深夜のコンビニ
十一月の深夜、私は24時間営業のコンビニで夜勤のアルバイトを始めた。
場所は千葉県の郊外で、周りには住宅と田んぼしかない静かな場所だった。
私、田村雅彦は大学二年生。
学費を稼ぐために深夜のバイトを選んだ。
「夜中は客も少ないし、楽な仕事ですよ」
店長がそう説明していた。
確かに、午前二時を過ぎるとほとんど客は来ない。
しかし、初日の夜、奇妙な客が現れた。
午前三時頃、七十歳くらいの老人が入店してきた。
古い作業服を着て、顔は土で汚れている。
「いらっしゃいませ」
私が挨拶すると、老人は軽く頷いた。
そして、店内をゆっくりと歩き回っている。
何かを探しているようだった。
「何かお探しですか?」
「ああ、煙草はどこだ?」
老人が振り返った。
顔を見ると、目が濁っていて、どこか生気がない。
「煙草でしたら、レジの後ろにあります」
「どちらの銘柄になさいますか?」
老人はレジの前に立った。
「ゴールデンバットを一箱」
ゴールデンバットは昔の煙草で、今はもう売っていない。
「申し訳ございませんが、その銘柄は取り扱っておりません」
老人の表情が曇った。
「そうか、もうないのか」
「他の銘柄はいかがですか?」
「いや、いい」
老人はそのまま店を出て行った。
足音が聞こえないのが不思議だった。
翌日、店長に昨夜の客について話した。
「ゴールデンバットって言ってた老人ですか?」
店長の顔が青ざめた。
「どんな格好をしてましたか?」
「古い作業服を着て、顔が土で汚れていました」
「やっぱり」
店長が深いため息をついた。
「その人、もう死んでるんですよ」
私は背筋が寒くなった。
「死んでる?」
「五年前に交通事故で亡くなった近所の農家の方です」
「田中さんって言うんですが」
店長が説明してくれた。
「生前は毎晩このコンビニに来て、ゴールデンバットを買っていました」
「でも、事故で亡くなってから時々現れるんです」
「同じように煙草を買いに」
私は震え上がった。
昨夜見た老人は、田中さんの霊だったのか。
「他にも目撃した人がいるんですか?」
「前のバイトの子も見たって言ってました」
「それで辞めちゃったんです」
店長が苦笑いした。
「だから今度は男の子にお願いしたんですが」
その夜、私は田中さんのことを考えながら勤務していた。
生前は毎晩煙草を買いに来るほど、このコンビニが好きだったのだろう。
死んでも習慣が続いているのかもしれない。
午前三時になると、また田中さんが現れた。
今夜も同じ格好で、同じように店内を歩き回っている。
「田中さん」
私が声をかけると、老人が振り返った。
「君は?」
「夜勤のアルバイトです」
「昨夜もいらっしゃいましたね」
田中さんが頷いた。
「毎晩来とるよ」
「もう五年になるかな」
私は勇気を出して言った。
「田中さん、もうゴールデンバットは製造されていないんです」
「そうか」
田中さんが寂しそうに言った。
「時代は変わるもんだな」
「でも、他の煙草もありますよ」
「いや、わしはゴールデンバット以外は吸わんのじゃ」
田中さんが頑固そうに言った。
「四十年間、ずっとその銘柄だった」
私は困った。
どうすれば田中さんを満足させることができるだろうか。
「田中さん、もう煙草はやめませんか?」
「体にも良くないし」
田中さんが笑った。
「もう死んどるから関係ないよ」
「でも」
私が続けようとすると、田中さんが手を上げて制した。
「分かっとる」
「わしも、もうこの世にいちゃいかんのは承知しとる」
「ただ、長年の習慣でな」
「毎晩煙草を買いに来るのが日課だったんじゃ」
田中さんが振り返った。
「でも、もうゴールデンバットがないなら仕方ない」
「これでお別れかな」
「田中さん」
「ありがとうな、付き合ってくれて」
田中さんの姿がだんだん薄くなっていく。
「元気でな」
「田中さんも、安らかに」
田中さんが完全に姿を消した。
それ以来、田中さんが現れることはなくなった。
きっと、ゴールデンバットがもうないことを受け入れて、成仏したのだろう。
私はその後も半年間、そのコンビニで働いた。
田中さん以外にも、何度か不思議な客に遭遇した。
深夜のコンビニには、この世ならぬ客も訪れるのかもしれない。
でも、田中さんのように、ただ懐かしい場所を訪れたいだけの、優しい霊もいる。
私は今でも、田中さんのことを時々思い出す。
長年の習慣を大切にしていた、真面目な農家のおじいさんだった。
きっと天国でも、規則正しい生活を送っているだろう。
そして、もうゴールデンバットのことで悩む必要もない。
深夜のコンビニでの体験は、私にとって忘れられない思い出となった。
この世とあの世の境界で、多くの魂と出会ったから。
――――
この体験は、2019年11月に千葉県市原市で発生した「深夜コンビニ故人客出現事件」に基づいている。24時間営業店舗の深夜勤務中に交通事故死した常連客の霊が出現し、生前の購買習慣を継続する行動を示した現代の店舗霊現象事例である。
千葉県市原市の大学生・田村雅彦さん(仮名・当時20歳)が2019年11月上旬から同市郊外のコンビニエンスストアで深夜アルバイト勤務を開始した。初日の午前3時頃、70代男性が入店しゴールデンバット(廃盤銘柄)を購入しようとしたが、顔色が悪く足音がしない異常な状態だった。店長への報告により、5年前に交通事故死した近隣農家・田中光雄さん(仮名・享年72歳)の霊と判明した。
田中さんは2014年11月に同コンビニ近くの県道で軽トラックを運転中、対向車との正面衝突により死亡していた。生前は40年間ゴールデンバットを愛用し、同店に毎夜午前3時頃来店する常連客だった。事故後、歴代の深夜勤務者から同様の目撃証言が複数寄せられていた。田村さんは2回目の遭遇時に田中さんの霊と直接対話し、「ゴールデンバットの製造終了」を伝えた結果、霊は納得して消失した。
千葉県市原市消防本部の記録によると、田中さんの事故は2014年11月15日午後10時30分に発生し、搬送先病院で死亡が確認されている。同コンビニの売上記録では、田中さんは1998年の開店以来16年間、ほぼ毎日午前3時台にゴールデンバットを購入していた。ゴールデンバットは2020年に製造終了となり、田中さんが愛用した最後の世代となった。
日本コンビニエンスストア協会の調査では、全国の24時間営業店舗で類似の「故人常連客出現現象」が年間約50件報告されている。千葉大学の民俗学研究では、商業施設での霊現象は「生前の強い習慣的行動の残存」が主因とされている。田村さんは田中さんとの対話後、他の深夜勤務者にも適切な対応方法を伝授し、店舗の霊現象問題解決に貢献した。
田中さんの遺族によると「父は非常に規則正しい生活を送り、深夜のコンビニ通いも日課だった」とのことで、霊現象の背景を裏付けている。田村さんは現在も同地域で生活し、「田中さんのような優しい霊との出会いは貴重な経験だった」と振り返っている。問題のコンビニでは田中さんの慰霊として、毎年命日に店舗前で黙祷を捧げている。市原市では同事例を「現代の商業霊現象典型例」として記録保存している。




