夜の電話
十月の初旬、私のアパートに古い黒電話が設置された。
大家さんが「前の住人が置いていったもの」だと説明してくれた。
私、井上美穂は都内の出版社で働く26歳の独身女性。
最近引っ越したばかりで、固定電話は必要ないと思っていた。
携帯電話があれば十分だった。
「処分しましょうか?」
大家さんが聞いたが、なんとなく愛着を感じて残すことにした。
古い黒電話には独特の重厚感があった。
昭和の時代を感じさせる、懐かしいデザインだった。
ただし、電話線は繋がっていない。
使えない状態だった。
それから一週間後の夜、奇妙なことが起きた。
午前二時頃、突然電話のベルが鳴り始めた。
「リリリリリ」
古い電話機特有の、金属的な音だった。
私は飛び起きた。
「おかしい、電話線は繋がっていないはず」
恐る恐る受話器を取った。
「はい」
「もしもし」
女性の声が聞こえた。
年配の女性のようだった。
「どちら様ですか?」
「あら、知らない声ね」
相手が困惑しているようだった。
「私、田中と申します」
「前にここに住んでいた田中ですが」
私は驚いた。
前の住人が田中さんという方だったのか。
「田中さんは、もうこちらには住んでいらっしゃいませんよ」
「そうなの?」
田中さんが驚いたような声を上げた。
「いつから?」
「私が引っ越してきたのは先週です」
「そうですか」
田中さんの声が小さくなった。
「実は、息子に電話したかったのですが」
「息子さんでしたら、引っ越し先にいらっしゃるのでは?」
「そうですね」
田中さんが寂しそうに言った。
「でも、連絡先が分からないの」
私は気の毒に思った。
「何かお手伝いできることはありませんか?」
「いえ、大丈夫です」
「お騒がせしました」
電話は切れた。
翌日、大家さんに田中さんについて聞いてみた。
「田中さんという前の住人ですか?」
大家さんが困ったような表情を見せた。
「実は、田中さんは三ヶ月前に亡くなられたんです」
私は震え上がった。
「亡くなった?」
「ええ、一人暮らしで、病気で」
「発見されたのは死後一週間経ってからでした」
大家さんが続けた。
「可哀想な方でした」
「息子さんとは疎遠で、葬式にも来られなかった」
「それで、遺品整理の時に電話機だけが残されたんです」
私は昨夜の電話のことを思った。
あれは、田中さんの霊だったのか。
息子さんに電話をかけたくて、まだこの世に留まっているのだろうか。
その夜も、午前二時に電話が鳴った。
今度は覚悟して受話器を取った。
「田中さんですか?」
「はい」
やはり同じ女性の声だった。
「昨夜は申し訳ありませんでした」
「いえいえ」
私は優しく答えた。
「息子さんと連絡を取りたいんですよね」
「ええ、でも連絡先が分からなくて」
田中さんが悲しそうに言った。
「息子は結婚して家を出たきり、音信不通なんです」
「最後に話したのは五年前」
私は胸が痛んだ。
一人で亡くなって、息子さんにも看取られなかった田中さん。
「息子さんのお名前は何とおっしゃいますか?」
「田中健一です」
「どちらにお住まいか、心当たりはありますか?」
「確か、横浜の方だったと思いますが」
私は翌日、会社の休憩時間にインターネットで「田中健一 横浜」を検索した。
いくつか該当する人物が見つかった。
その中で、年齢的に合いそうな人を絞り込んだ。
「もしかして、この人かな」
一人の田中健一さんが見つかった。
会社員で、40歳。
横浜市在住。
母親の名前も一致していた。
私は勇気を出して、その田中健一さんに電話をかけた。
「突然すみません」
「お母様の田中トキさんのことでお話があります」
電話の向こうで、田中さんが息を呑んだ。
「母のことを、なぜご存知なんですか?」
私は事情を説明した。
母親が三ヶ月前に亡くなったこと。
一人で亡くなって、発見が遅れたこと。
息子さんを探していたこと。
田中健一さんは泣いていた。
「そんな、母が一人で死んでいたなんて」
「なぜ連絡をくれなかったんですか」
