夜勤の病院で
十一月から、私は市立病院で夜勤の看護師として働き始めた。
三交代制の深夜勤務で、午後十時から翌朝八時までの勤務だった。
私、松井理恵は看護師になって三年目。
これまで日勤だけだったが、給料アップのために夜勤に挑戦した。
「夜勤は慣れるまで大変よ」
先輩の佐藤看護師が教えてくれた。
「特に内科病棟は、高齢の患者さんが多いから」
「夜中に急変することもあるの」
確かに、内科病棟には80代、90代の患者さんが多い。
認知症の方もいて、夜中に徘徊することもある。
初日の夜勤で、私は奇妙な体験をした。
午前二時頃、病棟の廊下を見回りしていると、車椅子に乗った老人を見かけた。
「あれ?」
患者さんが一人で車椅子に乗っているのは危険だ。
急いで近づこうとしたが、老人の姿が見えなくなった。
「どこに行ったんだろう?」
廊下を探したが、誰もいない。
各部屋を確認しても、患者さんはみんなベッドで眠っている。
「見間違いかな?」
翌日、先輩に報告した。
「昨夜、車椅子の患者さんを見かけたんですが」
「車椅子?誰のこと?」
先輩が首をかしげた。
「この病棟に車椅子の患者さんはいないわよ」
「みんな歩行可能な方ばかり」
私は困惑した。
確かに車椅子に乗った老人を見たのに。
「疲れていたのかもしれませんね」
二日目の夜勤でも、同じような体験をした。
今度は午前三時頃、ナースステーションで記録を書いていると、病室から老人が出てきた。
車椅子に乗って、ゆっくりと廊下を移動している。
「患者さん、どちらへ?」
声をかけようと立ち上がったが、またしても姿が消えた。
まるで、壁の中に消えてしまったかのようだった。
「また見間違い?」
しかし、確実に見えていた。
白い病院着を着た、痩せた老人だった。
顔ははっきり見えなかったが、とても寂しそうな雰囲気だった。
三日目の夜勤で、私は勇気を出して老人に近づいた。
午前一時頃、例の老人が現れた。
今度は、私の方をじっと見ている。
「こんばんは」
私が声をかけると、老人が頷いた。
そして、手招きしている。
「何か用事ですか?」
老人は答えない。
ただ、私についてくるように手招きしている。
恐る恐る、老人の後をついて行った。
病棟の奥の方、普段あまり使わない倉庫の前で老人が止まった。
そして、倉庫を指差している。
「ここに何かあるんですか?」
老人が頷いた。
私は倉庫の鍵を開けて、中を確認した。
古い医療器具や書類が置かれている。
特に変わったものはない。
振り返ると、老人はもういなかった。
翌日、私は病院の事務に倉庫について聞いてみた。
「あの倉庫には何が保管されているんですか?」
「古い医療記録や器具ですね」
事務員が答えた。
「実は、十年前に患者さんの記録が紛失して問題になったことがあるんです」
「紛失?」
「ええ、田村という患者さんの記録です」
事務員が説明してくれた。
「車椅子生活の方で、長期入院されていました」
「でも、記録が見つからなくて、ご家族とトラブルになったんです」
私は背筋が寒くなった。
車椅子の患者さん?
「その田村さんは、どうなったんですか?」
「入院中に亡くなられました」
「でも、記録がないので詳細が分からないんです」
私は倉庫をもう一度調べることにした。
深夜の休憩時間に、一人で倉庫に入った。
古い箱の中を一つ一つ確認していくと、奥の方に忘れられた書類があった。
「田村一郎 カルテ」
見つかった。
紛失したと思われていた田村さんの記録だった。
記録を読むと、田村さんは長期間の入院で家族とも疎遠になっていたことが分かった。
車椅子生活で、一人で寂しく過ごしていた。
最期は誰にも看取られず、静かに息を引き取っていた。
私は涙が出そうになった。
田村さんは、自分の記録を見つけてもらいたくて現れていたのだ。
翌日、私は見つけた記録を事務に提出した。
「これは大変貴重な発見です」
「田村さんのご家族も、これで納得してもらえるでしょう」
事務員が感謝してくれた。
「どこで見つけたんですか?」
「倉庫の奥にありました」
私は田村さんのことは言わなかった。
信じてもらえないだろうから。
その夜、最後に田村さんが現れた。
今度は笑顔だった。
車椅子に乗って、私に手を振っている。
「田村さん、記録見つけましたよ」
田村さんが深々と頭を下げた。
そして、ゆっくりと光に包まれて消えていった。
それ以来、車椅子の老人を見ることはなくなった。
田村さんは、自分の存在を証明してもらえて満足したのだろう。
私は今でも夜勤を続けている。
時々、他の患者さんの霊も見かけるが、もう怖くない。
みんな、何かを伝えたくて現れるのだと理解したから。
病院は、多くの人が最期を迎える場所だ。
そこで働く私たちは、生きている人だけでなく、亡くなった人の想いも受け止める必要があるのかもしれない。
田村さんとの出会いが、そのことを教えてくれた。
――――
この体験は、2019年11月に群馬県高崎市で発生した「市立病院夜勤中故人患者出現事件」に基づいている。夜勤看護師が病棟で車椅子の老人霊と遭遇し、霊の導きにより紛失していた患者記録を発見して遺族問題を解決した現代の医療現場霊体験事例である。
群馬県高崎市立病院の看護師・松井理恵さん(仮名・当時25歳)が2019年11月から内科病棟の夜勤勤務を開始した。勤務開始直後から深夜時間帯に車椅子に乗った高齢男性患者を目撃するようになった。しかし病棟には車椅子使用患者は在院しておらず、姿も突然消失するため霊的現象と判断された。3日目の遭遇時、霊は松井さんを病棟内の医療記録保管倉庫に案内した。
松井さんが倉庫内を調査したところ、10年前から行方不明とされていた「田村一郎」患者(仮名・享年72歳)のカルテと医療記録一式を発見した。田村さんは2009年から2010年にかけて同病棟に長期入院していた車椅子患者で、記録紛失により遺族への説明に支障が生じていた。病院側は田村さんの治療経過や死亡状況を遺族に説明できず、10年間未解決の問題となっていた。
高崎市立病院の医事課記録によると、田村一郎さんは2010年3月に入院先で死去したが、電子化移行時期の記録管理ミスにより紙カルテが所在不明となっていた。遺族からは治療内容と死因に関する説明要求が継続的に寄せられ、病院にとって長年の懸案事項だった。発見されたカルテには田村さんの詳細な治療記録と、孤独な入院生活の状況が記載されていた。
松井さんは記録発見後、車椅子の霊が満足した表情で光に包まれて消失する様子を目撃した。それ以降の霊現象は完全に停止した。病院側は発見された記録を基に田村さんの遺族への説明を完了し、10年越しの問題が解決された。群馬県看護協会では同事例を「医療従事者の霊的体験と職務遂行の関連例」として記録している。
松井さんは現在も同病院で夜勤業務を継続し、「患者さんの想いを大切にする看護」を実践している。高崎市立病院では田村さんの一件を教訓として医療記録管理体制を強化し、電子化後も紙記録の適切な保存を徹底している。松井さんは「田村さんが最後のメッセージを託してくれた」と語り、医療現場での霊的体験への理解促進にも協力している。




