怖い話

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柿の木の呼び声

十月中旬、私は新しいアパートに引っ越してきた。

岐阜県高山市の古い住宅街にある、築三十年の木造二階建てだった。

家賃が相場より安かったのは、大家さんが「早く入居者を見つけたい」と言っていたからだ。

私、田中美咲は地元の病院で看護師をしている二十六歳の独身女性である。

アパートの裏庭には大きな柿の木があった。

オレンジ色に熟した実がたわわに実っている。

「綺麗な柿ですね」

大家の山田さんに声をかけた。

「ああ、毎年よく実るんです」

山田さんの表情が少し曇った。

「でも、あまり近づかない方がいいですよ」

「どうしてですか？」

「前の住人が、変なことを言っていたもので」

詳しくは教えてくれなかったが、何か訳がありそうだった。

最初の一週間は、何事もなく過ごした。

仕事から帰ってくると、柿の木の下で夕涼みをするのが習慣になった。

甘い香りが漂い、とても心地良い場所だった。

しかし、十日目の夜、奇妙な体験をした。

午後十一時頃、ベッドで本を読んでいると、外から声が聞こえた。

「美咲ちゃん」

女の子の声だった。

私の名前を呼んでいる。

窓から外を見ると、柿の木の下に小さな人影があった。

白いワンピースを着た、七、八歳くらいの女の子だった。

「誰だろう？」

こんな時間に子供が一人でいるなんて異常だ。

私は慌てて外に出た。

しかし、柿の木の下には誰もいなかった。

見間違いだったのだろうか？

翌日、隣人の老婆、鈴木さんに聞いてみた。

「昨夜、裏庭で子供を見かけませんでしたか？」

鈴木さんの顔が青ざめた。

「まさか、またあの子が？」

「あの子？」

「昔、この辺りに住んでた女の子よ」

鈴木さんが小声で話し始めた。

「三十年前、由美ちゃんって子がいたの」

「その子が、柿の木から落ちて亡くなったのよ」

私は背筋が寒くなった。

「それで、時々あの木の下に現れるって噂があるの」

「特に、新しい住人には興味を示すらしいわ」

その夜、私は由美ちゃんのことを考えながら眠りについた。

午前二時頃、また声で目が覚めた。

「美咲ちゃん、一緒に遊ぼう」

今度ははっきりと聞こえた。

窓から見ると、確かに白いワンピースの女の子がいる。

月明かりに照らされて、とても綺麗に見えた。

しかし、その子の足元が地面についていなかった。

宙に浮いているのだ。

私は恐怖で動けなくなった。

「怖がらないで」

由美ちゃんが振り返った。

その顔を見た瞬間、私は悲鳴を上げそうになった。

左側の頭部が大きく陥没していた。

きっと、柿の木から落ちた時の傷だろう。

「一緒に柿を食べましょう」

由美ちゃんが手を差し伸べてくる。

私は恐怖で震えながらも、その場を動けなかった。

「お姉ちゃん、寂しいの」

由美ちゃんの声が悲しげだった。

「ずっと一人ぼっちなの」

私は可哀想に思ったが、近づく勇気はなかった。

「また明日ね」

由美ちゃんがそう言うと、すーっと消えていった。

翌日、私は山田さんに事情を話した。

山田さんは困った顔をしていた。

「実は、前の住人も同じことを言っていました」

「どうして最初に教えてくれなかったんですか？」

「言ったら、誰も借りてくれないでしょ？」

確かにその通りだった。

「由美ちゃんは悪い子じゃないんです」

山田さんが続けた。

「ただ、寂しくて仕方ないんでしょう」

その夜から、由美ちゃんは毎晩現れるようになった。

最初は怖かったが、だんだん慣れてきた。

由美ちゃんは話し相手を求めているだけのようだった。

「お姉ちゃんは、お仕事何してるの？」

「看護師よ」

「すごいね。私も大きくなったら看護師さんになりたかった」

由美ちゃんの無邪気な声に、胸が痛んだ。

この子は、成長する機会を奪われてしまったのだ。

一週間ほど会話を続けた頃、由美ちゃんが言った。

「お姉ちゃん、お願いがあるの」

「何？」

「お母さんに会わせて」

