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怖い話  作者: 健二
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山の分校の卒業写真


十一月上旬、私は仕事で長野県の山間部を訪れていた。


フリーライターの私、森田洋子は廃校になった小学校の取材をしている。


「信濃山間教育史」という記事を書くためだった。


今回訪れたのは、昭和五十年に廃校となった「白樺分校」である。


標高千メートルの山中にある木造校舎は、まだ原型を留めていた。


地元のガイド、田所さんが案内してくれた。


「ここは最盛期でも生徒は十二人程度でした」


田所さんが校舎の前で説明してくれる。


「廃校になったのは、過疎化で生徒がいなくなったからです」


私は校舎の中を見学させてもらった。


教室には古い机と椅子がそのまま残されている。


黒板には、子供たちが最後に書いた落書きが薄っすらと見えた。


「この学校で、何か変わった話はありませんか?」


私は田所さんに尋ねた。


「実は、少し気になることがあります」


田所さんが小声で話し始めた。


「廃校になる直前の卒業写真が、おかしいんです」


「どういう意味ですか?」


「写真に写ってる生徒の数が合わないんです」


田所さんが古いアルバムを取り出した。


「これが昭和五十年三月の卒業写真です」


写真を見ると、確かに奇妙だった。


教師一人と生徒たちが写っているが、生徒の人数を数えると九人いる。


しかし、田所さんの説明では当時の全校生徒は八人だったはずだ。


「一人多いんです」


田所さんが指摘した。


「しかも、この子」


田所さんが写真の右端を指差した。


そこには、他の子供たちより少し薄く写っている女の子がいた。


「この子の正体が分からないんです」


私は写真をじっくりと見た。


確かに、その女の子だけが不自然に薄く写っている。


まるで二重露光のようだった。


「当時の関係者に聞いてみましたか?」


「はい。でも、誰も覚えていないんです」


田所さんが困惑した表情を浮かべた。


「当時の先生も『八人しかいなかった』と断言しています」


私は興味を惹かれた。


これは良い記事のネタになりそうだ。


「その写真、借りることはできますか?」


「はい、コピーをお渡しします」


その夜、宿泊先の旅館で写真を詳しく調べた。


拡大鏡で見ると、薄く写った女の子の表情がはっきり分かった。


とても悲しそうな顔をしている。


他の子供たちが笑顔なのに対し、その子だけが泣いているようにも見えた。


翌日、私は村の古老に話を聞いて回った。


八十歳の山本さんが、興味深い話をしてくれた。


「昭和四十九年の冬、雪崩事故がありました」


「白樺分校の生徒が一人、亡くなったんです」


私は背筋が寒くなった。


「その子の名前は?」


「確か、佐々木みどりちゃんだったと思います」


「七歳の女の子でした」


写真に写った薄い女の子と年齢が一致する。


「事故の詳細を教えてもらえますか?」


「みどりちゃんは、学校からの帰り道で雪崩に巻き込まれました」


山本さんが悲しそうに話した。


「発見されたのは三日後でした」


「とても悲しい事故だった」


私はその日のうちに、事故現場を訪れた。


学校から五百メートルほど下った山道の途中だった。


今でも慰霊碑が建てられている。


「佐々木みどり 享年七歳」


碑文を読んでいると、急に寒気がした。


風もないのに、周りの木々がざわめいている。


まるで、みどりちゃんがそこにいるような気配を感じた。


その夜、写真をもう一度詳しく調べた。


すると、驚くべきことに気づいた。


薄く写った女の子の制服が、他の子と違うのだ。


よく見ると、昭和四十年代の古い制服を着ている。


昭和五十年当時、学校は新しい制服に変わっていたはずだ。


つまり、みどりちゃんは亡くなった時の格好で写真に写り込んでいる。


私は鳥肌が立った。


翌日、当時の担任教師だった田中先生を訪ねた。


八十五歳になった田中先生は、今でも記憶が鮮明だった。


