底に還る盆灯り
いま思えば、あの夜の湖面は最初から波立っていなかった。
揖斐川町役場から借りた小舟の船底が、鏡のように静かな徳山湖を滑るたび、櫂の先にだけ怨めしい音がまとわりついた。粘つく水が、ざぶり、ざぶりと舳先を引き戻す。八月十三日──盆の入りの晩。
取材とはいえ、私は軽率だった。
岐阜ローカル紙の若手記者・西浦柚葉。「水没した旧徳山村の伝承を記事にしろ」と編集長に命じられ、カメラマンの橋爪を誘って来たのが運の尽きだった。
時計は午後十一時三十四分。湖岸の道を封鎖するバーは職員の厚意で開けてもらえたが、この時間帯に湖へ漕ぎ出す者など私たち以外いない。はずだった。
「柚葉、見ろよ……」
橋爪がナイトビジョンを覗いたまま、声を低くする。
湖の中央、黒い水面にふわりと橙色の灯が浮かんでいた。しかも一つではない。ふたつ、みっつ……気付けば数十点。提灯の列のように、旧国道 417 号の跡をなぞる形で湾曲している。
これは実際に複数の作業員が目撃したという“徳山湖の盆灯り”そのものだった。十年以上前、県の巡視員が消防に通報し、モーターボートで確認に向かうも消失。記録は今も町役場に残る。
──まさか本当に見られるとは。
軽い興奮をおぼえた矢先、橋爪がスマホのライトを振りかざした。
「おーい! 誰かいるんですかー!」
馬鹿、と怒鳴る間もなく、湖面の提灯が一斉に揺れた。風は吹いていない。にもかかわらず、灯だけが左右に震え、やがて舟へ向かって移動を始める。
ぐっ、と水の匂いが濃くなる。藻と泥、そして焦げた木材の匂い──旧徳山小学校が取り壊されたとき、校舎の廃材を焼却した灰が流れ着いたという話を思い出した。
「戻ろう、橋爪、櫂を──」
言い終える前に、湖底から何かが舟を突き上げた。どん、と鈍い衝撃。身を乗り出した橋爪の足首が、水面下から伸びた灰色の手に掴まれていた。
「離せ! 離せぇ!」
私は必死に腕をつかみ返したが、次の瞬間、手首ごと冷水に噛みつかれたような痛みが走る。見下ろすと、自分の腕にも泥まみれの指が絡みついている。
それは人間の温度ではなかった。
凍えるほど冷たいのに、脈だけが異常に早い。ばくん、ばくん、と水圧に逆らう心臓音が皮膚越しに伝わり、私の鼓動と同調し始めた。
「西浦っ!」
橋爪の叫びは、やがて喉の中で水泡に変わった。彼の上半身があっという間に湖に引きずり込まれていく。私は咄嗟にカメラのストラップを掴み、フラッシュを焚いた。
光に照らされたのは、沈んだはずの旧村の墓地跡だった。
真夜中の湖底に石塔が林立し、その間から無数の腕が突き出ている。どれも骨と肉がない、人形のようにのっぺりとした皮膚。なのに指先だけは爪が割れ、剥き出しのまま水を掻いていた。
次の瞬間、視界が反転した。舟が転覆したのだ。
冷水が喉と肺に流れ込み、世界が真緑に濁る。耳元で誰かが囁いた。
──灯を返せ。ここは、まだ家だ。
沈む意識の底で、私は理解した。
提灯の列は盆の“迎え火”だったのだ。自分たちの家へ帰るための灯りを、私たちが無断で踏みにじった。だから、灯を奪い返しに来たのだ。
どれほどもがいたか分からない。気付くと私は湖岸のコンクリート護岸に倒れていた。肺が焼け、腕と脚は真紫に腫れている。橋爪の姿はなかった。
代わりに、湖面を漂うカメラだけが見つかった。
水に濡れたメモリーカードを乾燥させ、画像を確認すると──一枚だけ、異様に鮮明な写真が残っていた。
闇の湖面に整列する提灯、その背後。
水深三十メートルのはずの旧徳山小学校の時計塔が、白い校壁ごと浮かび上がり、校庭に並ぶ児童のシルエットが映っている。児童の手には全員、提灯。いや……よく見ると、提灯ではなく、人の首だった。橋爪の顔も、その列の端で笑っていた。
翌日、警察と消防による捜索は行われた。
が、橋爪はおろか転覆した小舟さえ見つからない。私は低体温症と溺水のショックで一週間入院したが、事情聴取で語った内容は「記憶が定かでない」とだけ答えた。
湖岸では例年通り、十三日夜に“灯りの浮遊”通報が二件あったという。だが巡視係の職員が現場到着したとき、湖面は鏡のように静かで、私の悲鳴どころか鳥の声すら聞こえなかったそうだ。
今年の盆も、徳山湖の水位は下がらない。
遠くで雨が降れば、湖底の校庭に積もった土砂がまた少し流され、あの時計塔の尖端が夜空を穿つのだろう。
迎え火を探す子どもたちの首が、再び湖面に浮かぶ前に──
せめて誰か、灯りを渡してやってほしい。
それができないなら、決して湖に近づかないでほしい。
あの冷たい手は、まだ櫂の感触を覚えているはずだから。
【了】
【主な舞台】
岐阜県揖斐川町・徳山ダム(実在)
※旧徳山村はダム建設によって 2006 年に完全水没。毎年 8 月 13 日の夜、湖面に“提灯の列”を見たという通報が地元消防に複数残っている──という実話を織り交ぜる。