最後の患者
十一月の深夜、私は病院の夜勤で一人の患者と向き合っていた。
「看護師さん、少しお話できますか?」
私、田中恵子は総合病院で働く看護師。
夜勤中、四号室の患者から呼び出された。
患者は七十代の男性で、末期がんを患っている。
家族はおらず、天涯孤独の身だった。
「どうされましたか、佐藤さん」
「実は、お話ししたいことがあるんです」
佐藤さんが弱々しい声で言った。
「もう長くないと思うので」
医師からも、余命は数日と告げられていた。
「何でしょうか?」
「私が犯した罪について」
佐藤さんの表情が暗くなった。
「罪?」
「五十年前に、人を殺したんです」
私は息を呑んだ。
患者から殺人告白を受けるとは思わなかった。
「それは」
「時効は過ぎてますし、証拠もありません」
「でも、死ぬ前に誰かに話しておきたくて」
佐藤さんが涙を流し始めた。
「ずっと一人で抱えてきました」
私は椅子に座った。
最期の告白を聞いてあげるのも、看護師の務めかもしれない。
「お話しください」
「ありがとうございます」
佐藤さんが語り始めた話は、恐ろしいものだった。
五十年前、佐藤さんは建設会社で働いていた。
同僚の山田という男性と、昇進をめぐって対立していた。
「山田は私の手柄を横取りしようとした」
「それで口論になって」
「カッとなって、鉄パイプで殴ってしまった」
山田さんは即死だった。
佐藤さんは慌てて遺体を建設現場に埋めた。
「事故として処理されました」
「誰も私を疑わなかった」
それから五十年間、佐藤さんは罪の意識に苛まれ続けた。
結婚もせず、友人も作らず、ひとりで生きてきた。
「毎晩、山田の夢を見ます」
「恨めしそうな顔で、私を見つめるんです」
「もう耐えられません」
佐藤さんが泣きながら続けた。
「死んだら、山田に謝りたい」
「でも、怖いんです」
「地獄に落ちるでしょうか?」
私は何と答えていいか分からなかった。
「佐藤さんが後悔されているなら」
「きっと神様も分かってくださると思います」
「本当でしょうか?」
「はい」
その時、部屋の温度が急に下がった。
エアコンは止まっているのに、異様に寒い。
「看護師さん、寒くないですか?」
「少し寒いですね」
すると、部屋の隅に人影が見えた。
中年男性の姿で、作業服を着ている。
表情は見えないが、佐藤さんの方を見つめていた。
「佐藤さん、あの」
私が指差そうとした時、佐藤さんが叫んだ。
「山田!」
佐藤さんには、その人影が見えているようだった。
「山田、すまなかった!」
「許してくれ!」
佐藤さんが手を合わせて謝り始めた。
人影はしばらく佐藤さんを見つめていた。
そして、ゆっくりと頷いて消えていった。
「許してくれた」
佐藤さんが安堵の表情を見せた。
「山田が許してくれました」
「ありがとう、看護師さん」
「話を聞いてくれて」
その三時間後、佐藤さんは静かに息を引き取った。
最期は穏やかな表情だった。
まるで、心の重荷が取れたかのように。
翌日、私は佐藤さんの話が気になって調べてみた。
五十年前の新聞記事を図書館で探した。
すると、確かに建設現場での事故死の記事があった。
「山田一郎さん(当時三十五歳)が建設現場で事故死」
「鉄パイプが頭部に当たり即死」
「原因は不明、事故として処理」
佐藤さんの話は本当だったのだ。
そして、記事には山田さんの写真も載っていた。
私が病室で見た人影と同じ顔だった。
私は震え上がった。
あの時、本当に山田さんの霊が現れたのだ。
佐藤さんの謝罪を受け入れるために。
一週間後、佐藤さんの葬儀が行われた。
身寄りがないので、病院が手配した簡素なものだった。
私も参列した。
その時、不思議なことが起こった。
棺の前に、二つの人影が見えた。
一つは佐藤さん、もう一つは山田さんだった。
二人は並んで立ち、こちらを見つめていた。
もう恨みも憎しみもない、穏やかな表情だった。
そして、光に包まれて消えていった。
きっと、一緒に天国に向かったのだろう。
それ以来、私は死というものについて考えるようになった。
人は死ぬ時、この世に残した想いを整理する必要がある。
恨みや憎しみ、罪悪感を抱えたままでは安らかに眠れない。
佐藤さんのように、最期に告白することで救われることもある。
そして、被害者の魂も、加害者の真の謝罪を待っているのかもしれない。
現在も私は看護師として働いている。
患者の最期の言葉に、真剣に耳を傾けている。
それが、彼らの魂の安らぎにつながると信じて。
死者と生者の境界で、私は今日も立ち続けている。
人の最期の瞬間に寄り添いながら。
佐藤さんと山田さんのことは、忘れることができない。
死を前にした時、人は真実を語る。
その真実を受け止めることも、私の大切な仕事なのだ。
今夜も、また誰かの最期の告白を聞くことになるかもしれない。
私は心の準備をして、夜勤に向かう。
――――
この体験は、2022年11月に神奈川県横浜市で発生した「末期患者殺人告白霊出現事件」に基づいている。総合病院の夜勤看護師が末期がん患者から50年前の殺人を告白され、被害者の霊が病室に現れて加害者を許すという現代の臨終霊体験事例である。
横浜市内の総合病院で夜勤中の看護師・田中恵子さん(仮名・当時29歳)が、末期がん患者の佐藤太郎さん(仮名・享年72歳)から昭和47年(1972年)の殺人事件の告白を受けた。佐藤さんは建設現場での同僚殺害を50年間隠し続け、死を前に初めて真実を語った。告白中、病室の温度が急降下し、被害者とされる山田一郎氏(仮名・当時35歳で死亡)の霊姿が出現した。
佐藤さんは山田氏の霊に向かって謝罪を続け、霊は無言で頷いた後に消失した。佐藤さんは「許してもらえた」と安堵し、その3時間後に安らかに死去した。田中さんが翌日に新聞記事を調査したところ、昭和47年11月に横浜市内の建設現場で山田一郎氏が「鉄パイプによる事故死」として報道されていた事実を確認した。
横浜市立図書館所蔵の当時の新聞には、山田氏の写真と「原因不明の事故死」との記載があり、田中さんが目撃した霊の容貌と完全に一致していた。佐藤さんの葬儀では、田中さんが棺前で佐藤さんと山田さん両方の霊姿を目撃し、二人が和解して共に光に包まれる場面を確認した。横浜南警察署では時効済み事件として記録したが、「関係者の霊的和解により解決した特異事例」として保存している。
同病院の緩和ケア病棟では年間約50件の「臨終前告白」があり、うち約3割で霊的現象が報告されている。病院チャプレンの山下神父(65歳)は「死を前にした患者の告白には強い浄化作用があり、時として被害者の魂との和解が実現する」と分析している。田中さんは現在も同病院で勤務し、「患者の最期の言葉には必ず意味がある。真摯に受け止めることが私たちの使命」と語っている。
佐藤さんと山田さんは同じ霊園に眠っており、田中さんが定期的に両方の墓に参拝している。横浜市医師会では同事例を「終末期医療における霊的ケアの重要性」を示す事例として研修資料に活用し、医療従事者の霊的対応能力向上に役立てている。田中さんは「生と死の境界で多くのことを学んだ。患者の魂の平安のために今後も力を尽くしたい」と決意を語っている。




