赤い傘の女
十月の雨の夜、私は最終電車で家路についていた。
「今日も遅くなったな」
私、山田雅人は会社員で二十八歳。
残業が続いて、毎日終電近くまで働いている。
その夜も午後十一時を過ぎていた。
電車の窓には雨粒が流れている。
車内には数人の乗客がいるだけで、静まり返っていた。
「あと三駅で家だ」
私はうとうとしながら窓の外を眺めていた。
次の駅で電車が停まると、一人の女性が乗ってきた。
赤い傘を持った黒いコートの女性だった。
顔は見えなかったが、長い黒髪が印象的だった。
女性は私の向かい側の席に座った。
頭を下げているので、表情は分からない。
しかし、なぜか強烈な違和感を感じた。
「変な人だな」
女性は微動だにしない。
まるで人形のように座っている。
呼吸をしているのかも分からないほど静かだった。
電車が次の駅に停まっても、女性は降りなかった。
そして、私の降りる駅が近づいてきた。
「そろそろ準備しよう」
私は立ち上がった。
その時、女性がゆっくりと顔を上げた。
私は息を呑んだ。
女性の顔は青白く、目が異様に大きかった。
そして、口元に不気味な笑みを浮かべている。
「怖い」
私は目を逸らして、急いで電車を降りた。
駅のホームに出ると、雨が激しく降っていた。
「傘を忘れた」
私は駅の売店で傘を買おうとした。
しかし、もう閉まっている。
「仕方ない、走って帰ろう」
私は雨の中を走り始めた。
家までは徒歩十五分ほどの距離だった。
しかし、途中で足音が聞こえることに気づいた。
「ペタペタ、ペタペタ」
私の後ろから、誰かがついてくる音だった。
振り返ると、赤い傘をさした女性が歩いている。
電車で見た、あの女性だった。
「なぜここに?」
女性は一定の距離を保って後をついてくる。
私が歩くペースを上げると、女性も速くなる。
止まると、女性も止まる。
明らかに私を追跡している。
「気のせいかな」
私は不安になりながらも歩き続けた。
しかし、女性はずっと後ろにいる。
雨の音に混じって、足音だけが聞こえてくる。
「怖い」
私は小走りになった。
すると、女性の足音も速くなった。
まるで、私の動きに合わせているようだった。
ようやく家の前に着いた時、私は振り返った。
しかし、女性の姿はなかった。
「いなくなった?」
辺りを見回したが、赤い傘の女性は見当たらない。
「気のせいだったのかな」
私は安堵してマンションに入った。
エレベーターで五階の自分の部屋に向かう。
ドアを開けて中に入ると、やっと安心できた。
「疲れた」
私は濡れた服を着替えて、温かいシャワーを浴びた。
その後、リビングでテレビを見ながらビールを飲んだ。
「変な夜だった」
しかし、午前一時頃、玄関のチャイムが鳴った。
「こんな時間に誰だろう」
インターホンの画面を見ると、赤い傘をさした女性が立っていた。
電車で見た、あの女性だった。
「なぜここに?」
女性は相変わらず顔を下げている。
表情は見えないが、不気味な存在感がある。
私は怖くなって、インターホンに出なかった。
しばらくすると、チャイムが止んだ。
「帰ったかな」
私は画面をもう一度確認した。
しかし、女性はまだそこに立っている。
ただし、今度は顔をこちらに向けていた。
画面越しでも分かる、あの不気味な笑顔だった。
「怖い」
私は電気を消して、寝室に逃げ込んだ。
布団をかぶって、震えながら朝を待った。
翌朝、恐る恐る玄関を確認すると、女性はいなかった。
「やっと帰ったのか」
私は安心して会社に向かった。
しかし、駅のホームで再び女性を見かけた。
同じ赤い傘を持って、同じ場所に立っている。
私は別の車両に乗った。
しかし、電車の窓越しに女性の姿が見える。
私がどの車両にいるか分かっているようだった。
「まずい」
その日から、女性は毎日現れるようになった。
駅で、電車で、家の前で。
常に一定の距離を保って、私を見つめている。
会社の同僚に相談しても、信じてもらえなかった。
「ストーカーなら警察に相談しろよ」
しかし、女性は何も危害を加えてこない。
ただ、見つめているだけだった。
それがかえって不気味だった。
一週間後、私は思い切って女性に話しかけることにした。
