残響潮(ざんきょうしお)の島
一
七月十二日、私は奥尻島に渡った。北海道南西沖地震からちょうど三十年。あの夜、二十三時過ぎに来襲した津波は最大三十一メートルに達し、死者行方不明者二百三十名を出した。島西端の青苗地区は壊滅し、住民の半数が波に呑まれた。
海難事故の慰霊碑を撮っているうち、地元紙の文化欄に載った小さな投書を思い出した。
〈毎年七月十二日の深夜、青苗岬の灯りに名前を呼ばれる〉
投書主は匿名、九十歳近い男性。編集部は悪戯だとして取り合わなかった。けれど、私は取材癖で動いてしまう。名前を呼ぶ灯り──島言葉で「残響潮」と呼ばれる怪を調べるうち、ただ一人だけ話してくれる人物が見つかった。
二
「今夜は海へ近づかん方がいい」
そう忠告したのは民宿「波待ち荘」の女将・大沢澄子(六十四歳)だ。彼女は一九九三年、青苗小学校の教師だった。津波到達までの五分間で十三名を屋上に避難させ、九名を救った。
「でも四人を抱えきれなかった。あの子らの声が、毎年戻ってくる」
澄子は言う。十二日の夜になると、青苗岬の崖下で、子どもの声と共に白い灯が漂うという。灯は沖へ動き、すぐに消えるが、耳を澄ますと波音に混じり、自分の名が囁かれるのだと。
「灯りに返事をした途端、海が引き込む。私は二度応じてしまった」
一度目は九九年、同僚の教頭が釣り中に転落死。二度目は○九年、澄子の夫が行方不明。どちらも七月十二日の夜だった。
私はそれでも録音機材を抱え、岬へ連れて行ってくれと頼んだ。澄子は短く「後悔するよ」と言い、懐中電灯と古い防災笛を手渡した。
三
午後十一時三十五分、岬に着く。防波堤の先端には、津波慰霊碑と朽ちた避難誘導灯が並んで立つ。灯具は震災遺構として修理されず、内部は空洞だが、噂の「残響潮」はそこから生まれるらしい。
空は厚い雲で月も星もない。海面は黒墨のように静かだ。私はマイクをセットし、タイムコードを読み上げた。
23:37
その瞬間、潮風が止み、海鳴りが急に遠ざかった。耳が詰まったような異様な静寂。続いて懐中電灯の光が波打つように揺れ、足元の砂利が濡れはじめる。波が来たわけではない。砂利の隙間から海水が逆流してくる。
23:42
避難灯の空洞が青白く光った。内部を覗くと、ぽうっとした球体が浮かんでいる。蛍光灯の残光とも違う、霧のような淡い青。ボイスレコーダーはピークぎりぎりのノイズを吐き出し、ヘッドホン越しに子どもの合唱が聞こえる。
〈せんせい〉
澄子を呼ぶ声だ。私は思わず振り返るが、彼女は来ていない。
23:46
球体が灯具から抜け、海面すれすれを滑る。すると沖合いに同じ灯がひとつ、ふたつ、無数に生まれた。漁り火でもブイ灯でもない、不規則に脈動する光。その中心に、人影が見えた。制服姿の小学生が四人、手をつなぎ、私の方へ歩いてくる。だが膝下は海水に溶け、輪郭が崩れている。
合唱がくぐもったささやきに変わる。
〈なおみちゃんがさむいって〉
〈パパにあえない〉
〈おうちどこ〉
私は録音を続ける。逃げ出せば何も残らない。カメラのファインダー越しでも光ははっきり写る。彼らは波打ち際で止まり、私を囲むように散開した。
23:49
突然、背後から笛の音。澄子だ。彼女は荒い息で私を引っ張り、慰霊碑の陰に押し倒した。
「返事をするなって言ったでしょう!」
澄子は震える手で防災笛を吹き続ける。甲高い音が残響潮を裂くように鳴り響き、光は一斉に崩れ、霧となり、夜空へ溶けた。海鳴りが戻り、潮風が吹き、砂利の水も引いた。時計は23:51だった。
四
民宿へ戻る途中、澄子は私に小さなメモを渡した。
〈避難灯の根元を掘れば、ランドセルの金具が出る〉
津波翌朝、消防団が回収し切れなかった遺留品をそこに集め、灯具基礎のコンクリートと一緒に埋めたのだという。遺族への配慮で公表されなかった。
「あの子らはまだ『迎え』を待ってる。だから毎年、灯がつく」
澄子はうなだれる。私は問いかけた。
「なら、供養すれば消えるんじゃ?」
「供養は何度もした。でも灯は慰霊じゃなく“探照”なの。海に呑まれる時、子どもは真っ暗闇で名を呼び続けた。光を探した。だから今も“誰か”を照らさずにいられない」
五
翌朝、私は一人で避難灯の根元を掘った。錆びたフック、鉛筆、青い名札、ランドセルの背板。潮で歪んでいたが、名札には「大川菜緒美」と読めた。
私は島の寺で水子供養を依頼し、遺品を納めた。その帰り道、澄子から電話。
「ありがとう。でも覚悟して。供養しても、今年の夜が終わるまで油断しないで」
通話の背後で風が唸る。日はまだ高いのに、受話口越しに波音が強く響いていた。
六
七月十二日、23:55。民宿の窓を叩く音で目を覚ます。潮騒は遠いのに、窓ガラスだけが揺れ続ける。身を寄せると外は闇。懐中電灯を向けるが、光が届かない。何かが窓を隔てて立っている。
〈なおみ、さむいよ〉
耳元で囁く。私は防災笛を掴み、力の限り吹いた。笛の音はかき消され、代わりに遠いサイレンが響く。津波警報で聴いた昔の音色。その瞬間、窓の向こうが真っ白に光り、何千もの「残響潮」が空を埋めた。
時計は0:01。十三日になった途端、光は消え、外には朝の気配すらあった。
私は震える手でレコーダーを再生する。笛の音の後、「ありがとう」という少女の声が、海鳴りの奥で確かに残っていた。
今年、青苗岬の避難灯は完全撤去が決まった。けれど灯りは器がなくても現れるかもしれない。私は録音データを資料室に納め、最後にこう記す。
「残響潮」は、光であり叫びであり、迎えを待つ手のひらだ。津波の記憶を風化させたとき、私たちの名前もまた、あの海に呼ばれるだろう。