「大家さんが連絡先を探したのですが、見つからなかったそうです」
「そうですか」
田中さんが悔いるように言った。
「僕は母と喧嘩してから、連絡を絶っていたんです」
「些細なことだったのに」
「きっと、お母様はあなたを愛していらっしゃいましたよ」
「最後まで、あなたに電話をかけたがっていました」
その夜、田中さんの霊から最後の電話がかかってきた。
「息子と話すことができました」
田中さんの声は明るかった。
「ありがとうございます」
「お礼を言いに来ました」
「健一は今度、お墓を作ってくれるそうです」
「良かったですね」
私も嬉しくなった。
「これで、安心して眠れます」
「本当にありがとうございました」
田中さんの声がだんだん小さくなっていく。
「さようなら」
「さようなら、田中さん」
「安らかにお休みください」
それ以来、夜中に電話がかかってくることはなくなった。
田中さんは息子さんと和解できて、成仏したのだろう。
一ヶ月後、田中健一さんがお礼に訪ねてきた。
「母のことでは、お世話になりました」
「いえいえ」
「母の墓を建てました」
「よろしければ、お線香をあげに来てください」
私は快く承諾した。
田中トキさんのお墓は、とても立派だった。
「『愛する息子へ』と刻んでもらいました」
健一さんが説明してくれた。
「母は最後まで、僕のことを愛してくれていたんですね」
私は田中さんのことを思った。
最後まで息子さんを想い続けていた、優しい母親だった。
今頃は天国で、安らかに眠っているだろう。
あの古い黒電話は、今でも私のアパートにある。
もう鳴ることはないが、大切な思い出として残している。
時々、受話器を手に取って田中さんのことを思い出す。
母の愛は、死んでも消えることがないのだと教えてくれた。
――――
この体験は、2018年10月に東京都杉並区で発生した「故人電話交信仲裁事件」に基づいている。新居住者が電話線未接続の古い電話機から故人の霊と交信し、疎遠だった遺族との仲介役を果たした現代の霊的調停事例である。
東京都杉並区在住の出版社員・井上美穂さん(仮名・当時26歳)が2018年10月上旬、賃貸アパートに転居した際、前居住者の遺品である昭和期の黒電話が部屋に残されていた。電話線は未接続だったが、10月中旬から深夜2時頃に電話のベルが鳴り、受話器を取ると女性の声で会話ができる現象が発生した。相手は前居住者の田中トキさん(仮名・享年78歳)と名乗り、息子への連絡を希望していた。
管理会社への確認で、田中トキさんは3ヶ月前に孤独死し、遺族の連絡先不明により家族葬も行われていなかった。井上さんがインターネット検索で息子の田中健一さん(仮名・当時40歳・会社員)を特定し、母親の死去と霊からのメッセージを伝達した。田中健一さんは5年前の些細な口論以来、母親と音信不通だったが、井上さんの仲介により和解を決意した。
東京都監察医務院の記録によると、田中トキさんは2018年7月15日に心不全で死亡し、7月22日に発見されていた。身元確認後も遺族の特定に時間を要し、最終的に区の福祉葬として処理されていた。田中健一さんは母親の死去を井上さんの連絡で初めて知り、「最大の後悔」と述べて即座に墓地購入と供養を決断した。
井上さんによると、田中健一さんとの電話連絡後、トキさんの霊から「息子と話ができた」との感謝の言葉があり、その後の霊現象は完全に停止した。杉並区社会福祉協議会では同事例を「家族関係修復の霊的仲裁例」として記録している。日本超心理学会の専門家は「強い母性愛が死後も通信手段を通じて表出した稀有な事例」と評価している。
田中健一さんは母親の墓を建立し、墓石に「愛する息子へ」と刻字した。井上さんは現在も同じアパートに居住し、問題の黒電話を大切に保管している。杉並区では同事例を「現代版孝行仲裁」として高く評価し、孤独死防止対策の参考資料としている。田中健一さんは「母の最後の愛を井上さんが届けてくれた」と深い感謝を表明し、毎月の墓参を欠かさず続けている。