私は困ってしまった。

三十年前に亡くなった子の母親など、どうやって探せばいいのか。

しかし、由美ちゃんの切実な願いを無視できなかった。

翌日、市役所で古い住民票を調べてもらった。

由美ちゃんの本名は「田村由美」で、母親は「田村弘子」という名前だった。

さらに調べると、弘子さんは市内の老人ホームに入居していることが分かった。

私は勇気を出して、弘子さんに会いに行った。

八十歳を超えた小柄な女性だった。

「由美のことをご存知なんですか？」

弘子さんの目に涙が浮かんだ。

「三十年経っても、忘れたことはありません」

私は由美ちゃんのことを、できるだけ優しく話した。

弘子さんは最初は驚いていたが、やがて嬉しそうな表情になった。

「やっぱり、由美は生きているのね」

その夜、弘子さんを柿の木の下に案内した。

午前二時、いつものように由美ちゃんが現れた。

「お母さん！」

由美ちゃんが駆け寄ろうとしたが、弘子さんには見えていないようだった。

「由美？　どこにいるの？」

弘子さんが手を伸ばしている。

私が二人の間に入って、由美ちゃんの言葉を弘子さんに伝えた。

「『お母さん、ずっと会いたかった』って言ってます」

「由美、お母さんもよ」

二人の再会を見ていて、私も涙が止まらなかった。

十分ほど会話した後、由美ちゃんが言った。

「お母さん、もう大丈夫」

「私、お空に行くから」

由美ちゃんの姿がだんだん薄くなっていく。

「美咲お姉ちゃん、ありがとう」

「さようなら」

由美ちゃんは微笑んで、光の中に消えていった。

弘子さんは泣きながら、空に向かって手を振っていた。

それ以来、由美ちゃんが現れることはなくなった。

柿の木は今でも美しい実をつけている。

しかし、もう寂しげな雰囲気はない。

由美ちゃんは安らかに成仏したのだろう。

私は今でもその部屋に住んでいる。

秋になると柿の実を収穫して、弘子さんに届けている。

「由美の分も」と言いながら、一緒に食べるのが習慣になった。

――――

この体験は、2018年10月に岐阜県高山市で発生した「事故死児童の長期憑依現象」に基づいている。新規入居者の女性が事故死した児童の霊と交流し、遺族との再会を仲介することで成仏を促した現代の霊魂救済事例である。

高山市内の築30年木造アパートに入居した看護師・田中美咲さん（仮名・当時26歳）が2018年10月中旬、裏庭の柿の木周辺で児童の霊との接触を開始した。霊は白いワンピース姿の7歳程度の女児で「由美」と名乗り、頭部に外傷を負った状態で出現していた。当初は深夜2時頃の定時出現だったが、徐々に交流時間が延長し会話が可能となった。

田中さんの調査により、昭和63年10月に同地で発生した転落事故の犠牲者「田村由美ちゃん」（当時7歳）と判明した。由美ちゃんは柿の実を取ろうとして木から転落し、頭部強打により即死していた。母親の弘子さん（当時50歳）は事故後に深い鬱状態となり、長期間治療を受けていた記録が残されている。

田中さんは市役所の住民記録から弘子さんの現住所を特定し、市内の特別養護老人ホーム「飛騨の里」に入居中であることを確認した。2018年11月上旬、田中さんの仲介により母娘の霊的再会が実現した。弘子さんには由美ちゃんの姿は視認できなかったが、田中さんを通じた会話で「娘の存在」を確信していた様子が記録されている。

再会後、由美ちゃんの霊は「成仏宣言」を行い完全に消失した。高山市霊異現象調査会の分析では「未解決愛情による地縛霊の典型的解消パターン」と評価されている。弘子さんはその後、精神状態が著しく改善し、30年間続いた鬱症状からの回復を見せた。現在も田中さんとの交流を続けており、毎年秋には柿の実を分け合っている。

田中さんは現在も同アパートに居住し続け、柿の木の管理を行っている。木は由美ちゃんの成仏後、実の収穫量が大幅に増加し近隣でも話題となっている。高山市では同事例を「児童霊救済モデルケース」として記録し、類似現象への対応指針として活用している。地元では「柿の木の奇跡」として語り継がれ、弘子さんと田中さんの友情は地域の美談となっている。