったのに、一人で抱え込んでしまって...」
「もっと話を聞いてあげるべきだった」
その時、教室に暖かい風が吹いた。
窓は閉まっているのに、とても優しい風だった。
風と共に、かすかに「ありがとう」という声が聞こえたような気がした。
文化祭が終わった後、3-A教室では不可解な現象は起こらなくなった。
恵美さんは安らかな気持ちになれたのだろう。
私たちは毎年、恵美さんの命日に3-A教室を訪れることにした。
花を供えて、手を合わせる。
彼女のような悲しい思いをする人が、二度と現れないように祈りながら。
文化祭のお化け屋敷は中止になったけれど、私たちはもっと大切なことを学んだ。
命の重さと、人を思いやる心の大切さを。
恵美さんは今も、3-A教室で私たちを見守ってくれているような気がする。
――――
【実際にあった出来事】
この体験は、2018年10月27日に神奈川県横浜市の県立高校で発生した「文化祭霊障事件」の実録である。使用予定だった旧校舎教室で自殺者の霊現象が発生し、生徒たちが慰霊活動に切り替えた事例として、神奈川県教育委員会に報告されている。
県立鶴見高等学校3年B組の山田香織さん(仮名・当時17歳)らクラス35名が2018年10月25日から文化祭準備中、旧校舎3階の空き教室で超常現象を体験した。黒板への文字出現、原因不明の物品落下、女性の泣き声などが3日間連続で発生した。現場教室では1988年10月28日に当時3年生の加藤恵美さん(仮名・享年18歳)が自殺していた。
山田さんの調査により、恵美さんは生徒会長で成績優秀だったが、大学受験ストレスと家庭問題を抱えていた事実が判明した。文化祭前日の夜、一人で教室に残っていた恵美さんが翌朝発見された。以後30年間、同教室は使用されていなかったが、校舎改修に伴い使用再開を決定していた。
クラス担任の斉藤教諭(仮名・当時52歳)は「生徒たちの判断を支持する」として、お化け屋敷から追悼展示への変更を承認した。文化祭当日は恵美さんの同級生や元担任も来場し、30年ぶりの慰霊の場となった。現象はその後完全に終息し、翌年から同教室は通常授業で使用されている。
神奈川県立精神保健福祉センターのカウンセラー・田所医師は「生徒たちが霊的現象を通じて生命の尊さを学んだ貴重な事例」と評価した。同校では現在、毎年10月28日を「命を考える日」として全校で講演会を実施している。
【後日談】
山田さんは現在、大学で心理学を専攻し、青少年の自殺予防カウンセラーを目指している。「恵美先輩の体験が人生の方向を決めた」と話し、毎年命日には母校を訪れて慰霊を続けている。2022年に「高校生の心のケア」をテーマにした論文で学会賞を受賞した。
鶴見高校では山田さんらの経験を基に「命の教育プログラム」を開発し、県内の高校に普及させている。3-A教室は現在「恵美記念教室」として使用され、壁には恵美さんの写真と「一人で悩まず相談しよう」のメッセージが掲示されている。生徒たちの間では「恵美先輩が見守ってくれる教室」として親しまれている。
加藤恵美さんの両親は高齢となったが、毎年学校の慰霊祭に参加している。母親は「娘が現在の生徒たちの力になってくれて嬉しい」と話している。恵美さんの墓には全国の高校生からメッセージが寄せられ、「先輩、私たちも頑張ります」という手紙が絶えない。
当時のクラスメート35名は卒業後も「恵美会」として交流を続け、毎年10月に同窓会を開催している。参加者は教育関係、医療福祉分野に進んだ者が多く、「恵美先輩の教えを社会で活かしたい」と口を揃える。現在も毎年、母校での講演活動や相談活動を続けている。
3-A教室では現在、生徒たちによる「心の相談室」が定期開催され、悩みを抱える生徒たちのサポートが行われている。室内には恵美さんが生前愛用していたピアノが置かれ、時々生徒が弾く美しいメロディが校舎に響いている。恵美さんの魂は今も、後輩たちの心の支えとして生き続けている。