「みどりちゃんのことは忘れられません」


田中先生が涙ぐんだ。


「とても優しい子でした」


「卒業式を見たがっていたんです」


「でも、事故で参加できなかった」


私は写真のコピーを見せた。


田中先生は驚いて写真を見つめた。


「間違いありません。これはみどりちゃんです」


「でも、写真を撮った時、こんな子は写ってませんでした」


「現像してから気づいたんです」


田中先生が続けた。


「きっと、みどりちゃんが卒業式に参加したかったんでしょう」


「だから、写真に写り込んだんだと思います」


私は胸が熱くなった。


みどりちゃんは、最後まで学校を愛していたのだ。


そして、同級生たちと一緒に卒業したかったのだ。


記事を書き終えた後、私は再び白樺分校を訪れた。


みどりちゃんの慰霊碑に花を供え、手を合わせた。


「みどりちゃん、卒業おめでとう」


風が吹いて、山の木々がざわめいた。


まるで、みどりちゃんが「ありがとう」と言っているようだった。


私は記事の中で、みどりちゃんのことを詳しく書いた。


「九人目の卒業生」というタイトルで、彼女の物語を伝えた。


記事が掲載されると、多くの読者から感動の声が寄せられた。


中には、白樺分校を訪れる人も現れた。


みどりちゃんの存在が、多くの人に知られるようになった。


そして、彼女はもう寂しくないだろう。


白樺分校の教室で、今でも同級生たちと一緒に授業を受けているような気がする。


秋の夕暮れ、山の向こうから子供たちの笑い声が聞こえることがある。


その中に、みどりちゃんの声も混じっているに違いない。


――――


この体験は、2017年11月に長野県南佐久郡で発生した「事故死生徒の卒業写真出現現象」に基づいている。廃校調査中のライターが発見した異常な卒業写真から、40年前の雪崩事故犠牲者の存在が明らかになった現代の霊的記録事例である。


フリーライター森田洋子さん(仮名・当時34歳)が2017年11月上旬、南佐久郡の旧白樺分校調査中、昭和50年3月撮影の卒業写真で生徒数の不一致を発見した。全校生徒8名の記録に対し写真には9名が写っており、右端の女児のみ異常に薄く二重露光状態で撮影されていた。地元ガイドの証言により、当該女児は昭和49年12月の雪崩事故で死亡した佐々木みどりちゃん(当時7歳)と特定された。


みどりちゃんは登校中に学校から500m地点で雪崩に巻き込まれ、3日後に遺体で発見された。当時の担任・田中教諭(85歳)の証言では「撮影時には気づかず、現像後に9人目の存在を確認した」という。写真解析の結果、みどりちゃんの制服は昭和40年代の旧型で、他生徒の昭和50年新制服と明確に区別された。事故時の服装と完全一致していた。


長野県超常現象研究所の分析では「強い学校愛着による死後出現の典型例」と評価されている。みどりちゃんは生前「卒業式を楽しみにしている」と話していたことが複数の証言で確認されており、未成仏の原因は「卒業への強い執着」と判断された。森田さんの記事「九人目の卒業生」は大きな反響を呼び、白樺分校は霊的巡礼地として注目を集めた。


【後日談】


森田さんの記事掲載後、白樺分校には年間約300人の見学者が訪れるようになった。2018年春、地元有志により「みどりちゃん慰霊祭」が開始され、毎年3月(本来の卒業時期)に慰霊行事が行われている。参加者の多くが「校舎内で子供の笑い声を聞いた」「教室で小さな足音がした」などの体験を報告している。


2019年、当時の同級生8名中5名が慰霊祭に参加し、「40年遅れの同窓会」を開催した。参加者全員が「みどりちゃんの存在を感じた」と証言している。現在、白樺分校は「みどり記念館」として整備され、森田さんが名誉館長を務めている。館内には問題の卒業写真が展示され、多くの来訪者が手を合わせている。


森田さんは現在も年4回白樺分校を訪れ、みどりちゃんの墓参りを継続している。「彼女は今、本当に同級生たちと一緒にいるような気がします。もう寂しくないでしょう」と語っている。地元では「みどりちゃんの奇跡」として語り継がれ、教育の大切さを伝える象徴的存在となっている。

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