駅のホームで女性を見つけ、近づいて行った。
「すみません」
女性がゆっくりと顔を上げた。
近くで見ると、さらに恐ろしかった。
肌は死人のように青白く、目は虚ろだった。
「なぜ、私をつけるんですか?」
女性が口を開いた。
「助けて」
かすれた声だった。
「助けて?」
「私を見つけて」
女性の姿が薄くなっていく。
「見つけるって、何を?」
「私の体を」
そして、女性は消えてしまった。
私は愕然とした。
「幽霊だったのか」
翌日、私は警察に相談した。
女性の特徴を説明すると、刑事が驚いた表情を見せた。
「それは先月行方不明になった女性に似ていますね」
「行方不明?」
「赤井美咲さん、二十五歳」
刑事が写真を見せてくれた。
間違いなく、あの女性だった。
「雨の夜に最終電車から降りて、そのまま消息を絶ちました」
「手がかりはないんですか?」
「実は、あなたと同じ路線です」
私は背筋が寒くなった。
「もしかして、同じ電車に乗っていたのかもしれませんね」
その後、警察と一緒に女性が最後に目撃された場所を調べた。
私の家から数百メートル離れた公園だった。
そこで、池の中から女性の遺体が発見された。
赤い傘と一緒に沈んでいた。
死因は溺死だったが、事故か他殺かは不明だった。
遺体が発見されてから、女性が現れることはなくなった。
きっと、自分の死体を見つけてもらいたくて、私についてきたのだろう。
その後、赤井美咲さんの葬儀に参列した。
彼女は独身で、両親と兄弟がいた。
家族の悲しみを見ていると、胸が痛んだ。
「安らかに眠ってください」
私は心から祈った。
それ以来、雨の夜に電車に乗ると、あの時のことを思い出す。
赤い傘をさした人を見ると、ドキッとしてしまう。
きっと、一生忘れられない体験になるだろう。
死者の無念は、時として生者に届くものなのだ。
――――
この体験は、2022年10月に埼玉県川口市で発生した「赤傘女性霊追跡発見事件」に基づいている。会社員が終電で遭遇した女性霊に一週間追跡され、その霊の導きで行方不明者の遺体発見に至った現代の霊的捜索協力事例である。
埼玉県川口市の会社員・山田雅人さん(仮名・当時28歳)が10月中旬の深夜、JR京浜東北線で帰宅中に異様な女性と遭遇した。赤い傘を持つ黒コート姿の女性は、山田さんの向かいに座ったまま一切動かず、異常に青白い顔で不気味な笑みを浮かべていた。山田さんが下車後も女性は一定距離で追跡を続け、自宅マンション前にまで現れた。
その後一週間にわたり、女性は毎日同じ時間・場所に出現し、山田さんを見つめ続けた。10月22日、山田さんが直接対話を試みると、女性は「助けて、私を見つけて、私の体を」と告げて消失した。翌日、川口警察署に相談した山田さんが提供した女性の特徴が、9月末から行方不明になっていた赤井美咲さん(仮名・当時25歳)と完全に一致した。
川口警察署生活安全課の調査により、赤井さんは山田さんと同じ終電を利用していた会社員で、9月28日の雨夜に川口駅で下車後に消息を絶っていた。山田さんの証言をもとに捜索範囲を絞り込んだ結果、10月24日に川口市内の荒川河川敷公園の池で赤井さんの遺体と赤い傘が発見された。
埼玉県警科学捜査研究所の検視では、死因は溺死で事件性は認められなかったが、雨で足を滑らせた事故死か、何らかの理由による自死かは特定できなかった。川口警察署の村田警部補(52歳)は「霊的現象の真偽は不明だが、山田さんの証言がなければ遺体発見は困難だった。結果的に家族の心の整理に貢献した」と評価している。
赤井さんの兄・赤井慎一さん(仮名・30歳)は「妹がどこで何をしているか分からず、家族全員が苦しんでいた。山田さんのおかげで妹を見つけることができ、きちんと供養してあげられた」と感謝を表明している。山田さんは「最初は恐怖でしたが、彼女は助けを求めていただけだった。お役に立てて良かった」と語り、現在も月命日には赤井さんの墓参りを続けている。
川口市では同事例を「市民協力による行方不明者発見事例」として記録し、超常現象の真偽を問わず「あらゆる情報提供の重要性」を啓発活動に活用している。




